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ほんとうは、結構みんな 許してくれるから

物心ついたころには お笑いが好きになっていた

90~00年代に思春期だった私は 当時のお笑い番組をよく見た
九州の田舎だったけど 土曜日のお昼には吉本新喜劇がやっていて
それもよく見た

テレビでは ごっつええ感じ
漫画では すごいよマサルさん、魁クロマティ高校が印象的だった
芸人さんのラジオも暇があれば聞いていた 
くりぃむしちゅ~のANNは何度も繰り返し聞いた

小学校3年生までは ぼーっとした少年で 
学校でも自分から発言することも少なく 恥ずかしがり屋で
遊ぶ時もお兄ちゃんに付いて回る感じだった

小学校4年生のときに お笑いのフォーマットを使えば
人を笑わせたり ある種のコミュニケートができることが分かった

給食時間に 机をくっつけて食べる
オレと同じ班になると笑って食べられないから
いつも食べるのが最後になる そんな事を言われてたこともあった

中学以降、恥ずかしさが出てきて また自分から喋らなくなった

大学生になると 松本人志さんが作るものが好きになっていって
過去のビジュアルバムや当時発表した映画も映画館で見た
意味が分からないこともあったけど
孤独で巨大な自我を持つ人がつくる何かを 心惹かれて見てた

社会人になって 人と話すときに
オレがこれまで使っていた会話のフォーマットそのままで喋ると
少し迷惑そうに感じる人がいることがわかった

フォーマットの修正が必要だと思った

でも結果的にフォーマットは修正しなくてそのまま置いておいた
その上で新しいフォーマットを作ることにした

仕事の時に話す会話のフォーマットは試行錯誤しながら新たに作った
最大公約数と、失礼さを織り交ぜたようなものになった

それを作るまでに何度も失敗したし 社内やお客さんにも怒られたけど
基本的には許してくれた

オレが思春期に作った会話のフォーマットは
地元の友達や 仲良くなれそうな人のために取っておくことにした

デジタルの情報を実体験として感じられない 昭和世代の私は
実際に感じないと 感じない。

巷(特にSNS)で、~を激変させる〇〇、~があれば〇〇できるなど
方法論が目を引く形で 乱立するが、
ほんとうは、結構みんな許してくれるから
それに頼らず 自分で考えて 試して失敗する権利がみんなにあるのになと思う

すぐ役に立つものは、すぐ役に立たなくなるから

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