カール・マルクス『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日 』読書ノート

※僕が理解した範囲・重要に思えた部分のメモなので、全体を網羅したものにはなっていません。参考程度に読んでいただければ幸いです。
※おおよそ書籍の内容に沿った要約ですが、個人的な補足やメモ、考察を含みます。これらは大抵 ※米印 がついてます。今回考察多め。

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1. 序文…フランス革命の状況についての描写。
2. 「すべての偉大な歴史的事象と人物は二度現れる」(ヘーゲル)「一度は悲劇として、二度目はみじめな笑劇として」(マルクス)
3. 2度のブリュメール18日。最初はナポレオン1799年11/9日のクーデタ。二度目は1851年12/2ルイ・ボナパルト
4. 最初の革命はローマ共和国・帝国のイメージを用いたことを示唆。ヒロイズムや犠牲的行為が必要だった。
5. 王政打倒、封建社会粉砕、自由競争、土地所有、工業生産の発展…様々な変化
6. イギリスのピューリタン革命も旧約聖書のイメージの情熱で駆動され、経済等が発展するとそれは忘却される
7. 1851年の二度目のクーデタは、初回のクーデタのナポレオンのイメージで駆動された。
8. 主張:市民革命は「恍惚が日々の精神」つまり情感で行われ、「二日酔い」つまりバックラッシュに襲われる。一方で19世紀の革命=プロレタリア革命は自己批判的で徹底してる。
9. 1851、共和制で選ばれたルイ・ボナパルトが、1852年に再選=大統領となり第二帝政に入る際の市民政治の敗北

11. 二月革命の後はタイミングが悪く非常にちぐはぐ。情熱が先走って、誰もが革命政府が訪れると期待しているが、実際は古い型通りの構造が残ったまま。ここで農民と小市民が一気に選挙権を得たことに知識階級は気づかない
12. ざっくり…立憲君主(ルイ・フィリップ)→共和制→帝政(ルイ・ボナパルト)
13. 主張:マルクスはここでの第二共和政での共産主義者ブランキや、プロレタリアの六月叛乱に着目する。一種「歴史」的に彼らの行動を眺める。プロレタリアは革命の中で常に強引に前に出て敗北し、指導者は排除されていき、結果社会の内部で社会主義的な「非現実的な実験」を行うがこれも失敗する。コミューン的なものを指すか。

14. 合言葉は「所有・家族・宗教・秩序」ここでもプロレタリアの敗北を強調。
15. 自由主義や共和主義的なものは、6月暴動の後「社会主義」とハンコを押され排除される。「社会主義の排除」が旧来の価値の防衛の口実として役に立ったという話?

2 (1848-5月議会制定・共和派支配 ~ 1849-1月・国民議会解散・共和派の終焉)

1. 憲法制定議会の続き。「共和派ブルジョワ分派の支配と解体の日々」=ルイフィリップ政権下の「共和派野党」
2. 「フランスナショナリズム」への依拠…解説:フランス革命の際に共和主義が樹立されフランス・ナショナリズムは盛り上がった。しかしナポレオンの敗北→ウィーン体制で立憲君主制(実質的に王政)が復活し、共和主義者は革命時の共和制の記憶、ウィーンでの「敗北」への憎悪を持っていたという話。そうした人々・勢力の感情の受け皿になってたということ。
3. この共和派野党は、第二共和政の最大勢力。国民議会の多数派。
4. このとき競争相手はプロレタリア+プチブル、民主的共和派(つまり左寄り)だったので、6月革命を利用して左寄りの陣営を一掃したっぽい。彼らは「王権に対するブルジョアジーの自由主義的叛乱によってではなく、資本に対するプロレタリアートの暴動が散弾砲撃で鎮圧されたことによって支配に達したのである」
5. マラスト。共和派野党の機関紙「ナシオナル」の元編集長。+カヴェニャック(軍人・首相)

※どうしても考えたくなるのが、ここで市民勢力・社会勢力…今であれば「左寄り」とか「リベラル」とくくれそうな人々を「叩く」ことによって支配権がより強固になった、という流れ。安倍政権(民主党政権を挟んで二回やってきた)を連想してしまう。とはいえ、より広く…例えばピンチョン『ヴァインランド』でヒッピーがレーガン体制に反転・吸収されるように、あるいは60年代の学生運動から70-80年代が始まるように、どこか市民的・リベラル的なものが大きく失敗し、これを挽回するような形で共和主義(保守的)なものが権力を回復する、みたいな流れに何らかのメカニズムを見ることが出来るのかもしれない。抽象的に言うのであれば、期待や理想が大きいほど、それが敗れる瞬間は惨めで汚れたものに見え、反対勢力の強力なチャンスを与える。 →これは後の記述や柄谷の解説で補強された

6. 直接選挙制は既に宣言されたので撤回は不可能
7. 新憲法は「1830年の憲章の共和主義版にすぎなかった」「変更されたのは…実態ではなく名称であった」
8. 「自由」「権利」は傍注に「他人の同じ権利と公共の安全によって制限されない限り」とある。日本国憲法の「公共」にまで続いてくる人権思想のアキレス腱。この時点で既にこの「公共の安全」はブルジョアジーによって定義され自由の制限は恣意的に行われたような書きっぷり。
9. 権力は議会(立法)-大統領(行政)に分割され、議会は大統領の罷免権を持ち(ブルジョア側の保身)、一方で大統領は憲法を動かさないと議会を解散できない。一方大統領の権利は強大で矛盾が含まれている。
10. 「選ばれた国民議会は、国民に対して抽象的な関係にあるが、選ばれた大統領は、国民に対して個人的な関係にある」 ※大統領(あるいは首相でも)直接公選の意味合いに気づかされる点は面白い。 例えば(見え方はどうあれ)「安倍首相が日本を代表する」と「トランプ大統領がアメリカを代表する」というときの国民の意識の違いは大きい。特にそれが一種情緒的なものになる場合は。「大統領においては国民精神が受肉している」私-大統領関係で中間にある社会(例えば多様である他の州・階級・富裕…)が吹き飛んでしまう。
11. 硬性憲法。非常に硬い。 ①継続審議 ②3/4賛成 ③500人以上の参加が前提
12. パリは軍部により戒厳令を行う。革命以来、戒厳令は幾度も統制に用いられてきた。軍部の権力は拡大へ

13. _1848-12/10、ルイ・ボナパルト大統領に就任_ 「都市に対する農村の反動」この選挙結果は大きな意味がある。農民は二月革命の恩恵を受けていなかったため共和派野党を支持しない。軍部も働きに対し、共和派に評価されていない。ブルジョワジーは民主主義-君主制の「橋」として、小市民たちは共和派野党(つまりブルジョワジー)への不満を持っていて、異なるアクターの利害が一致した。
14. 結局これらのアクターのうち強いのは王制支持(ブルボン・オルレアンの違い)のブルジョワ、金融等の富裕・貴族層。ここから半年でブルジョワ共和派の排除へ向かう。
15. この時期は ①まず社会主義者の排除 ②ボナパルト当選まで ③当選後の共和派野党の没落
16. 「秩序党」が第一党。ブルジョワ・教会。ルイは自分は目立たずにフィロン・パロ内閣に行動させる。
17. 共和制ローマに出兵。教皇を帰還させる。これは議会に黙って行われた。
19. 秩序党は国民議会に解散を促す。首相はさらに大衆を味方につける。「人民の全体との結びつきをもたない大衆を煽り立てたのである」1849-1月に解散決議。 ※ ポピュリズムを思わせる。トランプ内閣とか。そうした意味では、これは最初に「大衆」を利用して行われた政治と考えると面白い。
20. ポイントは、ルイ・ボナパルトが大統領の権限を弱める要因=共和党を倒し権力を拡大したこと。秩序党はこれに利用されたような形。一方かれらはボナパルトを「だましやすい人物」と見ている。

3 (1849年1月 秩序党の政治と内部分裂・民主派の没落=6月事件 ~ 1849年10月 ボナパルト急進)

1. _革命の流れ_ おおよそ、ある党が他の党に寄りかかっていると、相手から裏切られて権力を奪われる、という構図で進行していったという話。プロレタリアの期待→小市民民主派→ブルジョワ共和派→秩序党→軍部(ボナパルト)
2. ※ポイントは…前革命の熱狂+ウィーン体制への不満=情緒主導だったり、ビジョンの無い様々なアクターが入り乱れて裏切りあって、実質的な進歩が無く混乱していた…愚かだった、という話か。政治的教訓としては、しっかりしたビジョンを持ち、一時的な感情に流されずに政権を構築しないと混乱に落ちてメチャクチャになる、というあたり。
3. _※マルクスが「大衆」的なもの、例えばボナパルトへの熱狂のようなものを把握していることが面白い。_ 彼はプロレタリア・社会主義者=革命思想に教化された人々を大衆象と区別しているが、その後を考えるとまさにこの大衆的なものが社会主義的な運動の失敗や失敗イメージと通じていくように見える。
4. ボナパルト派の議員は「秩序党の出来の悪いしっぽ」として現れる。
5. 野党第一党はモンターニュ派(社会=民主派)によって形成。農民+パリ住民から支持。最初は強力
6. モンターニュはは共和派の動きを「反動」つまり王政への回帰と単純化する(実際は階級等様々な要因)
7. 秩序党の母体は、_ブルボン派=土地…地主・教会、オルレアン派=資本…財界・商業_ マルクスはここに文化的な上部構造を見る。オルレアンはいわゆる「成り上がり」で、ブルボンの既得権的敵な文化背景と大きく異なる。本人たちは「王家への愛着」と説明したが、実際は利害関係の方が大きい。ここで「土地と資本」はブルジョワ=富裕層の二大既得権益。議会においてのみこの二つは強力できたことがポイント。
8. ※マルクス的に言えば、ここでは下部構造が上部構造を規定している
9. 実際、王政復古を考えているはずの秩序党は復古を延期し、ブルジョワ的な利益を追求していた。
10. 共和派へ協力しなかったのは=王権の下でしかブルジョワ的利益が守れないため… ※とマルクスは説明するが、ここには社会主義革命への視線が紛れ込んでるように見える。

11. 面白いのは、王権があると→ ①良好関係を見せて王権を通じ国民(大衆)の支持を得られる ②国民の不満が出てきたら、それをダシに王-議会の論争を行い、王を仮想敵にできる →_議会は決して国民の敵にならない_。共和制にしてしまうと、国民⇔議会という対立関係になってしまう
12. モンターニュ=民主派は労働者に接近・味方につける。社会主義者との和解。共同綱領の起草。革命色を排除
13. ポイント…モンターニュ派は市民・社会主義者を味方につけ「人間の諸権利」をめぐり秩序党と格闘するが、その実際は小市民(現代で言えば彼らはエリート層か)の枠内での利益の追求であり、革命や人権追求は目的ではないということ。
14. フランスはローマを砲撃。憲法違反。むちゃくちゃだった。
15. 「罠」…秩序党はモンターニュ派を罠にはめたという。ローマ砲撃を強行し、モンターニュ派をつっぱねたことで彼らは議会を去り、武装を唱え、結果軍部によって摘発・外交逃亡など四散させられる。49年6月まで。
16. ※ここでは再び __「社会主義者が拙速すぎて→直接行動に出て弾圧される」__ という流れが繰り返されている。まさにリベラルの愚かさ=短絡的で長期プランが無いことが災いし、結果一網打尽にされる、という流れであり、現代日本政治を見ているようでもある。「モンターニュ派が議会で勝利したいのなら、武器を取れと叫んではならなかった」
17. ※この地点から市民運動やネット運動を批判するのであれば、拙速に行動するほど短絡的に=愚かに見えてしまい、結果大衆は ①情緒的にしか行動できなくなりコントロールを失う ②知識層として大衆自身の愚かさに我慢できなくなる 一方で権力層・富裕層には不信を与え、コントロールの機会を与える。例えばデモ行進にもこうした側面がある。デモ行進そのものには示威行為としての直接的な意味はあるが、一方でそれが中長期的な戦略の芽を摘む。
18. ※この辺り、さらにメタに考えられないか? イメージや大衆・リベラルの内部不信という観点から
19. P71 ここに続く記述は非常に重要 民主派は「武器を取るぞ」と言いながら平和的なデモを行い、実際に武装していない。ここで権力が弾圧を加えると一瞬で瓦解してしまう。拙速=愚かであるということは、つまり無策であり、それは結局市民に対して致命的な弱点を与えるということ。
20. ※一言でいえば「大衆には分析と戦略がない」 ヴォネガットのマフィア天使の例を思い出しても良い

21. 以下、民主主義者の失敗について様々。結論としては「分析・戦略が無い」ため全てを見誤る。
22. しかし民主主義者は「恥ずべき敗北に陥ったことに…責任がない…敗北から…脱け出しており…勝利するに違いないのであり…立ち直ってくるのである」
23. ※付け加えるのであれば大衆には「反省がない」ただし、マルクス主義と異なり左翼もこのスパイラルに躓く
24. これは秩序党=第一党が行ったが、一方で最大野党=モンターニュ派の排除は「議会の不可侵性」の廃棄であり、結果議会を弱体化させ、大統領の相対的な権力強化にもなった。
25. 民主党の非難=ボナパルトのローマ遠征だったので、実質的にボナパルトの勝利。だが実際に戦ったのは秩序党。さらにこれでボナパルトはカトリック教会を味方につけた。イメージ戦略…隠遁者として。
26. ここで国民衛兵は再編され、民主党支持の軍関係者はアルジェリア追放・懲罰などで排除される。これまで国民衛兵の力は強く、革命への影響は大きかったが、ここで正規軍が前に出て、国民衛兵のは粉砕された。
27. 1849-10月から二か月の議会休会。ここでボナパルトは巡行でイメージ戦略。秩序党は安心して王政復古を企てる。「議会は非政治的にふるまった」

4 1849年10月 ~ 1850年5月 ボナパルト-秩序党の対立と政治。選挙権再制限

1. 1849-11 ボナパルトの新内閣通告。パロ(秩序派)を退ける。
2. パロ内閣はボナパルトにとって ①共和派排除 ②ローマ出兵 ③民主派排除 で利害一致 → もう不要になった
3. 将軍ドブール内閣 → 実質ボナパルトの傀儡内閣。
4. ボナパルトは金融界の大物フルドを大蔵省に、カルリエを警視総監にし、経済・警察を掌握した。
5. ボナパルトは…軽蔑され「彼自身の大臣たちが国民議会の演壇から彼に恥をかかせた」…無能と思われていた。
6. ブルジョワジーが実質的に権力を掌握・支配している。
7. 二つの法律 ①ワイン税 ②不信仰廃止の教育法
8. 「すべての(革新的な)ものは社会主義とされた」…マルクス=社会主義の旗手という立場に留意する必要があるが、秩序党=保守派に取ってのロジック=レトリックは、敵対する少しでも革新的な行為・法案を「社会主義」というイメージに落とし排除する、というプロセス。そもそもこの時代状況において、「市民的自由」は必然的に階級支配を切り崩してしまう。現在の「共産主義」スティグマと同じ。
9. そもそも議会政治や民主政治や討論というプロセスそのものが「平等」「自由」を指向してしまうので、彼らの保守的な思想も具体的な権益も議会が出来た時点でもうダメ…という矛盾に気づいたという話か。
10. 「ブルジョワジーは前には自分たちが『自由主義的』だとして祝ったものに、いまでは『社会主義的』という烙印を押す」

11. このアポリアで議会(というか秩序党)は機能しない。一方ボナパルトは「大衆イメージ」を強化する。具体的にはカネをどんどん労働者階級に融資する。
12. 「これほど月並みに大衆の月並みさをあてにした王位請求者はいなかった」
13. 1850年3月補欠選挙。社会民主派の候補が復活する。ボナパルト-秩序党の対立が、敵の存在で一瞬回復。ボナパルトは弱気に、秩序党に頭を下げたが―秩序党はこの機会を生かさず、民主党側も追及が鈍い。というか、「うわべだけの闘争」に人々を巻き込み、具体的な議会での攻撃は何も行うことが出来ない。
14. ※日本での政権交代の難しさというか、不可能性を感じる 構造。ポピュリズム的な熱狂・願いによって政権が奪取された場合、実務的な能力・構造(特に官僚との関係)の不足や、野党(つまり前与党)への攻撃の弱さ、自らの見方だったはずの民衆の不支持によって、新政権は必ず自壊する。民主党政権が生まれたとき、誰かは確実に予想していたことと思われる。
15. 重要 1850年、フランスは工業・商業的に繁栄、早い話が成長してたので、プロレタリアートは完全雇用されていた。そして「民主主義に従順に従い、一瞬の安楽に夢中になって自分たちの階級の革命的利害を忘れることができた」ので、選挙権の制限をヨユーで受け入れてしまった。
16. つまり…1850年5月のブルジョワの選挙制制限は → ブルジョワの(反動)クーデタ。
17. ※マルクスの 「階級闘争」の理論が現代において不可能であること は非常に簡単に説明できる。つまり、そこでの「階級」とは文化的・経済的・職能的・血統的な集団であり、利害を一致させた権力を持つクラスタを形成しているもの。「地主たち」と「労働者」の関係にある。そして現代における貧富の差というとき、富裕層側も、貧困側も、中産階級を見ても、どれもそうした「利害を一致させるクラスタ」というものは明確には存在しない。カルロス・ゴーンと前澤社長とBNFが長期的な利害・権力の一致などという状況は考えられないし、これらの個人を攻撃したことによって貧富の差は何一つ改善しない。貧富の差は社会構造的な階級ではない。
18. 選挙権の制限は、大統領選挙を優位に運ぶ改定とセット、「言い換えれば、大統領選挙を人民の手から国民議会の手にひそかに売り渡すために、あらゆることをしたのである」
19. ※これを読むと、例えば首相公選制なんかも含めて、選挙制度のアーキテクチャというのがどれだけクリティカルなものなのか、ということを思わされる。僅かな違いによって、政権そのものだけでなく、その政権の誰がどれくらいの権力・影響力を獲得できるか。そしてどのように行動するか、までを規定する

5 1850年年5月 ~ 1851年4月 秩序党の内部崩壊・シャンガルニエ解任・ボナパルトの権力拡大

1. ボナパルトは自分の給料を上げ、さらに追加費用を議会から可決する。
2. 1850-8~1850-11 議会休会。秩序党は変わらず王政復古の画策。ルイ=フィリップは8月に死亡。

3. 重要 ここでボナパルトは、自分自身の帝政の復古について巡行しながら語り始める。ここで「慈善協会」を設置、「身を持ち崩した人々」…没落貴族、浮浪者、除隊した兵士、出獄した懲役囚、日雇い労務者…「ボヘミアン」と呼ばれる人々。現在・将来に不安を抱くこうした大衆を支援する。「労働する国民に費用を負担させて自らに慈善を施す必要を感じていた」議会から得た費用はここで使われる。
4. 「年老いた、ずるがしこい放蕩児である彼は、諸民族の歴史的生活とその国事行為を最も卑俗な意味の喜劇として、大げさな衣装や言葉やポーズがきわめてけちくさい下劣な行為を覆い隠すのに役立つ仮面舞踏会として、理解している」 ※まさにトランプの政治が熱狂した理由を見ているよう。このときの「おれたち」は貧困層であり、「やつら」は資本を独占するブルジョワジーである。有名さを使い、演劇的な演出を用いて熱狂を煽り、希望を抱かせる。

5. 「12月10日会」一種の「新皇帝」支持の集団。共和制を敵としてデモなど行動。
6. ボナパルトは軍部を味方につけようとしたが、王政派のシャンガルニエと対立。軍部が二分される
7. ボナパルト、秩序党に妥協案を申し入れるが、その後大臣(内閣)⇔秩序党の間で様々に細かな闘争が繰り広げられ、関係は混乱し、議会は足踏みする。ローカルな、スキャンダル的な争いの連続
8. 宝くじ事件。ほぼ詐欺に近い形で宝くじ発行・資金を得る
9. 軍部の権力者=最大のライバルであるシャンガルニエを解任するために、大臣・軍部に根回し。
10. 1951-1月に新内閣。シャンガルニエ解任成功。議会は軍の後ろ盾を失い決定的に弱体化する。
11. ポイントは…人々が望んでいた「議会制民主主義」はほとんどここで打ち砕かれたということ。
12. 秩序党は敵(共和派・民主派)と組んで内閣不信任案を可決。しかし大統領は罷免できず、結果傀儡内閣が誕生しボナパルトの権力はさらに高まる。
13. さらに社会主義の恐怖を宣伝して煽り、「強い政府」を求めさせる。好景気から一気に不況になり、内閣復活

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1. 緊張高まり憲法改正の議論。ボナパルトは任期延長禁止を変えたい。秩序党はアポリアに陥る。
2. 改正拒否→クーデタが起き国民が支持しそう 改正賛成→共和党の拒否で失敗
3. 改正の内容についても、ここでの決断がブルボン-オルレアンの分派が衝突してしまう
4. 秩序党は憲法、王政をめぐり、2王家を合同させようとするが失敗、この過程でバラバラに分解していく
5. 憲法改正は共和派等によって否決。ボナパルトはその間軍部をさらに自分の味方につける。
6. ここで秩序党は、議会⇔外議会(=地方)、また議会⇔商業ブルジョワジーといったところに亀裂が深まる。
7. ※株価や国債価格 の反応が、ボナパルトの勝利とつながっているのが面白い。これによって商業・金融業のブルジョワジーはボナパルトを支持せざるを得ないということ。 この辺り、経済-政治の繋がりとして面白い。国の財政・国債の価格を通じて、間接的に(しかし強力に)金融業と政治が協力関係にあるということ。
8. おそらく国債=すぐに換金可能で安定な資産 →銀行が多く投資する →利子が商業・工業に融資、という流れ
9. ここにおいて、国債の利率が上がり安定すること=金融・商工業全体の利益であり、ボナパルトがそれを安定させ、議会がそれを不安定にさせるのであれば、どちらを支持するかは自明。
10. 時代は不況。憲法改正について政治不安定→議会を批判、黙って安定させてくれ、という圧力。

11. ジャーナリズムへの抑圧・攻撃
12. この時期、工業への不況が襲う(おそらく過剰生産)イギリスでは商業が不況。ポイントは債務=経済的な不安と政治的不安の両方があったこと。ブルジョワは混乱し恐怖し、将来どうなるか分かんない状況。
13. クーデタは常に口に出され、噂されていた。
14. 10月、普通選挙権の復活の教書。議会に否決される。人民=選挙権が与えられなかった人々の議会への反抗心
15. 1952年12月2日。ついにクーデター。議会の解散。普通選挙権の復活。反対的な軍部の拘束

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1. ブルジョワが社会主義・民主主義者を弾圧したまさにそのやり方で、ブルジョワ自身が弾圧されたこと
2. プロレタリア=社会主義者は、攻撃を受け、その後国民衛兵は武装解除される。
3. 最初のフランス革命の評価…結局官僚制が、ブルジョワ支配を準備したという話。自身の権力は弱く、結局支配階級=ブルジョワによって利用される。これに対し、ルイ・ボナパルトの革命の場合は官僚=内閣の勝利と分析。
4. ボナパルトは「フランス社会で最も人数の多い階級、分割地農民を代表している」
5. 分割地農民=(たぶんフランス革命で分割の土地を与えられた)自作農。フランスの大多数を占めるが、それぞれは孤立していて連関・連帯がない。「彼らの間に連帯も、国民的結合も、政治的組織も生み出さないかぎりでは、彼は階級を形成しない」 →例えば都市生活者、プロレタリアートあるいは地主層、商業層…のように、交流があり文化がある層では連帯・階級が発達する。
6. ※全く異なる話ではあるが、現代世界の市民社会=階級やそれに代わる集団性が形成されてない状況を思わせる。この辺りがブリュメール18日と現代を繋ぐポイントなのかもしれない。つまり「階級利害」が考案されないため、議会に対しての働きかけもない。
7. ※これも飛躍だが、コロナの状況の際に、職種よりも会社単位で、あるいは個人事業主ならその内容で、市民の利害はバラバラだった。ライブハウス経営であるか、小説家であるか、という違いによってダメージが完璧に異なった。食品製造業か、レストラン経営か。もちろん大企業-中小で傾向はあったとしても、そこに広い意味での「連帯」が生じることは想像できない。
8. ※結局、政治権力に対抗するような「階級の連帯」が生まれるのは、政治的・社会構造的に、その集団がある抑圧を受けている必要があるのではないか。一律の暴力がなければ連帯もない。だとすれば抵抗側は「より広い暴力」を仮構し暴きよびかけること。現代でいえば例えば環境問題における「未来からの簒奪」を思い出す。一方で弾圧側は、より暴力を極致的に、時間をずらして行うことでこれを回避しよう、という戦略を取れる。

9. 「彼らは自らを代表することができず、代表されなければならない」 →※サバルタン的な話。ただしここでは、農家の生活形態がそうなっている、という非常に具体的な話。
10. つまりここでの農民は、「私の痛み」を「私たちの痛み」にすることが出来ず、直接ボナパルトという表象を介してでないと他の農民とつながれない・連帯できない。
11. ※もっと抽象的にいうと、なぜ人間が奴隷・服従を好むのか、というところに至れないか。それは結果なのであって、実際は服従したくないが、連帯がメチャクチャ難しいのでそのカナメになる代表が必要になる(というか代表がいなければそもそも孤立する)、結果その代表は、力が無かったり善人だと誰かに代わられ、悪人だと支配構造を強めていき、結果自ら必要とした存在に服従することになる、というプロセス。

12. クーデタの後、共和派が蜂起を起こし、都市生活者、農民も参加した。しかし蜂起は統率を欠き鎮圧。
13. 革命的農民と保守的農民がいて、ボナパルトは後者の代表だったという話。
14. 一方で、農民が革命的にあろうとしたとき、常にブルジョワがこれを弾圧しまくってきたという話。つまり自分で蒔いた種だということ。
15. 「ブルジョワジーは、大衆が保守的であるかぎりは、その愚鈍さを恐れなければならず、大衆が革命的になるとすぐに、その分別を恐れなければならないのである」
16. ここはかなりコアな部分で、農民は最初の革命で農奴から解放されて自由を手にしたけど、結果分割地農民になってその形態が連帯をさせず革命的にもならず、その結果がボナパルトを再び皇帝にした。
17. 実際に農民は、土地を所有するようになったが、その後抵当権等で経済的に不利な立場に置かれていた?
18. 農民の話。過剰人口(つまり農家の次男坊)はここでは官僚に吸い込まれるとする。ボナパルトがアピールしたのがこうした人々。
19. 分割地農民という形式は、官僚と直接関係を結ぶ→小市民階級などの中間的な存在になりづらい=連帯しづらい
20. 協会は全体的には力を失い、ナポレオン治下では反対的な農民を監視する装置になる

21. 「3つのボナパルティズム」①農民 ②教会 ③軍部
22. 農民の絶望を味方につけなければ、プロレタリアート革命は不可能という話が挟まれる
23. 「カトリック教会を救えるのは、もう悪魔その人しかいないのに、お前らは天使を要求する」

解説(柄谷行人)

1
1. 「反復強迫の問題」との捉え方。
2. 例えば資本論は、経済的に資本主義が恐慌、景気循環を不可避的に(=構造的に)繰り返すことがテーマ
3. 「反復がありうるのは、出来事そのものでなく…形式においてである。…或る構造であり…」
4. 「ブリュメール~」は政治・歴史の反復強迫。王政の革命→共和制→帝政の反復が必然であったこと。
5. ここで「穴」つまり原因になってるが意識されない・隠されてるファクターを考える。資本論では「貨幣」
6. 一方「ブリュメール~」ではレプリゼンテーション(代表・表象)がそう。
7. この表象=代表の「穴」の一つは王=皇帝の座の不在。

8. 重要 「マルクスが『資本論』において解明しようとしたのは、貨幣によって組織されている幻想的なシステムである。それは経済的下部構造というべきものではない。逆に、それは経済的下部構造を組織しかつ隠蔽するような上部構造、いいかえれば、表象のシステムである」

9. 「代表制」がもう一つの「穴」。大きく言えば近代政治・議会制が構造的に持つ問題。しかも経済とリンク
10. 日本のファシズムは出来事的に見ると特殊だが、構造・表象から見るとブリュメールと同様に説明できる
11. 「ファシズムをボナパルティズムの一形態と考えている」「左翼の崩壊が先行する」

2 表象=代表の4つの問題
1. 一つ目、議会制=代表制の問題。選挙権を拡大したことで、結果独裁にたどり着いたこと。
2. エンゲルスは「階級闘争」を解説するが、「ブリュメール」はむしろそこから独立するメカニズム。

3. 重要 ここまで、農民の代表制の話を見てきたが、それだけでなく、商店主が民主党を支持している、あるいは地方ブルジョワジーが議会のブルジョワジーを支持している「ように見える」のは、むしろ代表された側がそう語ることで、実際はバラバラな人々をそう定義する、という反対のプロセス。代表関係は必然でなく恣意的。
4. ※現代を考えると、日米で比較すると面白そうだが、例えば民主党政権にせよ、安倍政権にせよ、特に都市の人々にとって議員が自分を「代表する」と考えることはもはや不可能なことに思える。都知事選挙においてもそうで、そこにいる人々が「自分と利害を共にする」と考えるひとは稀だろう。その意味で日本の90年代以降は「代表幻想」が市民レベルで解体してると言えそう。一方でアメリカ大統領選挙はどうだろうか? 特に外国人の場合、トランプ大統領が「アメリカを代表している」と語りたくはなる。むしろこのように、代表者とは外部の者から規定されるという側面があるのかもしれない。

5. 重要「重要なのは、社会的諸階級が『階級』としてあらわれるのは言説(代表するもの)によってのみだということ。そしてその場合、つねに代表するものと代表されるものの関係に恣意性あるいは浮動性がつきまとうことである」

6. ヒトラー政権、天皇制ファシズムは両方とも、普通選挙の中から誕生した。
7. 左翼はファシストが「ブルジョワの代表」と考えていたが、実際は大衆全体がナチズムに「代表」されていく。
8. 象徴界(=議会制民主主義)から排除されてる階級(=サバルタン)(=分割地農民)
9. ※つまり文化的にも生活的にも局地的にしか関連しない(21世紀における「クラスタ」)ため、利害の一致による連帯、国民的結合、政治的組織を生み出さない。よってこれを代表できるのは「支配する権威」とかれの与える恩恵としてしか表れない →完全にトランプ政権のように見える。
10. 日本では天皇。そこにあるのは神話などではなく、普通選挙になって「将軍」という支配する表象がなくなったこと(王の座=代表)の不在から、クラスタ化して連帯出来ない個人が「代表してほしい=社会とつながりたい」という欲求にこたえたもの。

3
1. 二つの代表的権力。「議会制は討論を通じての支配という意味において自由主義的であり、大統領は一般意思を代表するという意味において民主主義的である」
2. 単にシステムだけでなく、表象=人々のイメージ、捉え方にも大きな違いがあるという話。
3. 大統領制=演繹的=デカルト=真理は一般意思的に代表可能。最適解が存在する。
4. 議会制=他者間での合意・妥協の産物。どのような解も仮設にすぎない。
5. ボナパルトの勝利は「最初にあらわれた代表制の危機」で、その後の政治的危機の本質を先取りする

4
1. ルンペンプロレタリアート…単に浮浪者というわけでなく、「言説」で生きてる活動家的な存在。
2. 「ボナパルトはメディアによって形成されるイメージが現実を形成することを意識的に実践した最初の政治家」
3. 大衆社会のあらわれ、という意味でナチズムや80-90年代ポストモダニズムに通じるという話
4. このテクストの嘲笑的なレトリックそれ自体がもつ文学性。

5
1. 反復=模倣は既に始まっている。フランス革命もローマ帝国の模倣が行われた。
2. 「第一に、王殺しののちに成立した共和制があり、そこにおける欠落・不安定を埋めようとする運動が「皇帝」に帰結する。つまり、共和制=議会制そのものが皇帝を生み出すのだ。

6
1. 資本主義の問題。経済恐慌とボナパルトの躍進。
2. ルーズベルト=ボナパルティスト。「実質的に二大政党という枠組みを壊したのである」
3. その後、大戦や冷戦における歴史の反復。経済との関連について。
4. ※ここでのボナパルティズムとは、実際は妥協の産物で中身が無いにも関わらず、目の前にある解決不可能な問題・裂け目をまるで止揚して解決しているように見える(=全国民を代表できるかに思える)代表者が選ばれること。実際的には経済の解決を叫ぶ。
5. 「こうした危機において、旧来の代表制が機能しえないことはいうまでもない。われわれが予測しうるのは、こうした危機の想像的的解決を唱えるボナパルティズムの出現である」


時代概観

1. 1848-2~1848-5 …「二月の時代」二月革命で暫定政府発足。選挙法改正・金融貴族打倒。市民の勝利
2. 1848-5~1849-5 …共和制+憲法制定国民議会。共産主義者・プロレタリアは敗北・排除。
 1. 1848-5~6  ルイ・フィリップ排除→六月暴動まで
 2. 1848-6~12  ブルジョワ共和派支配
 3. 1848-12~  ルイ・ボナパルト大統領当選・共和派(憲法制定議会)没落。秩序党が与党へ。
3. 1849-5~1851-12 …立憲共和制-立法国民議会の時代
 1. 1849-5~6    民主派とブルジョワジーの闘争。民主党派の敗北
 2. 1849-6~1850-5 秩序党(王政支持連合)の独裁。普通選挙停止
 3. 1850-5~1851-12 ブルジョワジーとボナパルトの闘争。ブルジョワの崩壊

アクター整理

 1. ブルジョワ共和派 二月革命後の政権。マルスト、カヴェニャック、ラマルティーヌ。新ブルジョワ。
 2. 大ブルジョワ
 3. 秩序党 ブルボン+オルレアンの王政支持者。保守派。内部対立が弱点。ユゴー。ルイに裏切られる形。軍部も
 4. 共産・社会主義者 ブランキ等。1848-6月の6月暴動でブルジョワ共和派に排除される
 5. モンターニュ派 社会=民主派。農民の支持。
 6. ルイ・ボナパルト
 7. 国民衛兵 中流市民による民兵組織。軍と別。

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