教育実習の思い出 4 ズタボロからの現在
教育実習は授業の一つとして換算され、成績表には点数が提示された。
教育実習先の教員たちと学部の担当教授で話し合い、点数を決めるそうだった。
私はまさかの100点だった。
大学に入って初めて100点を取った。
しかも同級生に100点を取った人はいなかった。
アスペと呼ばれ馬鹿にされていたダントツ劣等生だった私が、教育実習の成績だけはまさかの1位。
嬉しかったしますます教員になるモチベーションが高まった。
しかし、結局教員にはならなかった。
圧倒的に頭が足りなかったのだ。
学部の同級生たちと頑張って勉強し、実技試験の対策も施し、圧倒的な出来の悪さをみんなから馬鹿にされても心折れずに必死に食らいつき、いくつかの自治体の試験を受けたが、見事に全て落ちた。
絶望した。
そして全てのやる気を失った。
もう全自治体の教員採用試験は終わり、諦めて一般就職へと切り替えることとなったが、何をしたいのかがわからない。
教員以外の選択肢を知らなかった。
知ろうともしなかった。
そして教員にならないのなら意味がないと思い、教員免許の申請をすることもやめた。
せっかく教員になるために大学に入ったのに、教員にならない上に何の免許も取らずに大学を卒業することにしたのである。
貧乏な家庭であったにもかかわらず教員になりたい!と言って大学に入れてもらったくせに。
本当に親(というか祖母)不孝者で最悪だと思った。土下座したくなった。
しかしやる気はなかったので就職活動もしなかった。
本当にどうしようもない。
結局卒業してからは1年間フリーターをし、適当な地元企業の販売員をしたり、適当な派遣をしたり、紆余曲折を経て今は嫁ぎ先でまともにOLをしている。
本当に出来が悪くだらしなくて自己嫌悪に陥ってばかりいたが、一昨年例の彼と出会って教員免許を取ってから、ようやくこの人生でよかったのだろうと思えるようになってきた。
大学の同級生のSNSを見るたび、順調に教員生活を送っているのを見ると、羨ましいと同時に無性に腹が立つことがある。
出来の悪い私のことをアスペと呼んでイジるような女たちが教員をしているという事実に苛立ってしまうのだ。
結局教員採用試験に受かったのは、バイトをしたことがなく、家が太くてお金に余裕があり、私のことを馬鹿にするような強いメンタルを持ったお嬢様ばかりだった。
私は自分みたいな育ちの子供を救いたくて教員になりたかったのだけど、頭が悪くて叶わなかった。
勉強ができなかった自分、できるように頑張れなかった自分を情けないと思った。
大学時代私を馬鹿にしていたあの子たちは、教員になった今、私のような子供のこともちゃんと愛して救ってあげられているのかなと思う。
そんなことを思うたびに、また教員になりたいという気持ちがぼんやりと蘇ってくる。
私によって救われる子供が、私を待っている子供がどこかにいるのではないのかと感じる。
今までは「でも教員免許持ってないし試験は受けられない」で終わっていたけど、今の私にはもう教員免許がある。
試験を受けたいと思ったらもういつでも受けられる状態なのだ。
いつかまたその気になったら、教員になる日が来るかもしれないし来ないかもしれない。
どうなっていくのかはわからないけど、これからも私らしく楽しく生きていきたい所存である。
終わり
我ながらかなりパッとしないnoteだったと思う。明日からは面白い元カレの話でも書こうと思う。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?