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かつて獣のいた街

 ひっくり返った車から這い出てきた男は血まみれだった。
 男は道路の真ん中でゆっくりと立ち上がる。身の丈は2メートル近くある。夜の街の中空に躍る立体広告が、男の巨体に緑や紫や桃色を投げかけた。

 車から煙が上がっている。歩道には既に人だかり、写真を撮る者に配信を始める者。「え~今、新澁谷の駅前です! 車が暴走して! マジで大変です!」
 冬。野次馬たちが厚く着込んでいるのに男は半袖にジーンズ。長髪の垂れた肩は大きく上下し、筋肉で硬く膨らんだ体から湯気が立っていた。

 派出所から巡査たちが駆けてきた。若手に野次馬と車を任せ、ベテランの根津が男に近づいて声をかけた。
「あんた大丈夫か? ひどいケガだが……」
 横になっていた方が、と言っていると内耳無線から声がした。副署長の伊野の声だ。こめかみを指で押し応答する。

「根津巡査。今、事故の現場だね」
「そうです」
「車の周辺に長身で黄色い目の男がいたら、即座に射殺してくれ」

 根津の息が止まった。男を見た。男は根津を見ていた。目が合う。赤く濡れた顔の中、瞳は黄色く光っていた。
「何故そんなことを? 男は私の前にいますが、ひどいケガで──」
 そこまで言って根津は気づいた。
 男の頭、肩、胸、どこにも傷などひとつもない。
 これは──返り血か?
「根津さんっ」車内を覗いていた警官が叫ぶ。「そいつから離れてくださいっ」
 思わず一歩下がる。
 黄の瞳に殺意が走った。
 男は一瞬で飛びかかり、根津の首に歯を突き立てた。
 歩道から悲鳴が上がる。走り逃げる野次馬たち。根津は激痛に耐え銃を抜き、男の腹に密着させて引き金を引いた。

 ぽとん、と弾は路上に落ちた。
 弾丸は男の肉体に負けて、みじめに潰れていた。
「そんな」と呟こうとした根津の喉を、男の歯が噛み砕いた。



 無線が切れた。
 伊野は署の廊下でしばし呆然と立ちつくした。
 懐から電話を取り出す。指が震える。
「……もしもし。お前んとこの “ 犬 ” が逃げ出したぞ……どうするつもりだ?」





【続く】

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