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ケイコ 目を澄ませて

2022年12月16日公開。岸井ゆきの、三浦友和出演。三宅唱監督作品。99分。

恵子はホテルの清掃の仕事をしながら、ボクシングジムに通っている。プロテストも通過した。彼女は聾だ。それでも職場やジムではハンドサインや相手の口の動きをじっと観察して、ちゃんとコミュニケーションをする。ときどきマスクの下の表情がわからずに戸惑うこともある。

ジムの会長は経営と健康面の両方で翳りを感じている。先行きの不安さと、それでもじわじわと過ぎていく一日の積み重ねは人間を鈍らせもするし、研ぎ澄ませてもいく。ずっとボクシングを見てきた会長は、少し躊躇いながらもシンプルにこのジムをたたむことを決める。

16mmフィルムが日常のふとした瞬間を切り抜く。寝起きのケイコ、鏡の前のケイコ、彼女の佇む夕暮れどきの河川敷、練習ノートに書かれた一言メモ、全てにちょっとずつ野生の思考が漏れていて、過去とも未来とも切り放されている。2020年頃、人はなんとなく1人の理性的な判断というものがいつもより尊重された毎日を重ねていた。だからこそ日々にふと訪れる、野生の思考がよぎる1人の時間に戸惑いながら進んだ。未知の思考は多くの感情をコミットさせたけど、雑音と不確実さに耐えられずに変わってしまうものを見ていた。

べつに誰のためでもなくはじめ、いちど休もうと思っていたボクシング。だけど、ケイコはジ厶閉鎖前の最後の試合に臨むことを決める。会長は、はるか前を歩くセンパイではない。横にいて耳の聞こえないケイコに話しかける、ただ鏡の自分をじっと見ているような存在。それでもなにかを感じ取ったあの瞬間、ケイコは自分が周りにとって稀有であるが故に受けていたと思っていた周りの感情を流すことなく、受け止めようとする。いや、むしろそうした感情に向かっていく姿勢に変化した。逃げたくない自分のなにかをあの瞬間に見てしまったから。

誰でもいつもはきっと、ボクシングのような辛く地道な日々でもないし、毎日鏡の自分と向き合わなければならないというわけでもないだろう。日常はあの頃からずっとシームレスで続いているし、これからもそうだろう。それでも、直接対面で話したり食事したりする機会が極端に減ったあのじかんと対峙した1人の感情とは結局、ケイコのような静かな闘志だったと思う。岸井ゆきのさんの演技、ケイコに伝えるようとする周りの感情は映画でしか表現出来ない、現代アートだ。


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