芦田愛菜だお。

友達と料理する予定を3回連続でドタキャンされた時。
一生懸命アポイントを取った相手から突然メールの返信が途絶えた時。
自分の書いたものが全く読まれていないことがずいぶん後になって発覚した時。

圧倒的温度差を感じる場面が多すぎて風邪を引いて寝込みそうになる。
なんでわかってくれないの?とつい言ってしまいそうになる。

でも毎度この言葉が私を引き止めてくれる。

「その人自身を信じているのではなく、自分が理想とするその人の人物像に期待してしまっていること。裏切られたというけれど、その人が裏切ったというわけではなく、その人の見えなかった部分が見えただけ。見えたとき『それもその人なんだ』と受け止められる揺るがない自分がいるというのが信じられるということ。しかし難しいので人は成功した自分の人物像にすがりたい」

芦田愛菜最高すぎかよ。
だけど愛菜ちゃんはどうやったら期待をせず信じることができるのか言及はしていない。

私が最近導き出した結論。

それは相手に自分と同じ熱量を期待するほど必死に頑張れるものは、自己犠牲を伴う場合でも、突き詰めていけば他の誰でもない自分が好きでやっていることに過ぎないということだ。

期待というのは自分がある対象のものに対して労力、時間、お金、愛を注いだ時にだけ起きる。
期待をしないことは、働かず眠り、暇を持て余し、対価を払わず、ずっとひとりでいることだ。

労力、時間、お金、愛を注ぎたいと能動的に思えることがあるだけで十分に幸せなことなんじゃないかと思う。

誰かに認められなくても、誤解されても、わかってもらえなくてもいい。
未来の自分と大切な人に誇れるように、今できることをやりぬく。
いつかこの想いが通じたらいいな、とほんのすこーーーしだけの期待を胸に、その覚悟を持つことが信じることへの一歩なのかなと思う。




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