Mirror

母はよく私に言った。
周囲はあなたを映し出す鏡なのよ。
人や状況は変わらない。変えようなんて烏滸がましい。
あなた自身が変われば簡単にそれが変わるのよ。

言われた当初は、あまりピンとこなかった。

どう考えても相手が悪いとしか思えない時。
理不尽な目にあった時。
努力が報われなかった時。

不運で起こったこと、相手の非が全て私に原因があるなんて信じたくなかった。他人関係なく努力した分、必ず自分に帰ってくると思いたかった。

でも留学に行ってようやく母の提唱する鏡の理論を実感を伴って理解できた気がする。留学すると自分と向き合う時間が増えるとはよくいうもんだが、それはきっと鏡に映るreflection of your selfと向き合うことなんだと思うようになった。


家族、友達との何気ない時間、何もしなくても出てくるご飯、沸いたお風呂、自分のキャラ、得意技。
これらは全て自分の力で得たものではない。
なんとなく生きて気づいたらそこにあったもの。
または偶然に出会った人たちが恵んでくれたものでしかない。
自分が努力して得たものであっても、結局全て努力ができる環境、頑張れるだけの興味、熱意を引き出してくれた周りの人のおかげなのだ。

〇〇ができるから、私は大丈夫。
〇〇があるから、私はすごい。

環境が与えてくれた能力に自惚れることが自信を持つことではない。
所詮できる自分像は簡単に崩れてしまう虚像でしかないのだから。

留学に行くとそれがよくわかる。
日本では持てたもの、周囲の人から享受していたものが0になる。
周囲が与えてくれていた存在意義に依拠せず
丸裸の自分で戦わなきゃいけない。
今まで甘んじてきたfixedな環境の影響が皆無になる代わり、ありのままの自分が面白いくらいに身の回りに反映される。
自分の気持ちの持ち方、考え方、人への接し方を少し変えるだけで
見える世界が180度変わる。
そう、留学で起こる出来事はあなたの内面、inner selfを映し出す鏡なのだ。

例えば自分に興味を持ってくれて近づいてくる人。

私自身を知ろうとしてくれる本当に優しい人もいるが、中には大和撫子のような日本人女性のステレオタイプを期待して近づいてくる人もいる。
言語がネイティブじゃないと、どうしても受け身になりがちになって後者と付き合う時間が長くなるが案外これが辛かったりする。
でもその選択をしているのは自分だし、言語能力を言い訳に行動しない怠惰な自分が周囲の人間関係にそのまんま映し出されている。
魅力的だと思う人に自分から話しかけて知ろうする。
拒否されても自己開示していく勇気を出す。
さすれば自然とそういう人が集まって人間関係もよくなるし、何より自分を好きになれる。

人だけではない。自分がやりたいこと、好きなことに関してもそうだ。

留学に行く前にやり残したことはなんだ、留学先でも何か特別なことをしなきゃと焦っていた去年の夏が懐かしい。
生き急いだ結果、8月いっぱいずっと体調が悪くて最後に友達と会う約束をほぼドタキャンすることになった。
いろいろな情報を漁りパソコンをじっと見つめては、鬱状態になっていた自分うける。笑
今もそういう衝動に駆られる瞬間はあるが、すぐに己を取り戻せる。
have to よりwant toだと思えるからだ。
声に出すことすら恥ずかしく、現状で満足だと言い聞かせていたが、
自分はこれが好きなんだ、私はこんな人になりたい、と声に出すだけで同じような志を持つ人が集まってくる。ダンスサークルを結成することはできなかったが私の試みに興味を持ってくれた人が繋いでくれた出会いや友人の存在は大きい。

早寝早起きをして日本で所属していたサークル会議に参加をする。
日本の活動をして留学の時間を無駄にして、ある意味すごいわっていう姉の戯言なんて知ったこっちゃない。どこにいようと関係ない。
ここでしかできないこともやるし、ここではできなくて諦めていたことも欲張ってやりたい。それが私だ。

やりたいものをやりたいと声に出すことがどれだけ大切なことなのか。

言葉の鏡人はそれを言霊と呼ぶ。


ちょっとした行動や言葉。そういう小さな積み重ねや選択が人生を大きく変えると実感とともに学べたことが今回の留学の一番の収穫だったと思っている。


風邪をひきまくり、自信が壊滅的になかった去年。
私は自信を持つことの意味を随分長い間はき違えていた。

自信を持つことは決して
〇〇ができる私という虚像を見て安心することではない。
〇〇は脆弱だ。
ある日突然〇〇が通用しない世界に行ったら。
忽然と消えて無くなってしまったら。
人は〇〇を他のもので埋める終わりなき戦いに出る。特別な何者かにならなければと(have to)焦燥感に支配されて自分がやりたいこと(want to)を見失うのがオチだ。

本物の自信をつけるのは、いかに何気ない日常のなかで自分を大切にできるかにかかっている。今の自分が好きでいれるかと自問自答を繰り返し、それに対して誠実であることだ。上手くいかなかった時も、できなかったことに対して落胆するのではなく失敗した後にどんな行動をする自分が好きになれるか。それだけだ。

鏡の中の虚像を疑い、その虚像を通して本当の己を見つめる。
何も恐れずに素直な心を鏡に曝け出し、起こったことは全てその心の反映だと潔く受け止める。

それができる人は誰よりも強い。
私はそんな人になりたい。


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