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一時帰国という謎の行事

 一時帰国は義務でもなく、さらに旅行でもないと私は感じる。移動時間と距離の果てしなく長い里帰りだろう。一昨日の夜、3週間ぶりにアメリカのわが家に帰宅した。大晦日にフライトして3週間を夫の実家、私の実家(の周辺)で過ごした。出身地の東京では1週間みっちり昼食は誰々、夕食は誰々、と知り合いに会って皆さんの近況を伺った。待っていてくれる人がいることのありがたみが沁みた。後半は祖母の家に泊って祖母と同じ部屋で寝た。「次にいつ会えるか」と別れるときに玄関でいつも抱き合って涙を流す祖母には思わず「半年後に帰るから」と言い切ってしまった。今年87歳の祖母と時間を過ごすためにも、今年はモリモリ働いて飛行機代を貯めたい。
 3週間も日本で過ごすとすっかり”日本に住んでいる人”に戻ってしまったようで、帰宅してもまだ自分の家だと思えない。家の匂いも初めてこの家に足を踏み入れたときと同じに感じる。

疲れて頭真っ白の状態で食べた食事 $30(チップ込)
ドルで支払っているので日本円に換算するのはやめよう
成田空港で上うなぎが食べられる値段だなんて考えるのは野暮だ


 とはいえすでに私にも(夫以外に)アメリカで待っていてくれる人がいる。アメリカの乗り継ぎ空港に到着して税関で1時間半も並んだら乗継便を逃した。さらに別便の手配が可能か確認するためにカウンターに1時間並んでいるとき、護身術の先生からメッセージがきた。「もう着いた?日本はどうだった?」と。帰国日を覚えていてくれたなんて、と感動した。カウンターで並んでいる間にメッセージをやりとりして、またクラスで会おうと締めくくった。ご自身の仕事も私生活も秒刻みで忙しい彼女は他人のことも深く思いやれる人で、その懐の深さを見習いたいと思って・・・はいる。乗り継ぎ空港は幸いなことに居住する州内だったので、次の乗継便を9時間空港で待つ代わりに夫が車で迎えに来てくれた。数時間ノンストップで走ってくれてありがたやありがたや。しばらくぶりに夫の顔をみて、私の家は日本でもアメリカでもなく彼といるところなのだと再確認した。
 さて明日から新しい職場でのシフトがさっそく始まる。家族は「そんなに急がなくても」と体調などを心配してくれたが、私としては早く日常に戻ることがなんとなく安心につながる。自らの日常を健全におくるよう努めることが護身術の先生のように他人を思いやるゆとりを生むとも思う。私の実家には問題がさまざまあり、非常に悩ましい。日本に帰ることを躊躇すらしてしまうほどだ。アメリカに住めばフィジカルに問題から離れられることも多い。今回の帰国で思わず碇シンジくんが頭に浮かんだ。逃げていないで向き合わないと。向き合わないといけないわけではないと思うが、きっと逃げた分の時間とその影響を後悔することになる。アメリカに到着して翌日、朝食の片づけのあと真っ先に私の重大な責任を一つ果たした。ハチドリ用の砂糖水の設置だ。お待たせしてごめんなさい、とつぶやきながらフィーダーを天井に吊るしたチェーンにかける。1時間も立たずに常連さんが戻ってきてくれた。そして若いツヤツヤした一見さんも見かけた。またよろしくね。