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最後のチェック(小切手)

 私が働いて得た給料のうち、当日に現金で得られるチップ収入は夫との外食や趣味の鳥グッズ集め(見つけたのちスルーする能力が備わっていない)に費やしていた。半月に1回チェック(小切手)で受け取る給料はそのまま貯金して夫に渡すことになっている。なぜなら来月アメリカの我が家を訪ねてくる私の両親の旅費を私が負担することにしたからだ。すでに夫にすべて支払ってもらい、肩代わりしてもらっている状態だ。知り合いの多くに「そんなにまでするのか」と驚かれたが、私としてはもう十分すぎる以上に私の学費やらなにやらにこれまで費やしてくれた両親には”お返し”していきたいと思って新卒以降、給料でもって旅行などをプレゼントしてきた。ということで、今回の渡米も慣れない長距離移動なので奮発して足が延ばせる席のチケットをプレゼントした。だから必死で働く必要があるわけである・・・
 昨日レストランに出向いて最後のチェックを受け取ってきた。レストランに付くと元同僚たちが出迎えてくれた。相変わらずスーパー暇そうだった。最近めっきりサボり魔のシルビアさんは私を見つけるや否や「いつ戻ってくんのさ!」と笑顔で冗談を飛ばす(冗談ではなかったのだが)。マネージャーに会うと申し訳なさそうにしていた、というより訴えられるのが怖いのかもしれないとも思った。解雇された導火線0mmスシシェフは解雇されてから2日ほどで数百km離れた大都市に同じくスシシェフの仕事をみつけて引越ししていったそうだ。どうやら家族もなく着の身着のままの流浪の民?という様子だ。英語も話せずマイノリティが極限に少ない町で家族もいなければ、仕事場で煮詰まっていってもおかしくはない。きっとこれまでもそうやって流れてきたのだろうと推測した。同僚から引き留められると「また戻ってこようかな」とも思った。とはいえ、元来の予定では夏ごろにはコミュニティカレッジの仕事に移行するはずだったので長期間勤める気はなかった。
 この元職場を訪れるまえに音沙汰のないコミュニティカレッジの未来の職場(学習支援室)に立ち寄ってみると、なんと去年12月に私を面接したマネージャーは辞めてしまっていないという!!あまりに驚いてカタコトになってしまったが、その場にいた担当者にお願いして手続きを再開してもらうことになった。いやしかし、昨年12月に働くことが決まってから・・・そうこうしている内に1年経ってしまいそうだ。コミュニティカレッジの仕事の前にレストランで働いたことから英語力も飛躍的に向上し、胸を張ってアカデミックな場所でも働けることは前職で得た一番の恩恵だ。
 そして様々な場面で耳にする言葉だが、”アメリカでは情報は足で稼ぐ”必要がある。なにかを待っていても基本的に先方からやってはこない。すべて家から一歩踏み出してみて出会えるものである。
 この地で仕事をもっている夫よりも専業主婦状態だった私の方が護身術クラス、ESL、レストランなどで知り合った人(同僚や常連さん)と知り合いになることが多く、ついに街で歩いていて知り合いに「あ!ミルクコーヒーじゃない~!」と発見されることが増えてきた。レストランの常連さんにも会う。さすがこじんまりサイズの街である。それは駐在員として必死に働きながら夫としても頑張ってくれている夫の功績なしには語れないのだが、ともすると「もしかして私仕事さえあればここで暮らしていけるのか・・・」と自分の成長を錯覚してしまいそうにもなる。とはいえ、親友と離れているのがつらくて仕方がないのも事実なのでちょうどいいところで引越ししたいのが本音だ。