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【Shake it off. vol.059】 Don't get your hopes up, But…

17日に誕生日を迎えました。昨年の誕生日とは全くと言っていいほど違う想いと過ごし方をさせてもらって、それはそれでとっても新鮮だった。でも本当に面白いことに、(ここは昨年同様)やっぱり思い描いていたこととは別の現実がバシッと現れたりするもので。



一年前にも感じていたことを一年後にも心底感じる羽目になった。そこで31歳のテーマに“期待しない”がめでたく加わることになったのだ。

自分でもこれまた驚くことに色々なことに期待していることが結構多いことにギョッとしている。昔ほどではないだろう、少しは手放せただろう、と思っていたから尚のことギョッとを通り越してゾッとしている。対象が人であるなら本当今すぐsayonaraした方がいい。その代わり“足るを知る”を空いたスペースに加えよう、そう今すぐ。



見えていないことが多すぎる


期待を手放せていない場合、多くの温かさや優しさ、そして愛を見逃しているんだと思う。本当はこれらで溢れているはずなのに足りないものばかりに目をやっていては気が付けるはずがない。視野がとっても小さくそして狭くなり、余白というものがないんだから。

それだけは、それだけは避けたいと31歳になった私は強く思うのだ。見逃してしまう世界を作り出すんじゃなくって、見たい世界があるからこそ足るを知り、余白を自分に与えたい。余白がなければ入ってくるべきものも入って気やしないんだから。

でも“期待する”ことの裏には、“信じている”というものがセットであると私は思っている。現に私がそうだったから、そこだけはここで付け加えさせてほしい。




裏切るくらいなら、信じて期待したって良くない?


矛盾が多いのは承知の上。

でも期待が全て悪かって言われたら、私はNo‼︎と大きな声で言いたい。(これはどこか甘えなのでしょうか)それだけ期待した自分はきっと、対象となるものを信じていたからこそだったとポジティブにも捉えることができるんじゃないかなって。信じていたことが事実なら、その期待も対象への愛だよねって思うから。それで例え傷ついても信じた自分を褒めて、期待した自分を誇りに思って欲しいし、裏切るよりよっぽど健全だわ!なんて思うわけで。

矛盾が多いのは承知の上。

ただこれらを都度時と場合で使いこなせるようになっていくことが31歳のテーマであり、人生の修行かもね、と思っている。要は中庸ということに毎度収まってしまうのは近年の私のテーマでもあるから。いろんなところでこの中庸を感じる場面ってものが増えて、最近では人にも言われるようになった。

“最近バランス良いよね!”と。

どれだけ今までバランス悪かったんだろう…とこれまたゾッとするが、成長を見守ってくれて時に甘えられる人たちが周りに居るってことは大変有難く、感謝しなくっちゃいけない。まだまだジャーニーは始まったばかりで、未来がどんどん楽しみで仕方ない。




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