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自炊のよさ

自炊にハマっている。社会人になって10年強、まったく自炊をせずに外食&コンビニで生活していたんだけど、いくつかのきっかけがあって、自炊を始めるに至る。そのきっかけの話はおいおいするとして、まずは自炊の効能についてである。

健康
言うまでもないけど、外食やコンビニ飯と比較して圧倒的に野菜の摂取量が増える。外食産業はほぼ、炭水化物産業じゃなかろうか、というくらい、外で食べるごはんは、炭水化物が多い。太るのも当たり前である。尿酸値があがるのも当然である。野菜を摂ると、やせる。体の調子も整う。お腹の調子までよくなる。「このまま外食続きでは、いつかは身体を壊すのではなかろうか。その前に料理の上手な人と結婚した方がよいのではないか」などと前時代的な悩みを持つ必要もなくなる。自炊は、健康にとてもいい。

心の平穏
自炊をするということは、生活をするということである。つまり、仕事や、遊びといった、「ハレ」の活動だけでなく、「ケ」の部分を捨てないということ。このことによって、一段階、現実認識のレイヤーが上がるというか、「ああ、仕事を失敗してしまった。だけど、俺には生活がある。今夜は焼きそばでもつくったろかしらん」みたいに、心のスイッチを切り替えられるのである。これは予想外の効能であった。それに、毎日規則正しく朝ごはんを食べることによって、健康を積み重ねているという自意識が働き、生命に対する「正しさ」のようなものを感じることができる。自己肯定感がバリバリに高まる。自炊は、心の平穏に、かなりいい。

創造性
料理と自炊はちょっとちがう。料理がクリエイティブな営みだとしたら、自炊はルーチン業務であり、事務作業に近い。そうでないと続かない。だが、そんな日常的活動であっても、この国には旬があるため、安い食材は日々変わっていく。その時々の旬を、どう日々の自炊に反映させていくか。ここに創造性が介在する余地ができる。冬は白菜がうまい。鍋にしようか。きのこをいれようか。冷蔵庫の中身を脳内で検索しながら、適当におかずを考えるのが楽しい。ごちそうをつくるわけじゃなく、あくまで自炊の範囲内でストレスなく楽しむことがコツだ。さらに、インスタなどに投稿することで記録になり、記録は継続を手助けしてくれる。レコーディングダイエットという手法のように、ただ記録するだけなのに、なんとなく継続しなくては、という気持ちをつくってくれるのだ。いいねがついたり、コメントがついたりといった反応によって、ほんの少し向上心がうまれる。次の工夫を考えるようになる。そうやって少しずつ、ハマっていく。さらに、写真を撮るようになると、器が気になってくる。そうやって少しずつ、新たな生活への好奇心が広がっていくのだ。自炊は、創造性を刺激してくれる。

交流
自炊写真をインスタにのせたり、人と話していくうちに、(主に女性との)会話が活発になる。日々の買い物の悩みや工夫。何を大切にしているのかなどの料理に対する意識の披露。多様な価値観に触れることで自分自身の中の感覚が研ぎ澄まされる。スーパーで買い物する人の肌感覚がわかってくる。これは、消費を促進する広告業にとっても、かなりプラスになる。東京で働き、外食や残業が当たり前の自分が、地方に住み、家でご飯をたべるのが当たり前の人の気持ちをどこまでリアルに想像できるかが、広告制作の精度をあげる。提案の説得力をあげる。自炊は、社会との新たな交流を生む。

経済性
当たり前だけど、自炊は安くつく。朝、晩と自炊だと、ランチの千円がとてつもなく高く見える。サラリーマンがランチに費やす金額は生涯で1200万円だとか。このままいくとお弁当をつくってしまうかもしれない。安くつくだけじゃない。もうひとついいことがある。それは、金銭感覚がチューニング(調整)される、ということだ。外食が当たり前だと、1000円の価値がどんどん下がっていく。当たり前のように数千円を支払い、夜のどうでもいい外食で、4,5千円を払った上で、もう一軒いこうなどと言い出す。別にたまの打ち上げや、久しぶりに会う人との会なら全然かまわない。ただ、それをやった上での満足度の話である。QOL(クオリティーオブライフ)の話である。その千円があれば、スーパーでとてもいい買い物ができる。いい黒豚が買える。高騰している野菜も変える。贅沢にいちごまで買えるかもしれない。スーパーでの基本単位は100円だ。その中で高い安いお得などを判断しながらレジに並ぶ。この感覚を持っていないと消費者キャンペーンは考えられない。ただ安くつくというだけじゃない。自炊は、経済性が身につくのである。

以上、自炊のよさを思いつくままに列挙した。そして、もっとも大切なことは、いかに自炊をするに至ったか、また、いかにそれを続けられるべく工夫しているかである。このことを話す上で重要な参考文献がある。

NHKでおなじみ、土井善晴先生の著書「一汁一菜でよいという提案」である。

この本のよいところは「料理だからといってめんどくさいことを毎日やるのは大変だから、一汁一菜でよくない?」という非常に都合の良い提案をしてくれているところである。それも、ちゃんとした料理家の先生が。

画期的なのは、出汁とらなくてもええやん、のくだり。なんらかの食材をぶっこんどけば、出汁はでるもんなので、とにかく何かしらを水で煮て、味噌といて、ごはんと食べとこ。という簡単さ。

これに感銘を受けて、実践してみたところ、平均して7分くらいで料理が終わる。冷蔵庫からカット野菜、ベーコン、たまご、乾燥わかめなどを出し、茹でる。冷凍ごはんをレンジに入れる。味噌をとく。チーン、完成。以上、7分。このスピード感はクセになる。毎日続けられる。やるかやらないか迷ってるうちにできてしまう。時間がない朝とはいえ、10分くらいはある。写真だって撮れる。

じゃあ、どうして、そもそも、この本を買って自炊をしようと思い立ったのか。きっかけは、帰省だった。久しぶりの実家で供される筑前煮や雑煮。ゆっくりとつかる風呂。これらに感化され、こういう生活を大切にせなあかんなあ、と思ったのである。

さらに、もしかしたら、これもきっかけなのではないか、という出来事がある。墓参りである。それも、誰にも何も言わず、不意打ちでの墓参り。花も線香も持たず、ただ墓石を洗い、無心で拝んだ。そうすると、なんということでしょう。心がスッキリとして、ひとつの区切りというか、今日からまた新たな人生でっせ感が、むくむくと湧いてきたのである。そうして、今まで目を背けてきた自炊や湯船にお湯を張っての入浴など、「生活」に興味がわいてきたというわけである。35歳という健康の曲がり角、人生の中継地点において、なんらかの啓示的なできごとであり、自分の中では大きく意味のある意識の変化として、前向きに捉えている。

もし何か、現状を打破したい、人生のギアを変えたい、という悩みや考えのある人は、墓参りに行ってみるのもいいかもしれない。

自炊や入浴や徒歩など、
シンプルな生活の営みを
愛せるようになる、
可能性が、あるから。

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