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愛犬が死んだ。悲しいって感情がそのまま表に出るってこういう感じか。

2024年もすでに2ヶ月目を迎え、私も帰国してちょうど1ヶ月となった。
実家に戻ってのんびり過ごすつもりでいたが、2〜3週間ほどして、愛犬の調子が悪くなりそのまま逝ってしまった。

帰国した日から、忙しい家族に変わって、暇な私が毎日散歩に付き合った。12歳の秋田犬。体は大きいが、昔に比べれば、耳も遠くなり、散歩の紐をひく力も弱くなった気がしていたが、食い意地がはってるし、散歩も喜んでたから、まだまだ元気だな〜なんて思っていた矢先だった。

車にのせ病院に連れて行った。
フラフラしてるし貧血かなと思ったが、採血をしたらやはりH Bがかなり低く、他の数値も若い頃に比べたら軒並み悪化していた。
食べれなくなったので水分に栄養剤を混ぜて飲ませたり、夜には寂しそうに泣くので、すぐに撫でられるように傍に付き添って、廊下で寝たり玄関で寝たりした。

普段は外飼いの犬で、道ゆく人みんなにも可愛がられていた。私は初めて飼った犬だったし、もふもふした毛並みも、人懐こい性格も大好きだった。
残念ながら愛犬にはさほど好かれていないかもしれないな、、と思う記憶が多いが、犬らしく飼い主にべったりって感じでもなく、室内より外が好きで、ツンが多めな犬だった。しかし、病んでいた数日はこんなに心細そうに鳴くのかと思った。どうにか安心して寝てられて、辛くないようにしたい、そう思った。

可愛がってきたつもりではあるが、できる限りの愛情で12年接してこれたかと思えばそうではないだろう。後悔ばかりではないけれど、それでももっとしてあげられる事があったなと思えばなんでも後悔になる。

普段泣かない私、人が死ぬのは何度も見てきて、情がなければ悲しくもならないし、過ごした時間が短ければ、たとえ親戚でもそう悲しくはならない。寿命なのだから仕方ない、死なないものはないんだからと一歩引いて見てしまう。これは人前で泣くのが恥ずかしいとか、泣いても戻らないし、仕方ないとかそういう理屈で抑えた気持ちが勝ってたのかもしれない、けれど今回は違った。

意識しなくても、勝手にポロポロと涙が出てくる。この子のことを考えると、もう会えないんだと悲しくてたまらない気持ちが込み上げてくる。寿命だからとか、死ぬのは当たり前とかそういう理屈は関係なくて、ただただ感情が表に出てきてる感じ。
頭ではわかってるけれど、その感情を一旦止めるって事が出来なくて、そのまま通過してるって感じ。自分にもこういう気持ちがあるんだってわかった出来事だった。

愛なのか情なのか、これってすごい。何か自分にとって大切なものを亡くすってどんな感じなのか、悲しいだろうことは分かるけど、感情ってどうにもコントロールが効かない事があるんだなって、、
今はちょっと分かる気がする。



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