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『科学』できない『神秘や精神』を探求𓀀

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『AI時代』は『データ化されていないもの』に価値がでてくるから『科学』することのできない『神秘や精神世界』を探求していこうと思った.
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失われた自然観 𓃰 𓀗 𓃰 𓀡

noteでは「人間という存在や自然との繋がり」といった類のものを表現することがある。 ・・・・・・ [ 無意識という自然・ 自然物の尊さ・心が現実を作る・夏と自然と幼年期・赤ん坊(自然)は大人のための教科書・生物は芸術だ、己を愛でろ] ・・・・・・ 言語化することが正しいのかどうかは、まだ分からない。 自然言語とは広い意味での自然と繋がることなのではないか、とも思う。 とりあえず、種を、インターネットという自然に撒いている。 そこから『気づき』を得る人もいる。 そ

己の無意識という自然を耕そう 𓃱

無意識と共生し、強い流れを生み出し、利用する 私たちは無意識という自然を飼っている。 そしてその無意識は、外部からの何らかの入力によって規定されていくことが多いとも言える。 無意識は、外部からの何らかの刺激(入力)、パラメータ(変数)の影響を受けて出来上がっていると言える。 例えば、外に出かけたり、インターネットを見たりすることで無意識がある程度規定され、それが意識まで登ってくるといった具合だと思う。そこから様々な認知しうる『考え』などが生まれる。 哲学者や科学者が

心が世界を創りだす - [その仕組みに迫る!]

確かに、理性でものの見方を変えられるかも知れない。 しかし、共生して皆が幸福になるには中庸(バランス)が大事だと思う。 これは啓蒙主義の考え方に近いかも知れない。 歴史を見ても、啓蒙主義(=合理主義的な(17〜18世紀))の後に感覚優勢の時代(=ロマン主義(18世紀))が来ている。これは理性が優勢になりすぎた反動として感覚(感情や直感、個人の経験を重視)が来ているように見える。 余談:私たち人類は、左脳の役割を人工知能に掲げることで、その冷徹で計算的な考え方から、よう

『古代ギリシア人やマヤ文明人のおもしろい文化』をGPT4に専門的視点を踏まえさせて教わってみる𓁙

紀元前624〜546年のミレトス学派のタレス氏の歴史! ミレトス学派は自然哲学の学派で、それは現代科学の祖でもある。 彼らの 『遊び方』 や 『食べ物』 について! 彼らの飲み物キュケオンとは? 最後の『キュケオン』というのは幻覚作用を持っているそうだが、それを含む遺跡がマヤ文明などの高度に発展した文明からも見つかっている。 この接点、繋がりは非常に、非常に面白い。 マヤ文明の様子! GAFAの発展の根底にあるのもカルンターカルチャーで、それにも幻覚剤(意識の

自 然 物 の 尊 さ 𓀀 𓃰 𓃱

芝生の心地よい踏み心地。 大地、緑、生命の香り。 頭上には、幻想的な宇宙(そら)が広がっている。 力強く繁茂する細枝は、それを覆い隠そうと躍動している。 だがそのおかげで、私はあの神々しい表情を見ることができた。 真紅の、滑らかで情緒溢れる宇宙(そら)を背景に、私たちの兄弟である細枝が、前へ前へ密かに前進している様子を。 それは世界に一つの動く芸術作品だった。 超新星爆発がなければ私たちのいる宇宙もなかった。 だからその宇宙自体も、私たちの兄弟と言ってもいいは

なぜ、現代科学は『AI』に意識を与えることができないのか? - 科学の限界と打開策 -

現代の統計学、確率論の生みの親であるパスカル(Chat -GPTは彼の確率論を使って次に来る文字列を予想して出力している)も、彼と同じような見方をしていた。 彼が、現代における理性を超えた新しいツールで新しい世界を見ようとしているように、パスカルも、理性と感覚、精神的な世界のバランスの重要性を説いていた。 パスカルは、人間の存在や真理は、理性だけでは完全に理解することができないという考えで、信仰や愛の大切さなども説いていた。 理性と精神的世界の調和が、人類に全く新しい視

『牛乳は人を精神的に成長させる』という事実をどう捉えるか? - 【Albert Einstein : 穏やかでつつましい生活...】

社会というコップに注がれた牛乳、自分の内側のコップに注がれた牛乳。 [ 🥛 & 🥛 ] どちらの世界も、とても奥が深い(内側の牛乳のほうが実は遥かに深い)。 だから、私も含む多くの人は、一生懸命にもがいて、外に出ようとする。 『その過程自体』が楽しいと言う人もいるし、 『自分の目の前にある牛乳』の風味やコクを吟味して楽しむ人もいる。 『目の前の牛乳』に働きかけ、凝固させ、バターを作り、楽しむ人もいる。     それを毒だと思い込んで命を無くす者もいる。 結局は、 『

人はなぜ寝るのか?

人はなぜ寝るのか? 死なないために寝ているのではなく、何か目的があるはずだ。 寝ているときの脳は、起きているときとは別の脳活動(整理など)をしているだけで、休息しているのではない。 そして、その活動の本質的な理由も、未だに解明されていない。 私はここに、志向性を感じた。 例えば、そのときだけ、人は何かもっと大きなものに統合され、何らかの処理をしている、されている、というようなSF的なものだったり。

夏と自然と幼年期🎐

瞑想をしていると、ある情景が目の前に現れた。 意識を呼吸に戻そうとする意識に逆らって、私は冒険の道を選んだ。 辿り着いた先には、 真っ赤な夕日に照らされた天然生林が広く広く繁茂していた。 それと同じくらい力強く木霊する蝉時雨と、赤ん坊のように自由気ままに揺れ動く自然とが、華麗で壮大な舞台を演出してくれている。 『 夏の全ての香り』が鼻を通り抜ける。 夕日の光をいっぱいに吸い込んだ草や花の香り。 カブトムシの存在を保証する独特なあの香り。 幼年期のあの懐かしい恍惚

『AI時代』は『データ化できないもの』に価値がでてくるから『科学』することができない『神秘や精神世界』を探求していこうと思った。

人間に残されたのは『創造性』だけだ。 というのは、本当に正しいのだろうか? 『創造』と言われているものが、『今まで脳にインプットされた情報』を元にしてできているとするなら、それは『データ』を元に何かを生み出す『AI』と同じことをしていることになる。 だから人類に残っているのは『創造性』ではなく『志向性』なのではないか。 例えば、自分のデータベースではなく、その外にある何らかの存在に気づき、予感するなど。  これは、あらゆる神秘主義の哲学者が経験した、『世界を相のもと