「親ガチャ」の時代に二宮金次郎が物申す
寛容性の無くなった日本(スケール小さいよ)
昨日、二宮金次郎の記事を書きました。
そして記事に貼り付ける画像を探していたら、二宮金次郎の像が小学校から近年老朽化で撤去が続いているという記事がありました。そして、再建されない理由としては「歩きスマホの助長」などが挙げられていますね。
スケールの小さい国だね。
そこから何故か親ガチャが連想ワードとして出てきたので一筆。
親ガチャに関して思うこと
親ガチャ。確かにそれは間違いなくあるでしょう。しかし、それを言い訳にして怠惰な人生を送るのは間違っていないかい?とも思います。私は今年38歳になる歳です。国民総中級時代に生まれました。だから親ガチャなんて雰囲気はありませんでしたし、私自身、親に対してはプラスの感覚でいます。つまり親ガチャに対しては経験が無く、どのくらいの生活をしている人が言っているのかも想像もつきません。しかし、変えられないものを嘆いても仕方がないのではないでしょうか?
端的に言えば、現状把握という概念を無視して、逃げ口実になっているわけですよね。要するに「他責思考」だと思います。
二宮金次郎はその点、「現状把握」と「工夫」が凄まじいです。
二宮金次郎の工夫等は最後に。
私は国民総中流の時代に生まれ、苦労せず大学も出させてもらいました。そこは親に感謝しかありません。しかし、私は親の好意を捨てて退職し、今は無職無給の身です。けれども人生は楽しいです。
「親」は変えられない(定数)ですが、「人生」は自分で変えられます(変数)です。しかも掛け算にもなります。
結果=考え方×熱意×努力
稲盛和夫さんの公式です。「親ガチャ」の時点で考え方がマイナスになっちゃっている気がしますね。そこがマイナスだと結果は絶対マイナスになります。
競争に勝てない言い訳に「親ガチャ」を使うくらいなら、違うフィールドにいくとか、本当に楽しいことっていっぱいあると思います。
自分の好きなことを見つけていく、それだけで人生楽しくなると思いますし、人生楽しいと思っている人からは「親ガチャ」なんてワードは出ないと思っています。
やりたいことをやりましょう!!
例えば、「貧困」問題に関して。本来は政治の仕事です。ですよね?間違ってますか?しかし、菅前首相⇨岸田首相と一貫して、自民党政権は「自助」の政党です。そして、自分で生活してねというのがNISA制度ですよ。
「親」に文句を言う前に「政治」に文句を言いましょう。
なぜ二宮金次郎像が設置されたのか
私はこの理由を学校の先生から聞かされたりすることはなかったです。
知っているのは薪取りに行ってる時に本を読んでいたというだけです。
今、設置の理由を改めて教えてあげないといけないと思います。
「親ガチャ」というワードが生まれてくる時代、VUCAの時代と言われる先の見えない時代にこそ、二宮金次郎のような「工夫」や「先を読む力」が絶対に必要になってきます。
そんな中で「歩きスマホを助長する」というだけで撤去するのは如何なものか?そんなことを言っている人は二宮金次郎の何を語れるの?と言いたいですね。
では、金次郎は何をしたのか。
金次郎は子供の頃に両親を亡くします。弟たちを母方の実家に預け、自分は伯父さんの家に行きます。深夜に火を灯して読書をしていた際、育ててもらっていた伯父さんに「お前に油を使わせる金はない」と言われました。
金次郎は怒ることもなく「そりゃそうだ。」と納得。自ら種子を友人からもらい、育て、採集した実から油を抽出し、火を灯したそうです。そしたら、また伯父さんが「お前にそんなことはさせない」と言ってきました。伯父さんに迷惑を掛けていないのに「そりゃそうだ。」と納得します。
そして生まれたのが、薪を背負って本を読むという行動です。
こうして金次郎は実践を積み重ねた結果、「誠」を得ました。
金次郎は人に何かをしても決して見返りを求めませんでした。それは相手のためになっているからです。見返りが返ってきたらラッキーくらいの感覚の人です。
私たちは他人に対して「○○してあげたのに」とかよく思っているのではないでしょうか。
このような思考が「誠」を遠ざけます。
あらゆることを「ラッキー」と思うおおらかさも「誠」には必要なのです。
「至誠の道は以て前知すべし」という文があります。
「誠」に到達した人は未来予測ができるということです。
そして金次郎は茄子を食べて、その味で飢饉が来ることを予見(夏の茄子なのに秋の味がして冷夏になると察知)し、人々を飢餓から救ったそうです。
二宮金次郎からの学び
二宮金次郎の凄いところ①
「素直さ」
現状把握能力とも言えますし、現状の受け入れ能力。
両親が亡くなったとき、飢饉が来た時。変えられないものを変えようとしない。受け入れる。そして今できることをする。
二宮金次郎の凄いところ②
「レジリエンス力」
子供の頃に両親が亡くなります。普通はこれだけで人生詰んだと思うでしょう。しかし、彼には弟たちが3人いました。彼らを守らないといけません。それもあったのでしょうが、金次郎は決して折れることはありませんでした。
二宮金次郎の凄いところ③
「工夫」
冷夏が予知できたとしても何もしなければ意味がありません。金次郎はしっかりと寒さに強い食物を用意し、飢饉の危機から民衆を救いました。
油が欲しいなら油を作ってしまう。
時間がないなら時間を作ってしまう。
この辺りのことを教えてあげないと像を置いておく意味はないですよね?
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