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心意気だよ皆の衆

東京に出てきたばかりの頃、勤めでよく日本橋へと足を運んだ。打ち合わせの帰りに、たいめいけんでボルシチと酢キャベツを食し、用もないのに高島屋の階段をペタペタと手でなぞりながら行ったり来たりしていた事を思い出す。中でも和紙の「はいばら」にはよく行った。目眩がするぐらいの千代紙の豊富さに、時を忘れて長く居座ったもんだ。特に今日のような雨の日には紙の匂いに包まれたくなって、銀座に戻るタイミングを失っていた。

日本橋から足が遠のいて何年が過ぎただろう。久し振りに訪れた日本橋は再開発中で起点を見失い右往左往してしまった。その「はいばら」があった場所には巨大なビルが建設中で驚いたが、それより「はいばら」がまるで宝飾店のように洒落た外観の店舗に変身していたことに驚いた。外国人観光客を見込んでの事だろうが、再開発に抗わない老舗の商魂を見せつけられた思いがする。

かつての日本橋は巨大な魚河岸だったという。そして官製で築地に移転し今がある。当時も歴史ある魚河岸を移転させるなどトンでもないと、現在とさほど変わらない理由で大きな抵抗があったのだろうと想像する。しかし移転後もご存じのように日本橋は廃れやしなかった。今現在も日本橋ブランドは消えずにしっかりと未来へ脚を踏み出し続けている。行政に先見の明があったのか?・・・いや違う。それでも日本橋を大切にする旦那衆が暖簾のプライドをかけブランド力を維持し続けようとした心意気が今に続いているんだと思う。

世の中は時として未練がましく枝葉末節ばかりに気を取られ過ぎて何も進まず何も解決しないことが多々ある。最近の人々の意見は変化を好まず「昨日と同じ今日を守る事が何よりも大切だ」と言っているようにも聞こえる。もちろんそれを否定はしないが多くの場合、官製のような意図しない上からのバイアスであったとしても、大きな転換を迫られた場合は「さようですか」とチャッカリ乗っかっていった方が、抗って日々暮らす勇ましい毎日より真っ当な営みのような気がしてならない。それは「長いもの(権力)に巻かれる」のではなく、これこそが正に「漂えど沈まず」の心意気なのだ、と雨の日本橋を眺めながら妙な納得をした。

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