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鉄筋コンクリートの猿山

決して多くはないが、ボクにも大切に思っている幼なじみが何人かいる。しかし族の連中と同化していたこの頃のボクと言えば、彼らのように青春を謳歌する高校生とはかけ離れた世界にズッポリとはまり、別々の高校へ入学した幼なじみと合う時間さえ持とうとしなかった。

というよりこんなみっともないボクだから、幼なじみがあきれてしまい絶交している状態だったというべきか。

改めて考えてみると高校で違う学区の連中と初めて交流した時は、まるで室内犬が野生に放たれた様な惨めな気分を感じたことを思い出す。大袈裟と思われるかも知れないけど、そう思うのも無理はない。

というのは、ボク達の街はもともと丘陵地帯の小山を削り、都市計画によって新らしく住宅地を造成し開発されたニュータウンと呼ばれる街だった。住居区画は整然と碁盤の目のように連なり、広くまっすぐに伸びた道路の両側には手入れの行き届いた豊かな緑が植樹されている人工的な地域だ。

そこへ方々から入植したボクら親の世代は年齢や収入や家族構成も似たり寄ったりで、必然的に画一化された風土のなか、ボクらの中学は他校から「イモ中」とバカにされながらのんびり育ってきた経緯がある。それは言い換えれば土着的な風習を身につけず隔離された狭いエリアで育って来たと言ってもいい。それに加えて、そもそもこの辺は岸和田と河内を遠方に位置することもあってか、東西の地元を名乗る連中はお互いに敵対心が強く、とにかくお世辞にもガラの良い地域とは呼びがたい。

そんなわけでいつも何処かでイザコザがあり、偏差値で排除された者同士の猿山を連想させるような高校だった。しかしそれでも不思議とあの「岸和田だんじり祭り」が近づくと学級閉鎖になるぐらいみんな仲良く学校に来なくなるといった具合だ。要するに地元意識が低いボクが居心地良く感じた「族」というのは古くから地元に根ざした連中で、無意識の中でヤツらの生活臭にどこか憧れを感じていたのかも知れない。。。

とまぁ、言い訳はこれぐらいにしておいて、憧れとやっていることは大違いで、事態は笑えない方向へどんどん進んでいった。


***


その日、地元連中がいつもアジトにしている「ポルシェ」という名のスナックで、8人程がどうでもいい話に興じていた。このスナックはなんでも頭のおやじが経営しているという。車の通りも少ないサビれた幹線道路に面した名前以上にダサい店だ。

子が子なら親も親だ。親なら普通は躾けるだろうに。と思ってみたところで、その薄汚い店のカウンタースツールに腰掛けながら、タンベを燻らせている手前そんなセリフが吐けるわけもない。

その時は酒も少し入り、誰とはなしに信太山(赤線)まで流そうか、などと話していたように思う。もうその頃のボクは何かにつけ、夜な夜な呼び出される始末になっていた。ただその連中の「パシリ」をやっていたわけでは無い事だけ言っておく。だったらピアノの生演奏?・・・なんてまさか。

そのトルエン臭いスナックには古いハチトラのムード歌謡集を置くスペースぐらいしかない。実はその族の「専属意匠士」のような事をやっていたんだ。つまり烏合の衆のロゴマークを作り、バイクのタンクやドカヘルにペイントを施し、特攻服の絵柄や書体のレイアウトまで教示するといった具合だ。なんと族というのはドヤ顔に似合わずビジュアル専攻型であるという事をその時知った。

ミルトン・グレーザーよろしく「プッシュピン・スタジオ」を真似て日々デザインに憧れていた少年が、まさか浮世絵や花札を絶妙なバランスでコラージュして描く羽目になるとは思いもしなかったが、それはそれで結構楽しかった。

不思議と族の連中はそんな絵心をもつ者が珍しいのか、噂が噂を呼び関係のないヤツのタンクにまでペイントしてやったり、どこかの族であろうステッカーのデザインを依頼されたり、通学鞄を派手に改造してやったり、ついでにレディースの何人かに医療法違反とも知らず、ピアッシングまでしてやった。そんなことでボクは一銭も要求した事はないが、どうしてもと言うヤツには結構ふっかけた気がする。

そんなもので一目置かれていたのかどうかは知らないが、腕力の全く無いボクに、族の連中が素直に従うという構図はなんとも摩訶不思議な感覚だった。いい気になって「族」御用達デザイナーに没頭していたが、そんなくだらないモノは飽きるのも早く、なんだか居心地も悪く感じ始めたちょうどそんな頃だった。

スナックポルシェを出たとたん、ボクを含めたほぼ全員が現行犯でパクられる。ああ、そうなんだよ。無免許で盗難車じゃもうどうしようもないじゃない。その時、警察官は逃げ回る連中とは違ってパトの中で神妙にしているボクに向かい「これは規則だから」と断ったうえで優しく、そして容赦なく、ワッパをかけた。

【つづく】

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