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おもったことを ものすごくてきとうに かきます じぶんへの「いましめ」がたいはん

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おもったことを ものすごくてきとうに かきます じぶんへの「いましめ」がたいはん

最近の記事

価値観は擦り合わせない。

「価値観のすり合わせが大切」と言われることが多い。 でも、価値観や主観はそう簡単に変えられない。 結果的に「価値観が擦り合わさる」だけ。 違う人間だから価値観が異なることは当たり前。 だけど、抽象化/細分化した時にどこかで共通のレイヤーがある。 幸せになりたくない人はいない。 最終的な目標はみんな一緒。 そこまでの途中過程が違うだけ。 私は本を読むのが好き。 あなたはゲームをするのが好き。 違うものが好きだけど、そこには 「その理由には現実と違う世界に行けるか

    • 1人1人生きてる環境が違うんだから

      当たり前だけど1人1人生きてる環境が違う。生まれた親も違えば、育ってきた学校も、今の自分を取り巻く環境も。だからこそ、そんな人生の過程で人の個性は生まれてくる。(多分 だから、さっきまで何してたのか、これから何をするかを気にしてもしょうがなくて、リアルで一緒にいる「今」に違和感がなければそれで良い。 それはLINEの文面でも、手紙の文面でも、Twitterのツイートでも、Instagramの投稿でもストーリーでもなく、リアルで同じ出来事を一緒に経験して違和感なく同じように

      • 嘘をついてもいいように、いつもは本当のことを

        隠し事は良くない。 よくいうことだけれど、事実、人間として社会で生きるためには人とのつながりを重んじるしかない。 そして、基本的に人とのつながりなくして人は成り立たないと思う。だからこそ周りの人の環境はとても大切。 もし1人でも大丈夫という人は例外かもしれないが、私は全くそうではない。 だからこそ、私にとって隠し事をすることを信頼を失うことであり、何より相手がわからなくなること。 相手が  怒ってるのか。  喜んでるのか。 すら、わからなくなる。 どんなネガティブ

        • 事実を事実として理解して、心に従って行動する。

          間違った認識をした事実や、記憶にない事実を容認することは難しい。 心は「人によって、時間によって、環境によって」異なるし変化する。このことを人わかっているのだから、事実を確実にして、その後の心は「その人、時、場所」毎に考え直せば良い。 事実の修正ほど厄介なものはない。 かといって、事実を理解したさきに、本来あるべきだと自分が思う姿である必要はない。 本来こうあるべきかもしれない。 だけど私はこうしたい。 ならそうしよう。 それがあなたにとっての幸せだから。 でも

        価値観は擦り合わせない。

        • 1人1人生きてる環境が違うんだから

        • 嘘をついてもいいように、いつもは本当のことを

        • 事実を事実として理解して、心に従って行動する。

          今を共有しないと。時間は止まってくれないし、この先も変化は止まらない。

          好きな人、大切な人こそ「今」を共有しないと。 くだらないことこそ、今共有しないと。 くだらないからこそ、後から共有するのが馬鹿馬鹿しい。 だからやっぱりリアルタイム性のあるコミュニケーションは大切。 LINEより、通話。通話よりリアル。

          今を共有しないと。時間は止まってくれないし、この先も変化は止まらない。

          家族の耳が悪くなってきた時に

          耳が悪くて、冷蔵庫開けっ放しの警告音が聞こえず、冷凍庫の食べ物を何回もダメにした祖母。 何度も母や私が扉を閉めるのだけれど、直らない。 というか、聞こえないわけだから直るわけもない。 もちろん、悪気があってやってるわけではないので、怒るのはお門違い。 かと言って「代わりにやってあげる」のは正解だろうか。 耳が聞こえなくなるのは誰のせいでもなく、ただの事実。 本人にとっては辛い、嫌なことかもしれないけれど、あくまでそれは事実で受け入れるしかない。 耳が聞こえないな

          家族の耳が悪くなってきた時に

          男は行動、女は言葉...なの?

          これはとてもジェンダーに関わる問題になってしまうかもしれないけど、なんとなく思ったこと。 男の多くが 「言葉にするのが難しくて」 「行動する方が簡単」 女の多くが 「行動するのが難しくて」 「言葉にする方が簡単」 って感じやすいのかも。 だからお互いに異性の恋人に「もっと頑張ってほしい」って思ってしまいやすいのかも。 だから、 男からしたら 「行動するのなんて簡単なのに、女は言葉ばっかりで、ほんとは口先だけなんじゃないのかっていう不安」 とか 女からしたら 「言

          男は行動、女は言葉...なの?

          恐ろしく理解できない者同士がなんとかお互いに納得できる力こそ愛なのかもしれない

          理論的でも、感情的でもなく、ただただ恐ろしく理解できない者同士がなんとかお互いに納得できる人間特有の力こそ愛なのかもしらない 両親を見てると感じたことだ。 お互いを信じて、歩み続けること。 人間だからお互いを傷つけ合ってしまうことはある。気がつかない間に傷つけてしまったり、思ったりよりも傷ついてしまったり。でもそんな時に、一緒にいるだけで回復する。傷つけてしまってもそれ以上にお互いで回復できるとずっと一緒にいられるのかもしれない。 あらゆる自分を表すことは怖いこと。あ

          恐ろしく理解できない者同士がなんとかお互いに納得できる力こそ愛なのかもしれない

          ポジティブは少し溜めても、ネガティブほど早く伝えたほうがいいのかも

          喧嘩した時、今まで伝えてなかったネガティブなことをたくさん思い出して言葉にしたくなる。 そして、それを言葉にされると「喧嘩してるからってなんでも過去を持ち出すな」って思ってしまう。 今は全く誰とも喧嘩もしてないし、逆にポジティブなことを溜めてる気がする。 会話が止まったり、ふと話すことがなくなった時にポジティブなことなら思い出したら話したくなるし、ネガティブを溜めるよりはポジティブを溜めた方がいいのかもしれない。 かと言って、いつでも嫌なことをそのままぶつければいいわ

          ポジティブは少し溜めても、ネガティブほど早く伝えたほうがいいのかも

          事実からコミュニケンションする

          疲れてイライラしてる人にあう。 関係性が深い人ほど、「何かあった」の予想が細かくなる。 でも、それはあくまで予想。 わたしが予想しなくとも、普通に話してるうちに、出したい不満は出てくる。 出てきた時それは事実になる。 感情の事実。 たとえば「最近つらすぎ」と言われて、 最近辛いと思ってるという事実ができる。 別に他人と比べればそうでもないかもしれない。 「わたしの方が絶対大変だけどね!」と思ってしまうかもしれない。 けど、その人にとって「最近つらすぎ」と思っ

          事実からコミュニケンションする

          感情ではなく事実にありがとう。

          人間には感情という厄介でありつつ、温かいものがある。 だから、感情は悪いモノではない。 でも、感情は事実あってこそのモノ。 きちんと、事実を探究したい。 人と接する時、相手を全て知ることは不可能。初対面なら出身高校はわからないし、嫌いな食べ物もわからない。もちろん自分が好かれているかもわからない。 だけど、今のこの瞬間の事実を受け入れる。 わたしのことを「合わないなー」と思ってるかもしれない。でも会話から抜け出すほどでもないから、なんとか付き合ってくれてるのかもし

          感情ではなく事実にありがとう。