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上海の記憶 ー渡航前、渡航後の中国語 ♯2

まずは、渡航前の日本での話。
実家で里帰り出産をした私は、初めての子育てで疲労困憊していた。
わが子はかわいい、と言うけれどよく分からない。
世間的には、赤ちゃんだしきっとかわいい存在なのだろうけれどよく分からない。
かわいさを感じられるほど、心に余裕が無かったのだ。
その状態は、思いのほか長いこと続いた。

産まれたてホヤホヤの泣いてばかりの赤ちゃんのお世話だけでヘトヘトで、自分の時間がほとんど無い中で、それでも中国語を学んでいた。
これから始まる異国生活に備えるために。

実家の近所のサイゼリアへ日本人の先生に来てもらい、人生初めての外国語を学ぶ。

約1時間くらいだったと思うが、中国語を学ぶ間父母に見てもらっていた娘は、盛大に泣き続けていた。
全く自由に動ける訳ではなかったけれど、当時の私にとっては、束の間の、唯一子供と離れられた貴重な時間。

大学の時、私の専攻では中国語は選択できなかったのだけれども中国語を選択する人多かったな、と思い出す。
簡体字、見たことあるある。
ノートに書かれた並ぶ簡体字。
記憶が蘇る。

先生として来てくれたのは、日本人女性。
それまで中国で暮らしていたその先生は、子供の小学校入学に合わせて本帰国した方だった。
そういう選択をする人は多いと聞いたが、実際現地に行ってからもそういう話をちらほら聞いた。

このサイゼリアでの授業で初歩的なところをざっと学んだはずだったが、実際中国へ行ってみるとしばらくは全然使えなかった。
耳が馴れてないから、まず何を言ってるのか分からない。
上海は、共通語である普通話といわゆる方言の上海語も混じって飛び交っていた。その後徐々に耳が馴れてきた後でも上海語になるとほんと听不懂(聞き取れません)状態なのであった。

你好!(こんにちは)
谢谢!(ありがとう)
不好意思!(すみません)

初めは、主にこの3フレーズで生活していた。
何となくでもほぼこれだけで生活できていたことに、我ながら驚きもする。

他の国へ行っても、この「こんにちは」、「ありがとう」、「すみません」ができれば、後はなんとかなる気もしてくる。
これらは、コミュニケーションの基本なのかもしれない。

次第に耳が馴れてきて、だんだんと中国語が聞き取れるようになり、他のフレーズも使い始めた。

中国語に馴れるのと、きっと同じスピードで
私は上海生活にも馴染んでいった。

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