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【朗読劇】 The Guys 消防士たち

わたしには言葉しかないんです。

2001年、9月。編集者として働いているジョーンは、ある依頼を受ける。

9・11、世界貿易センタービルの南棟、北棟に向かったまま戻らない部下8名の弔辞を書く手伝いをして欲しい。

依頼主は、遅番で生き残った消防隊長、ニック。

ニューヨークを愛する人々は、自分たちにできる形で何かをしたいと願っている。だが、配管工等、具体的な技術のある人たち以外、ボランティアも募集されていない。いわゆる知識層は、何かをしたいと思っていても、ボランティアすらやらせてもらえない。

そんな中での、依頼だった。

ジョーンはニックに尋ねる。あなたの部下は、どんな人だった?

- 目を閉じて。パトリックは、何をしている?
- キッチンにいるな。消防署のキッチン。

何も思い出せない、何も書けないと言うニックから、ジョーンは亡くなった消防隊員らの日常のエピソードを引き出し、その人となりを再構築して弔辞を書いていく。

そこに浮かび上がるのは、ニュースで流れる「我々の英雄として散った消防隊」という記号のような姿ではなく、教会主催のピクニックに参加する男や、娘のサッカーの試合に行くためにシフト調整の交渉をする父親や、両親と未だに同居している彼女募集中の独身男性のありのままの姿だ。

彼らが亡くなり、自分は生きている。その運命を分けたのは些細なことだけだ。神さまの悪戯にしか思えないような、ほんの少しの違いだけ。

なんで彼らは死んで、自分は生きているのだろう。

今すぐにでも、彼らがそのドアを開けてこちらに笑顔を向けてくれそうなものなのに。

正常な生活に戻れるのだろうか

これは、9・11に限定された話ではない。

人は、自分の体験したことを基にして、物事を考える。だから同時多発テロに対しても「あのビルにいた人たちは、帝国主義の報いを受けたのだ」という発言が周縁からは出てくることもある。

だから、だからこそ、広く知ること、それを基にして考えることを蔑ろにしてはならないのだ。

街で消防署の前を通るたび、私はきっと思い出す。中にいる、顔のある人々のことを。

このタイミングでの朗読劇。みられて、良かった。

脚本家の実体験に基づいた物語。

初演は、シガーニー・ウィーバーとビル・マレーだそうだ。

亡くなった方々のことを語る時にあちこちに溢れる、ユーモアの欠片。考えることも忘れないけれど、笑うことも忘れては、生きていけない。

朴璐美さんの叫び、圧倒。

明日も良い日に。




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