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【お芝居】 ケムリ研究室 「砂の女」

人間は適応の怪物なのだ。

騙されて陥った砂の中の蟻地獄のような状況にだって、人はいつの間にか慣れてしまう。

慣れた自覚すらなく。

砂以外に何もない穴の下で、たまに流れるラジオの音楽に合わせ、心底楽しそうに踊っている、騙しの共犯者ですら、可愛く思えるようになる。

生徒は砂。先生は取り残されていく

流れていく時間、流れていく人流。その中で立ち止まっている「僕」は取り残されていく。

でも、穴の底では、砂は腐敗の元凶。自分はその腐敗の仕組みから村を救うために不可欠な存在だ。

一昨日の肉体の適応力の話と連動して、戦慄が走った。

悩まずに適応してしまった方が、毎日が楽だ。ただただ砂を削り、週に一回、タバコと焼酎が配給される生活において、決めねばならないことなど、何もない。

その中で、時折の楽しみがあるなら、なお良い。

縄梯子を登っても、そこにあるのは決断と不確実性と不安の世界だけだ。だったら、登らなくてもいいじゃないか。

苦いものしか心に残らない原作なのだけれど、この舞台では時折笑いを挟んでいたから、途中途中で少し苦味が和らいだ。

でもその分ラストの苦味はとてもきついお薬を処方されたようだった。

ケラさんのプロジェクションは、やっぱり凄い。

タイトル部分は昭和のドラマみたいだった。途中の写真の部分や、砂のプロジェクションも。

タイトルが出てくるところのプロジェクションが流石すぎる。昭和のドラマみたい。

パペットの効かせ方や、黒子(というかグレ子)の内面の吐露の具合とか、舞台ならではの醍醐味だった。って、私がみたのは配信なのだけれど。

社会はおろか、知人で構成される所属団体ですら、自分がいなくても、割と平気なのだ。自分はいなくても日常は巡っていく。

チケットはどうしても取れなかったのだが、配信でみられて良かった。

ギリギリでの鑑賞。

安部公房祭は、書籍にてもう少し続きます。

明日も良い日に。


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