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457/1000 【思い出とは】 劇団イキウメ 「イキウメの金輪町コレクション」

思い出とは、感情と結びついた生きた情報の記録なんだ

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愛してやまない劇団イキウメ、「金輪町コレクション」甲を映像で、乙をライブで鑑賞。

短編のオムニバスだけれど、一見何の関係もない各々のエピソードには、「金輪町」という架空の町が縦軸として一本通っている。

どんなに長く住んでいても、今この瞬間、お隣さんですら何をしているか分からない。言わんや、数分先のお店屋さんで何が起きているかなんて、全然わからない。

すぐそこにあるのに知る由もないことは、すべからくSFの入り口になる。

紡がれたエピソードの中で、印象に残った言葉を列挙してみる。

思い出と、記憶と、記録。これらは全て、微妙に違う。「人」は何があって「人」となるのか。あるいは何を失ってしまったら「人」性を手放すことになるのか。感情と思い出とは、漫画「PLUTO」にも繋がる命題のように思う。

更生者を信じる。これは言うは易しにならないか。虐められている人に一宿一飯の精神で手を差し伸べた後、その人が「昨日出所してきた殺人犯」だと判明したら?更生者を信じる社会というのは簡単だし、それを否定する人なんていない。いや、いないと思いたい。だがそんな状況がいきなり目の前に出現したら、それを成す「私」はその装置になれるのか?

ポリシーとは何か。人を惹きつけるのはポリシーや美学だ。少なくとも私はそうだ。それが例え万引きであっても、その美学は私を惹きつける。ルパンにも五右衛門にも通じること。どんなに些細なことであっても、「好き」を突き詰めたら美学になる。懸賞生活でもなんでも。

鬼にとって、優しくすることがパンクなのだ。そうだとしたら「饅頭怖い」は鬼の話だ。

人間は、誰しも心の中に鬼を飼っている。それを飼い慣らしているか、共存しているかの度合いは人によってまちまちだし、それが暴走してしまった時に取り返しのつかない事件が発生する。

心の鬼は有る無しの二元論ではなく、そこにいる鬼をまず認め、そこから共存することが肝となる。それはそのまま「許す」「許さない」にも繋がっていく。

クー。

明日も良い日に。



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