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ゲゲゲの先生へ

「社の中にいりゃ神様だと言われ、廃屋におりゃ、妖怪だと言われる。いずれにしても、人間の問題だよ、呼び方なんて。」

闇も自然の一部ならば、その闇を全て排除してできる世界は、なんといびつな世界だろう。名前のつかない、説明もつかない、でも確かに存在する気配や現象と、ゆるやかにこの世を分かち合った方が、世界は丸く、優しくなるのではなかろうか。

「俺たちは、感じてもらえなけりゃ、存在できない。」

煌々と輝くバベルの塔だらけの都会には、妖怪の気配がない。「なんか怖い」「なんかひんやりする」「なんか、いる、気がする」そんな感覚は、スマホの画面を眺めていては、感じられない。だから、彼らは存在できない。

5感で感じない人間は、「自然」の一部と言えるのだろうか。ふがふがと何を言っているのか分からない、魂の入っていない入れ物だけの存在になっていないか。

自然と共存するとは、闇と共存するということ。そしてその闇は、自分の外だけではなく、自分の中にもあるものだ。

半妖怪の根津の飄々としている感じがとても好き。半妖怪であるがゆえ、永遠に同じ場所に生き続け、消えゆく妖怪と人間の橋渡しとなり、生き証人となる。哀しさが言外に滲む。

白石加代子さまと松雪泰子さまは。。。そのまんま、妖怪だった。いや、元神と、妖精かw

水木しげるの短編へのオマージュがそこかしこにあったらしいのだが、全て未読。いいの、前知識ゼロでも楽しめたから。

バリっぽい打楽器の生演奏も、臨場感を醸し出していて、妖怪の存在感を五臓六腑で感じられる演出だった。

死ぬ間際に天井を見上げたら、酷い悪さをするでもなく、助けてくれるでもない、ちょっとしたいたずらをするだけの妖怪がそこにいて、わたしを看取ってくれますように。


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