男子畢生危機一髪

 なんだかんだ言って永遠に『モテキ』に囚われている。『モテキ』にはサブカルの要素が全部詰まっている。今のオサレカルチャーを辿っていけば必ず『モテキ』に行き着く。

 どこかで見たアメカジオタクのようにサブカルクソ野郎はそのサブカル知識で自分を守っている。逃げて逃げて下北沢のヴィレヴァンのような自室を作り上げてその中に籠る。けれど下北沢が再開発され、サブカルが全然サブカルなんてものではなく普通にメインカルチャーだったことに気づかされて、現実に否応なく向き合わされる。

 自分の魅力ってものが23年近く経ってもさっぱり分からないし、自分の活かし方ってものも分からない。結局実直に、誠実に生きていかないといけない気がする。例え報われなくても自分で納得できる生き方をするべきだ。

 人生に教訓的な出来事があっても普通はそんなことに気づきもしない。

「俺にはもうモテキなんか要らない そうだ次は俺が誰かのモテキになるんだ

こんなこと誰が言えるのか。こんなことを言える大人になりたい。

 結局心が永遠に童貞のままなのである。幸世が成長してることなんか気がつかずに、ただ長澤まさみみたいな女の子に出会って恋を成就させたいとしか考えていない。そもそも恋をしたいなんて思ってないのだ。ただヤリたいだけ、そのエロさを感じたいだけで、恋や愛なんてものはそれを隠す方便でしかない。

 まず前提として、女性と話すよりも圧倒的に男同士で話している方が楽しいし、落ち着く。わざわざ女性と仲良くなる必要なんてないし、仲良くなりたい時は十中八九性欲に心が支配されている時である。長澤まさみみたいに永遠に見ていられるような可愛さがある以外は趣味が合ったり、テンションが合ったり、人間性を尊敬できるところがなければならないだろう。これは女性に限らず、人と仲良くなるときには当たり前のことである。
 そうであれば尚更、女性と仲良くなるのは難しい。人間性で男友達を超えてくるというのはほとんどありえない。何をもって男友達よりも人間的魅力の劣る女性と人生のほとんどの時間を過ごさなければならないのか。

 性欲なんてものはクソみたいなものである。大抵の場合、女性を判断する基準を乱してくる。けれど性欲ってものは切っても切れない関係だし、無くなって欲しいとも思わない。ただ、クリアな目で色んなことを判断したい。

 こんなことを言っている自分が何様だと言われても仕方がない。しかし別に絶世の美女と付き合いたいとか結婚したいとか思っているわけじゃなくて、ただ人間的に尊敬できる人に出会って好きになりたいだけだ。そこから先は自分で何とかするしかない。そんなことは分かっている。

 街を歩いていてかわいいなと思う女の子は確かにいる。その子と飲みに行きたいとかヤリたいとか思うことはあっても、付き合った後の不安が先行する。普段どんな会話をするのかとか、何をするのかとか。自分を偽ってまでその子と付き合いたくはない。

 結局、自分はまだ弩童貞であるというところに話は戻ってくる。まだ自分のモテキのことしか考えられていない。相手のモテキに自分がならなければならない。相手の笑顔が見たいとか、喜んで欲しいとか、そんなことを自分から思えて行動できる相手がソウルメイトなのだろう。

 恋愛ソングに出てくる悲しいときに思い出す元カノとかそんなものはいらない。地に足をついた関係でいたい。『モテキ 』のみゆきは不倫しながら幸世をキープするクソだし、『ノッティングヒルの恋人』のアナもクソである。けれど幸世もウィリアムも彼女たちを幸せにすると決めた。少なくとも彼らにとっては彼女たちはソウルメイトである。彼女たちがどう思っているのかは全くもってわからないが、それでも十分だろう。

 でもとにかく今は頑張り続けないといけない。今をしっかりと生きなければならない。自分の魂を磨くことで魂の伴侶に出会える気がする。



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