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例えクローンをつくったとしても…

2018年6月収録。ペットを供養することについて考えてみました。お墓を建てる以外にどんな供養の方法があるのか。どんな方法で供養するのが一番良いのか、そんなことをお話しています。

お墓をたてることの意味

おーたけ ペットにお墓を建てることについて話したいんだけど、そもそも、供養とかお墓を建てるってどういう意味があるんだろうね。

へい 残された側の気持ちの整理じゃないかな。例えば、天国があると考えるのは、亡くなった人たちが少しでも報われるようにとかあの人も天国で幸せに暮らしているのだから自分も頑張ろうとかそういう亡くなった人の喪失感に対する一つの答えを用意することで、ひとまず納得して前に向けるようにする機能みたいなものがあると思うんだよね。それと同じで、お墓を建てることによって、ある種の儀式を行ったのだから、一区切りついた、気持ちが少し楽になるみたいなことはある気がするよ。

おーたけ 現実的すぎる笑 まぁ、へいさんはそうだとして。世間には魂を信じていたりする人たちもいるわけで、そういう人たちにとってのお墓の意味ってへいさんが言っていたお墓の意味とはまた別になると思うんだよね。要は、魂を信じている人たちにとってのお墓を建てるということは亡くなった人のことを本気で思っている行為になるじゃないですか。それは、へいさんが言うとおり、周り回って自分のための行為なのかもしれないけど。

クローンを作ったとしても・・・

おーたけ 話を変えて、へいさんは動物が死んだ時にどういう形をとりますか?

へい どういうこと?

おーたけ お骨にするとか庭に埋めるとかいろんな方法があるじゃないですか。

へい そもそも、僕は動物を飼わないのでその想定は想像しずらいな。あとは、自分は動物園で飼育員として働いているのだけど、そういう職業的な立場をとるのであれば、動物が死んだ時は科学に役立てることを考えるかな。

おーたけ 動物園で死んだ動物って最終的にどういう風に処理するの?

へい 亡くなった動物種にもよるけど、基本的には標本として残していくかな。それが、自分の園で保管できるならそうしていくし、スペースに限りがある場合は博物館に寄贈したりする。

おーたけ なるほど。それに関連したことで言うと、へいさんは動物を剥製にすることについてどう思います?自分が飼っていたペットを剥製にして残しておくということについて。

へい 自分はあんまり好きじゃないかな。自分はあるがままにという思考が強いので、死んだらそこでおしまい。それ以上手を加えるということはあまり好きじゃないので。
だから、飼っていたペットを剥製にして残す人の気持ちが分からないし、聞いてみたいなぁと思うよ。

おーたけ こないだ「キングスマン」って映画を見ていたら、その中の登場人物がそういうことしていたよ。その剥製には何年まで生きたというラベルが貼ってあって、暖炉の上にかざってあるというシーンなんだけど。その剥製を手掛かりに記憶を取り戻すという割と鍵になっていたんだよね。で、これは映画の話であって、知り合いにはそういう人はいないんだけど、へいさんの周りにはそういう人いたことある?

へい いたことない。ネットで動物の写真を送ると、その写真そっくりなぬいぐるみを作ってくれるクリエイターの人がいるんだけど、その人に亡くなったペットの写真を送って、そのペットにそっくりなぬいぐるみを作って、いつもカバンに付けている人ならいるよ。それは、剥製じゃないけど、剥製を作る行為に似ている気がするね。

おーたけ 技術が発展してクローンも作れるようになってきてるじゃないですか。中国だと亡くなったペットのクローンを作ってくれるサービスが現実にあるみたいなんだけど、それはなんか違和感だよね。

へい そうだね。クローンを作って見た目はその仔その物だったりしても、性格がぜんぜん違ったりして、結局その亡くなった個体は戻ってこないんだよね。
なんでかというと、性格みたいな人間でいう人格を決めるのは、遺伝的な要因もあるけど、それだけじゃなくて、環境要因もかなり作用してるみたいなんだよね。
なので、育った環境が変わると性格が変わってきちゃうので、いくらクローンであっても、その個体は絶対戻ってこない。剥製にも通ずる話だけど、姿や形だけで良いならクローンでも良いかもしれないけど、僕はそれだけの為にクローンを作るのは切なくなっちゃうかな。その仔の個性を決めるのは、精神面が大半を占めると思うので。

おーたけ 亡くなった状況にもよるのかもしれないね。あの時にああすれば良かったとか、もっとこんなことをしてあげればよかったとかペットの死に対して深い後悔を感じていたりすると、莫大時間やお金をかけてでもクローンを作りたくなるのかもしれないね。懺悔的な意味での復元もあるのかもしれないね。

へい 当事者になったことがないので、あまりなんとも言えないですが、いずれにしても過去に囚われた作業な気がしてしまって、自分はなんか悲しい気持ちになりますね。その人がそれで救われるのならいいんですけどね。

おーたけ やっぱり、家族が亡くなるよりも先にペットが亡くなる方が早いと思うし、突然亡くなったりすると、その分精神的な負荷は大きくなると思うんだよね。それで、クローンや剥製までいかなくても、ぬいぐるみとかアクセサリーで気持ちの整理がつくのならいいなぁと思うよ。

亡くなった後お骨にするということ

おーたけ 骨って結構重要なのかな。骨というか体の一部。例えば、乳歯が抜けると結構大切にとっておいたりするじゃない。

へい なにか一部を残すという行為には、意味がある行為なんだろうね。ちょっと、話が違うかもしれないけど、武将の首を取ってくるのも大まかに言えば、一緒にいたぞ!っていう証拠でしょ笑

おーたけ それはなんかちょっとニュアンスが大きくずれる気がするけども笑

へい そうか笑 でも、一緒にいたという証拠になるじゃん。一緒に生きた証というかさ。遺髪とかもあったりするし、何かを残しておくことで忘れないようにする、骨とか遺髪とかはそういうツールなんじゃないかな。究極的な形はクローンだけど、そういうのは倫理とかいろんなものに触れるので、一般の人たちはもっとマイルドな形でお骨とか遺髪とかぬいぐるみとかに昇華されるんじゃないかな。

おーたけ 人間でいうと体の一部はなかなかできないけど、例えば指輪とか服とかが形見になってたりするので、そういうものなのかな。

へい やっぱり、身に付けたいんですね。

おーたけ いつでも一緒にいるという感覚が大事なのかも。

へい それに、おーたけさんは骨にすることの意味が気になっているみたいだけど、骨は焼いても最後まで残るじゃないですか、だから、そこに魂が宿る感覚があるんじゃないですかね。普通の人はそこまで深く考えてないだろうけど、より思いが込めやすいんじゃないですかね、骨には。

なんでペットをお墓に入れることが増えてきてるんだろう

おーたけ このあいだ参加セミナーにペット霊園の人が来ていて、ペットを供養する業界の事情を聴いてきたんだけど、近年はペットのお墓をつくるのが増えてきてるんだってさ。言われてみれば、近所のお寺にもペットと一緒にお墓に入れるって案内が貼ってあったし、そういう世間の流れみたいのは感じるよね。

へい 昔はどういう風にペットを弔っていたかなぁ。友だちの犬が亡くなった時はお骨にはしてなかった気がするね。

おーたけ 私の家の犬が亡くなった時は、火葬してもらって遺灰を庭に埋めた気がするなぁ。

へい 庭って結構重要な気がするね。カブトムシとかが死んだ時も庭に埋めていたけど、今の家って庭付きの家がほとんどないでしょ。だから、現実的に埋められるところがない。そうすると、自分の家以外の所で処理せざる得ない。だから、お墓をつくるみたいな流れがある気がするよ。それに加えて、家族的態度が高まってきているので、人間と同じように供養したいという需要も増加している。現実的な問題と精神性の変化は関わり合って作用している気がするよ。

一番すっきりする弔い方とは

おーたけ ペットが死んだりしたときにどんな風に弔うのが、一番精神負担が少なくなるのかな。

へい それはもう答えがない気がするよ。さっき話したみたいに、死んだ時の状況が個別にたくさんあるわけで全部状況がちがってくるからさ。だから、今まで話してきたみたいに弔い方も多様になってくるんじゃないかな。剥製にしたり、クローンにしてみたり、アクセサリーにしたりとか。いろんな解消があって、意識的には選べないことも多いけど、自分が納得できる形をチョイスしていくのが良いと思うんだよね。
一番よくないのが、自分の中にずっと収めていることだと思っていて。身近な人に打ち明けてみるとか、何かしらの方法で表現するってことが良いと思うんだよね。そうすると、亡くなった悲しみを対象化できて、向き合えるような気がする。
そういう表現するものの一部にお墓とかがあるんじゃないかな。

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