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デュケームから嫌リベラリズムを考えると。。

「交換価値」とは、使用価値(財の個別性)を捨象して、共通性として、「交換できる」という属性だけをくくりだし、形式的に統一価値を概念したもの。そこに「人」を適用すれば、人の個体としての意味や意義を捨象して、高価価値を生み出すという属性から交換性を見出す「労働力」という共通性だけで位置づけることになる。

社会学者のデュルケームは、このような展開を近代化のポジティブな側面として考えた。人は人であるという共通性のみで概念化することができ、つまり「人である」という属性=人格(保有性)のみが人を基礎付けるものであり、人格崇拝ということを肯定的に評価している。この人格崇拝も、固有名や固有性を捨象して、人であるという共通性の一点で「人」を認識するという面からすると、「疎外」の契機を有していると言わざるを得ない。

ちなみに、デュルケームの生年は1858年で、『資本論』第1巻の刊行年は1868年なので、デュルケームはマルクスの労働疎外論を知っている可能性は否定できない。

普遍性に立脚するリベラリズムが嫌われるのは、この個体性を軽視するという疎外的な性質に、人が本能的に反発しているからかもしれない。