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井上義彦 剣道範士八段

「生きる」尊さへの気づきが、武道を命と結びつける


井上義彦範士は、長きにわたる剣道修行はもとより、戦中、海軍飛行予科練での体験と、長年勤められた拘置所刑務官としての経験があります。そのまさに命の尊さを身体に刻む経験は、その後の先生の剣道人生と生き方の大きな転機となりました。

「現在の武道は命のやりとりではないでしょう。武道は、命に直接結びつかねば、本当に世の中に必要なものにはなれません」

ぎりぎりの命を体験したからこその先生の武道に対する思い――それは、現代日本武道への厳しい眼差しそのものであり、また、一方で、先生の剣道への深い愛情につながるものでもありました。
※所属や肩書きは、季刊『道』155号に掲載当時のものです。

<本インタビューを収録『武の道 武の心』>


師がいたからこそ、
傲慢にならずに済んだのです

―― 井上先生はご著書『にっぽん人の心を磨く本』で「私の師匠は生涯で西善延先生ただひとり」と書いておられますね。

 はい、そうです。すばらしい先生に就きました。
 兵隊から帰ってしばらくたった頃、剣道が復活したので、「よしっ」と剣道を再び始めたら、たまたま出会った先生が西善延先生だった。
 先生は今、90歳ですよ。出会った時、先生をぱっと見て初めから好きになった。先生は非常に不器用な方で、試合向きの剣道はされない。だから私が27歳で西先生の門に入った時に、最初は「ああ、これは2、3年したら追いつくぞ」と思った。年齢も10歳程しか違わないからね。ところが先生はとても真面目で努力家で、とにかく朝から晩まで稽古されていた。
 早朝稽古、それから役所(拘置所)の午前中の稽古、大阪府警に出かけての稽古、夕方の役所の稽古、夜の稽古と。そういうことをずうーっとやっている。
 だから「追いつくかも」と思っていたら、その差が縮まるどころか、だんだんだんだん開いていった。その道を志すなら、このくらいやらなきゃ駄目だぞというのを、口ではなしに、やって見せてくれたのです。
 だから自分が少々やっても「俺は一生懸命やってるぞ」とは思えなかった、傲慢にもなれなかった。先生は「不器用でもこれだけやれば」ということを手本で示してくれたのです。
 そういう努力をする先生を、自分の師匠に持ったということは非常に幸せです。私は元々あまり努力家じゃない。遊ぶほうが好きだ(笑)。それが目の前に努力する先生がいて感化を受け、大きな間違いも無しに現在に至っています。

―― そこに師の有り難さがあると。

 そうです。頑張っているその状態を実際に見てきたのです。「追いつくかも」と思ったのが、先生の努力の差が力の差となった。今もって刃が立たない。だからその努力の姿に納得できる。「なるほど」と納得してるから、この先生の後ろをついて行く、先生の言うことを守ればいいんだと身体の芯から思った。だから他の先生を求める必要がなかったんです。
 精神的なものについては西先生の紹介で小川忠太郎先生(剣道範士)にも習いましたが、剣道そのものは西善延先生一人だけです。今でも「稽古してるか」ってしょっちゅう電話がかかる。

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