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稲葉 稔 明治神宮武道場 至誠館館長

時は命
有限なる人生に、志を定め行動せよ


決断は知恵の根源です。
人間、決断するからこそ、追い込まれても知恵が出てくるのです。
決断しないうちは生きた知恵は出てきません。
損も得もないと、欲を去って決断することによって、行動ができるのです。それが剣太刀です。

20代に晩年の鹿島神流宗家国井善弥師、そして神道思想家の葦津珍彦師に師事し、以来、常に武道的視野から日本の歴史を見据えてきた稲葉師範。
両師との出会いから育まれた師範の武道観、日本の現代を見る眼と将来への思い。そして、有限な人生の中で志を立て、実践する中で今を充実させることの大切さ。師範の武道に込める思いを語っていただきました。

※所属や肩書きは、季刊『道』に取材当時(2008年)のものです。
取材/編集部 明治神宮武道場 至誠館にて

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国井先生の最期にふれ、
武道を志す

 私は昭和19年生まれだから、戦後教育で歴史をあまり教えられてこなかった。中高生の頃はあまりにも日本が悪者にされ、四等国にされる。何でも日本が悪いという動きがあって、興味を持たなくなり歴史を考えなくなった。しかし、社会に出て、たとえば韓国人や中国人と話す、欧米人と話すということになれば、自分の国の歴史、特に近・現代史を知らなければ話せないわけですから、自分なりに確認していかなければと思った。
 自分の国が本当に全部悪ければ、自信を持って対決することもできない。自ら勉強し、道場に行って、日本人が大切にしてきた道ってなんだろう、日本の武道ってなんだろうという問題意識を持つことによって探求していく、そういうところが大事なんだろうと思います。

―― そういうものを求めたからこそ、国井善弥先生や、葦津珍彦先生に行き着かれたわけですね。

 そうですね。私は、武術は国井先生に学んでいく一方で、精神思想を葦津先生に学んだのです。やはり何か心で求めていれば、それなりの人と巡り会い、心と心が感応するというのは出てくると思いますね。
 私は高校生の終わり、身体を鍛えようと合気道を始めました。その後さらに武術的な強さを求めて国井先生を紹介してもらったのです。私はこの先生の剣に出合ったことで、自分の持っているものがぐーっと引き出された感じがします。
 はじめ宮本武蔵や佐々木小次郎のような人に憧れていたのですが、会ってみたら、なんか首の太い手足の大きい田舎のおじさんみたいな、ぼさーっとした感じでね(笑)。だけど、剣を振り始めたら、これまたみごとなものでした。
 気性が激しくて、本当の意味での武術家です。国井先生に相手にしてもらい、投げられたというだけで、それが自慢になるような人物でした。
 しかし、国井先生に学んだのはたった1年半なんです。大学3年生の時からで、4年の夏にはもう亡くなられましたから。国井先生に接して、その人物に惚れたということもあり、1日も休まずに行きました。先生も、大病のあとでもう自分も最後だから教えておこうと思われたのだと思います。
 僕は親父の仕事を継ぐという格好で大学に通っていたのですが、国井先生が亡くなられてみると、会社よりも、やはり武道をやらなくてはと、武道の道を志したわけです。それと同時に、葦津先生から、皇室、神道、日本思想というものを教わって、それを勉強し始めました。週刊の新聞社に入り日常的に起こっていることを神道的に見て考える。そして、どういうふうに行動していくかということも勉強した。


自主独立の気概を養うのが
武道の役割

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