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宇城憲治氏 生協実践研究会講演

夢に向かって自分を変える

「技術には技術なんです。相手にそれ以上の技術を提供する‥‥その情報は相手を動かすことができます。情報を持っていない人は動かすことはできません」
「志を高くするといっても、“こうありたい”は、志ではない。“こうする!”という覚悟です。願望ではダメだということです」

 以下は、本誌連載執筆者の一人である宇城憲治氏が、去る4月、生協向けの研究会で行なった講演会の模様である。
 宇城氏は、現在沖縄古伝空手心道流のみでなく、プロアスリートを含めたスポーツ界での幅広い指導活動をされているが、ほんの2年前までは、そうした活動と平行して、電子機器メーカーの研究、開発に携わり、企業のトップとして最前線で活躍されてきた経歴がある。「武術のエネルギーを実践に生かす」、この言葉を、真の意味で使える数少ない実践家であることは確かである。
 武道でも企業活動でも、自分の内なる自信、エネルギーがいかに大切か、あらためて教えられた講演であった。


※所属や肩書きは、季刊『合気ニュース』に取材当時(2004年)のものです。
2004年4月3日 コープかながわ本部
取材:編集部

宇城02




はじめに

 私は、2002年まで一部上場のグループ企業の社長をやっておりましたが、垂直統合的な企業活動から、水平統合的な活動の必要性を感じ、2004年にIng Associationを設立し、従来の経験を活かした上で、今までの概念とは異なる活動をしております。
 企業であれば、利益を出すことであるし、スポーツであれば、試合に勝ち優勝するということが第一にあるのはいうまでもありません。さらに利益が出た、勝った、優勝したというだけではなく、それが瞬間的なのか、持続性があるものなのか、ステップを踏んでいるものなのか、ということがあります。何か目標を持って実行する。その結果、成果が出る。成果というのは、実行があってはじめて得られるものです。だから必ず行動しなければいけない。行動したら、いい意味でも悪い意味でもそこに答えが出ます。今、私が実践しているシステムは、従来の結果重視型から、結果の良し悪しはプロセスの良し悪しであるという信念から、プロセス重視型による人の進歩、成長、上達を主体にした結果、をめざす活動です。

守・破・離
――山岡鉄舟に見る学びの姿勢

 さて、本日の講演のテーマは「夢に向かって自分を変える」です。これは生協さんからの要望ですが、まさにその通りなんですね。「夢に向かって」というのは「 高い志と、目標を持つ」ということであり、「自分を変える」ということは「成長、上達、自信を持つ」ということにつながります。
 たとえば、日本一の生協になるという夢、そういう高い志を持ち、それに向かって「やる」という信念と「やりきる」という自信を自分のなかに創っていく。で、そのためにはただ他力依存ではまずいのですね。そのプロセスが自分たちで考えたしっかりしたものであることが大事だと思います。
 夢の実現に向けて自分たちの考えで創り上げる、その創造する力を創るシステムに「守破離」という手法があります。これは日本の伝統的な学び、指導法です。現在に見られるような、ただ知識を学ぶ、勉強するというのではなく、心技体を伴った非常にレベルの高いものです。
 守というのは、基本を徹底して学ぶということです。それには必ず師の存在が必要です。そこには、伝統という歴史性(時間の哲学)が存在します。裏をかえせば、「できた人、やりきった人、歴史のなかで成功させた人、歴史を変えた人」に学ぶということです。
 たとえば、幕末であれば、大政奉還を成功させた山岡鉄舟のような人物に学ぶというものです。そのなかで大事なことは山岡鉄舟そのものを求めるのではなく、山岡鉄舟が何故そういうことを可能にしたのか、鉄舟の求めたところを求めていく、という考えが守破離となっていくわけです。
 山岡鉄舟は剣の達人です。流儀は無刀流といい、その始祖は伊藤一刀斎、それから小野次郎右エ門、浅利又七郎、山岡鉄舟へと引き継がれていったわけですが、山岡鉄舟が浅利又七郎に当初試合を申し込んだが、手も足も出なかったと言っています。その時の立ち合いの様子が次のように書かれています。
 「一刀流の達人で、伊藤一刀斎の剣法を正しく伝える名人という話であった。試合をお願いしてみると、なるほど世間にもてはやされている剣術とは非常に性格の違うものであることがわかった。外にあらわれるところは柔軟だが、内に剛直なものを持っており、精神を呼吸に集中し、攻撃にかかる前に勝機をつかんでしまうのである。このような人こそ真の明眼の達人というべきであろうと思った。その後、何度試合をしても、自分の力量でははるかに及ばないことを知らされたのである」とあります。
 そこで、山岡鉄舟はいろいろ悩んだ結果、滴水禅師の公案と、鉄舟の書を欲しいと訪ねてきた商人の話のなかに、一つの真理を見つけ、その感得したところを剣法の実際に試した結果、ある極致に至るわけです。それを弟子を相手に道場で試したところ、弟子が「今までの先生とは、まるで違います。手も足も出ません」と。それで、鉄舟は浅利又七郎に再度、試合をお願いしたところ、浅利は喜んで受けてくれた。今度は浅利又七郎も、「ついにやりましたね。これまでのところとは段違いの腕前です」と。こうして夢想剣の極意は、山岡鉄舟に伝えられたのです。
 この異次元へのステップアップの変化、成長、上達に至るプロセスこそが重要なわけです。さらに、山岡鉄舟は次のように言っています。
 「しかし、私がこれで安心しきったわけではない。その後もいろいろに考慮を重ね、幾分なりとも感得した点がある。それゆえ、自分の未熟もかえりみず、このように無刀流の一派をたてて有志の人士に伝授しようとしているのである」
 このような努力をした人でも、「述べて作らず、古を好む」ということを言っています。つまり自分で勝手に術理を作り、ましてや技を創作して得意になるなどとんでもないということですね。すでにそれは歴史のなかで継承されていることだから、それを先人に学ぶ、自分もその域に達する努力、そしてそのプロセスで学んだことを伝えることに徹しているわけです。
 松尾芭蕉の俳諧の理念の一つの「不易流行…新みをもとめて変化していく流行性が実は俳諧の不易の本質であり、不易と流行とは根本において結合すべきものである」に見られるように、時代に不変という根源の「型」を持ちながら時代に適したものの見方、考え方、生き方ができるという「形」を創ることが真の創造力を生む本質、根源になるのではないかと思います。

身体脳の指導で
子供たちはこれだけ変わる

 「守破離」のプロセスの重要なポイントは、頭脳から身体脳に切り替えるということです。現在はすべての教えや学びが頭脳中心になっています。それを身体脳に切り替えるということです。
 先日、新潟のT中学校の野球部の生徒さんたちを教える機会がありました。まず瞬間感じましたのが、座っている姿勢が悪いということです。そこで「姿勢を正しましょう! 背筋を伸ばしましょう」と。そうすると、個人、そして集合体としての全体がグワッーと大きくなる。その雰囲気を、交替に前に出て感じてもらいました。ただ姿勢を正せと言っても、生徒たちは「なんで?」となります。そこにもっていくプロセスがあるんですね。それにはまず、子供たちを感動させてあげることです。どうやって感動させるかと言いますと、彼らができなかったこと、難しいと思っていたことをできるようにしてあげるのです。
 最初はものの見方、考え方から入っていきます。そこで「皆さんが自転車に乗れるようになった時のことを思い出してください。何が一番大事でしたか? 自転車に乗るため筋トレが必要だった思う人手をあげてください」、誰も手をあげません。次に、「自転車の乗り方に教科書が必要ですか」と聞きます。「いらない」という言葉が返ってきます。
 それで、「自転車に乗れた時に一番嬉しいのは誰ですか?」と聞く。「オレ!」という返事が返ってきました。「そうなるために一番大事なことは何ですか?こける。そういうことなんです」全員が納得という顔をしています。「こける→体が理解する」、このフィードバックによって自転車に乗れる体が作られていき、そして、乗れるようになります。これが頭で考えるから身体で考えるということです。そしてその時乗れるという身体脳が開発されることになります。
 次のステップでは、「コーラの味はどうしたら一番よくわかりますか?」「飲んだら分かる」、「ビールは?」 …(笑)
このようなやり取りを通して、頭脳と身体脳のメカニズムみたいなものをなんとなく理解していくようになります。
 さらに次のステップはいよいよ実践です。身体脳を使わないとできないこと、使うとできることを体験してもらいます。まず「野球ボール取り」です。これはしっかり握っているボールを、別の人が抜き取るというものですが、ほとんどの人が抜き取ることができません。これはプロ野球選手でもほとんどできません。しかし、ある方法でやると簡単に抜き取ることができます。すなわち身体脳を使うのです。そのやり方を実践してもらうと、「エッー、ウソー、信じられない!…」などの喚声があがります。
 そのような体験をし、身体脳を使った指導によって、さらに野球の基本である「投げる、打つ、捕る、走る」において、結果自他ともに自覚できるような明確な変化が起きてきます。わずか2時間くらいですが、明らかに生徒たちが変わっていくのがわかります。
その時の、子供たちの感想文を紹介します。

宇城先生へ
 先日はお忙しい中、私たちのために身体脳を教えていただきありがとうございました。ぼくはいろいろなことを教えていただいたおかげで次の試合は二安打を打てました。これからも教えていただいたことをやり、いっぱいヒットを打ちます。今、家でも姿勢を良くしています。ごはんの時も、テレビを見ている時も良くしています。ずっと姿勢を良くし、野球だけではなく、私生活にも取り入れていきたいです。
                          平成16年4月3日
                              K・M君

宇城先生へ
 先日はお忙しい中素晴らしい時間をつくっていただきありがとうございました。「気」をおくることにより、いろいろな効果が出てきて驚きました。立つ姿勢で心のライトを消さないことで、いままで押されると前に倒れるのも粘りがでてきました。それと、守備の構えも心のライトを消してしまうと上体が前に倒れてしまうけど、ライトをつけることで上体がしっかり立ち、視野が広くなり、送球もファーストに強い球がいくようになる、このことを次の日そしてその次の日と実践してみました。するといままでファーストに安定した送球が投げられませんでしたが、しっかり投げれるようになりました。打撃では宇城先生から教えていただいたバットを一度持ちあげる、小指に力を入れる、を意識してやりました。すると、バットがスムーズに出てきて、しっかりボールをとらえることができました。宇城先生から教えていただいたことをこれからの練習、そして試合で実践していきます。本当にありがとうございました。
                         平成16年4月3日
                             R・M君

 自信を持つことで何が出てくるかと言いますと、これは非常に大事なことですが、調和融合の心ができるということです。自分にそれだけがあるから相手を包み込むことができるということですね。

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勇気をもらう場、人は大切

 最近の講演の特徴として、学者ではなしに、実践家がよばれるケースが増えていますね。これは、まさしく実践してきた人の話というのは、頭脳ではなく、身体能で話をしてもらえるから、今日の厳しい状況に対して説得力があるからだと思います。
 よく「脳がなせる技」などと言われますが、私は「身体脳がなせる技」と言っています。自転車に乗るというのは、乗る練習をした結果、乗れるようになり、その時「乗れる」という身体脳が開発されるからだと考えています。練習しない人はその身体脳が開発されません。従って頭脳でいくら乗ろうと思っても身体脳が開発されていないかぎり乗ることはできません。泳ぐのもそうだと思います。
 ところで、今まで会社のトップをやってきて思ったことですが、生まれ変わったら、“世界一のナンバー2”になってやろうと(笑)。企業では社長がトップで、当然すべての最終決断、責任があります。「社長、どうしましょうか?」とこられるより、ナンバー2に元気のある人間がいて、「社長こうしましょうか!」というように誠心誠意やっていくと、非常に助かるんですね。元気が出ますね。責任がある社長であるからこそ、その責任をとらせないようにナンバー2が命をかけてやる。すると社長はさらなる勇気が出て、いい仕事ができる。だから“世界一のナンバー2”になりたいな、と思うわけです。(笑)
 それから決断していく時に、決断する勇気をもらえる場というのが大事ですね。その勇気は自分の内から出てくるものですが、本日のこのような実践研究会は、真剣なディスカッションを通していろいろな自分たちの思いを語ることができ、勇気が出てくる。「やれる」という思い、それが非常に大事な場なのではないかな、と思います。

深い海、高い山のごとく
自己の内なる成長を

 志を高くするといっても、「こうありたい」というのは、志ではないんです。「こうする」という覚悟です。極端に言えば、「エベレストに登る」ということ。「登りたいな」は志にならないんです。「登る」という覚悟があってめざすということです。願望ではダメだということです。
 (レジュメにある)高い山、深い海のごとく、についてですが、深い海というのは、たとえば、洗面器に水をいれますね、上をパチャっとしたら、上だけでなく下も動いてしまいます。しかし深い海だと、上で嵐がふこうがなにしようが、下はものすごく穏やかです。そういう意味で深い海が目に見えない穏やかな心。
 高い山とは、表に見える、壮大、威厳という話です。これは、権威、権力ということではありません。権威、権力というのは殺伐とします。高い山というのはでんとした勇気、向かっていく力、動じない心です。
 そういう高い山、深い海のごとく自己の内なる成長、進歩があってこそ外の行動に変化が起こってくると思います。自信は当然、内から出てこないと自信になりません。そのためには、相対世界から、絶対世界へ目を向ける必要がある。すなわち、ナンバーワンからオンリーワンに目を向けるわけです。ただし、ナンバーワンを通り越して、オンリーワンへということが大事なところです。競争原理を越えたところにもっとすばらしい世界があります。それがオンリーワンの世界です。
 真のオンリーワンというのは、非可逆ステップアップをともなった成長、進歩、変化が必要です。非可逆というのは、このレジュメに書いてある図にありますように、デジタル式にステップアップしていくということ。すなわち一度進歩すると元へ戻らない成長、変化のことを言います。自転車がその良い例です。一度乗れると、一生乗れる。泳ぐのも同じ。そういうのを非可逆ステップアップと言います。最初は意識的に練習するんですが、乗れるようになると無意識になる。そういうステップアップがともなうということです。
 私たちは何かを達成した時、感動が起こります。その喜びを誰かに伝えたいと思うくらい感動することがありますね。仕事でもそうだと思います。自分が真剣に考えたことが、本当にうまくいった。そういうことが本当の自信になっていくと思います。そういうことをより多く経験していく、体験していくことだと思います。

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上達のプロセス
真の成長には、1度進歩すると元へもどらない成長、変化、デジタル式のステップアップが、不可欠。何かを達成したときに感動する。それが自信につながっていく、そういった経験をより多くすることが大切である。



生協の原点を見直し
守破離のスケール展開を

 企業というのは利益追求なんですが、生協というのは事業と運動になるんでしょうか。ところがいつの間にか一般の企業と同じような利益追求になっていないか。あれ、生協のベースはなんだったの?となってくると思うんですね。生協は生協の「守」としてのベース、基本をしっかり踏まえた上で、いろいろなことをやってみる。時には他流試合をやったり、外でこそっと喧嘩してきたり(笑)。そういうことを通り越して守破離の意味、価値が見えてくる。守に戻っていく破であり、離であることが真の守破離、それでドンドン山が高くなっていく。そして守破離のフィードバックこそが、自己の高さ、深さへのパスポートになると言えます。
 具体的に言えば「守」というのは型、これが、全体としての基本であり、生協であれば、生協全体としてのベースのことを言います。基本としてのしっかりとしたものがないといけないわけですね。そしてそれは生きていなければいけません。死んでいないということ。これが「学びの場」と言えます。 
 「破」は、ベースである型の実践ですね。同時に他との交流を通しながら、自社のブランドの確立、そういう実践ですよね、これが「研究の場」です。そこがうまくいったら、そこから自信が出てくる、そうしたらスケール展開して生協しかないものを築き上げていく。それが「実践の場」になるわけです。そういうことを通り越して、型から解放された形が出てくると思うんですね。
 例えば、今回オープン予定の会津の生協店舗からは、同じ生協のグループであっても、会津しかないものが生まれてくる、これが形だと思うんですね。型というのは全生協のベース、しかしそこから会津という形が出てくる。これが「自己確立の場」になってくるわけですね。これが「離」です。そして、これがオンリーワンにつながります。

分析、概念から
知覚の世界へ

 守破離の本質にあるのは、簡単に言えば、「頭で考える」から「身体で考える」にすることなんです。頭で考えるは頭脳、身体で考えれば身体脳。たとえば、「挨拶をしましょう」というスローガンは頭脳ですね。裏を返せば、挨拶をしていないことを言っているようなものなんです(笑)。「身体で考える」というのは、感謝の心を持つ、ということです。その心が身につけば、挨拶は自分からするようになるということです。
 「いじめはやめましょう」も同じで、愛する気持があれば、いじめというのは起きません。現在、このように身体に働きかけた教育や躾がなくなってきています。だから、いろいろな問題が起きる。それをさらに頭でだめだと怒っても、言うことをきくはずがないんです。
 ビールの味は言葉の説明より飲んでみたほうが早い。それが身体脳で考えるということですね。
 今、ここに私は缶コーヒーを持っていますが、瞬時に缶コーヒーの熱さ、重さをキャッチしています。さらに缶コーヒーの中は見えませんが、手で揺さぶることによってあとどのくらい残っているかも見当がつきます。これをロボットがやったとしますと、温度センサーで何度かを出す。次にセンサーで重さを、正味量が200gあったとすると、20g飲んだら、その分を引いて、180g残っています、と出していく。
 こうしたセンサーからの情報を電子頭脳のCPUで処理しますが、熱さ、重さ、あとどのくらい、を処理しなくてはならない。別々の判断処理でいかにそれを速くやるかだけなんです。これが部分の統合です。  
 一方人間はと言うと、それを一遍にやってしまいます。これが全体です。
 ピータードラッカーという有名なマネジメントの学者が2004年1月刊行の著書『新しい現実』に次のようなことを言っています。
 「‥‥生物的なシステムは、分析的でない、機械的なシステムでは全体は部分の和に等しく、従って分析によって理解することが可能である。これに対し生物的なシステムには、部分はなく全体が全体である。それは部分の和ではない。情報は分析で概念である。しかし意味は分析的、概念的ではない。知覚的である」
 今までは、知覚とか全体ということを無視してきたわけですね。神秘なものとして科学の外においやってきた。科学というのは「答え」がありますから、「答え」を出そうとするわけですね、しかし答えが出ない答えの世界があるわけです。そっちを今までおろそかにしてきたわけです。しかし、答えが出ないそっちのほうも非常に重要になってくると思います。そういう分野はまだまだ未知の世界であり、多くのビジネスチャンスが多々埋もれているということでもあります。

 私の空手の師である座波先生は、現在90歳ですが、先生と行動を一緒にするなかで、よく思うことがあります。
 先生の場合、日常生活においても自然体ですが、 用心に用心を重ねます。たとえば、ある店の入り口に段差があり、端のほうに大きな柱がありました。先生は端まで行って柱に手をあてて上がられる。それは、若い時の感じでいってしまうと感覚のずれがあり、こける時があるので、念には念をいれてわざわざ遠回りをする。そこが武道で鍛えられた勘だと思うんです。今のご自分の現状をよく知っておられる。これは身体がベースになっているということだと思います。

指導者に求められる
全体を見る力

 私は22歳の時、最年少で第2回全日本空手道選手権大会の代表になったり、日本一をめざしていましたが、その2、3年後に座波先生に直に習う機会がありました。その時先生から生きた型を学び、何かが違う、何かが違うと、ずーっと思いながら、スポーツ空手と先生の空手(武術)と二股をかけてやっていました。しかし、先生のすごさがわかってきて、ある時を境にスポーツ空手とけじめをつけることが簡単にできました。そのけじめのお陰で今があるわけです。
 スポーツ空手では、30歳を過ぎる頃から衰えていく。野球など他のスポーツも一般的に同じで、その後現役引退となっていきます。
 現在、私は55歳、167cm、78㎏ですが、180cm以上、90kg以上の20代、30代のトップクラスの空手、格闘技をはじめ、柔道、アメフトなどの選手を相手に実践、指導しています。こういうことが可能なのも武術としての空手をやってきたお陰だと思っています。伝統文化としての沖縄空手にそのようなエキスが残っている証だと思います。また、このような貴重な財産は「守破離」、そして師の存在という手段を通してのみ継承可能な世界だと思っています。
 指導者というのは全体が見えていなければいけません。ぱっと見ただけで、その人のどこを直したらいいかがわかるようでないといけません。わからない指導者というのは、あっちこっちさわりまくって、その人をだめにしてしまうんです。
 指導の下手な人というのは、悪いところに目がいってしまう。それはその人に全体を見る力がないからなんですね。全体が見えていれば、いいところを引っ張り上げる、そうすると、悪いところも一緒に上がっていくんです。逆に悪いところばかりに目がいくと、その人が持っているいいところまで下げてしまいます。これは他のことでも同じことが言えますね。

相手以上の情報は
相手を動かす

 2001年に手掛けた開発商品、携帯電話用の充電器の話をします。その時のポイントは充電器のエネルギー源に太陽光を利用する太陽電池を採用するというものでした。ポイントとなる太陽電池は、NASA(アメリカ航空宇宙局)のアモルファスシリコン太陽電池で、紆余曲折もありながらも、その太陽電池を最大効率で使用するための、特許申請中の独自の電子回路を引き下げて、アメリカのNASAに出向き、回路の特長の説明と量産に向けての品質、性能、コスト、納期、及び今後の技術開発などに結びつけました。そもそもNASAの開発品を民間企業で使うには、多くの制約と困難がありました。しかし日本にある太陽電池は単結晶、多結晶が主流で、その商品はガラス基板で厚みがあり、重くてフレキシブルでないなどの課題があり、使える範疇になかったのです。それに比べNASAのアモルファスシリコン太陽電池は非結晶で2、3ミクロンのフイルムに特殊なコーティングをしたもので、薄くてフレキシブルというまさに理想のものでした。
 このようにNASAの太陽電池に目を向けられたのも、非結晶の太陽電池にまだどこも取り組んでいない時に、某メーカーに非結晶の太陽電池の研究を持ちかけていた経緯があったからです。技術には技術なんです。相手にそれ以上の技術を提供する。相手以上の情報を持っている場合、相手の情報は情報でなくなると同時にその情報は相手を動かすことができます。持っていない人は動かすことができません。
 そういう意味で開発は当然のことですが、常に先端をいっていないとだめですね。誰もやっていない未知の分野に挑戦する、それしかない。そこには厳しさもありますが、おもしろさもあります。商品化できた時の感動は忘れられない。その感動を得るためとは言いませんが(笑)。そういう時期の睡眠時間は、一日何時間寝たかの世界ではありません。一週間で何時間寝たかの昼も夜もない世界でもあります。

ネルギーの源泉
「気・オーラ」

 成功させる実践の根源には、その人に「気」が出ていなければなりません。気というのは、目に見える物質の世界とは違って、目に見えません。しかしそのエネルギーを感じることができます。
 例えば、ハブ蛇とマングースの戦い、ハブは猛毒を持っているにもかかわらず、たいていマングースが勝ちます。
 マングースとライオンの場合はどうでしょうか。マングースの動きは敏感です。しかしマングースとライオンが鉢合わせしてお互いがにらみあったら、マングースは身動きできなくなるでしょう。ライオンからの気に圧倒され、敏感な動きもなにもあったものではないと思います。土台、マングースとは次元の違う、とてつもないオーラがライオンから出ているということですね。それは人間の世界でもあると思います。
 
 奈良県の博物館の館長さんがおもしろいことを言っておられます。日本人はお腹のことを肚と言いますが、肚がすわっている人というのは我々から見ても頼もしいですよね。物事に対して肚をくくっている人。肚をきめて決断して行動する。頭だけの人は頭でっかちになる。その反対は肚でっかちとは言いません。太っ腹とは言いますが、意味が違う。肚ができないと気も出ないということにつながるのではないでしょうか。

今を開く

 今まで(過去)、今(現在)、今から先(未来)について。過去、未来はあるが、「今」という時間はない。今は常に経過しているわけですから。その今が常に過去になり、またその今が未来の今にもなります。だから今を大事にしなくてはいけない。「今」死んだら、ちょっと前に戻ったってだめですよね。ガラスを割っても元に戻せない。今という時間は過去と未来にはさまれた限りなくゼロに近い時間です。私はその「今」を開きましょうという話をよくします。
 それは同じ1時間でも、いやな人と会っている時と、好きな人と会っている時とでは時間が違いますね。仕事が終わって一杯飲む時でも、帰りの時計ばっかり気にして飲むのと、今日は心ゆくまで飲むぞと思って飲むのと、それまでの今という限りなきゼロに近い時間が活きてくるわけです。


三つの「先」をビジネスに活かす

 それから剣の世界に三つの先という有名な教えがあるのですが、先の先、後の先、対の先、と。先の、後の、対の、というのは具体的な動作、目に見える動作です。あとから動くか先に動くかという動作ですね。そのあとの「先」というのは三つの先の本質、ベースとなる言葉なんですが、これが目に見えない心の働きです。それがすなわち、身体の働きと心の働きが一致した時にすごい力が出る。
 この「先」にあたるのが、生協では理事長でしょうね。「先の」とか「後の」の具体的な動きのほうは、幹部の方々ということになります。つまり常に「先」が出ているから、勝つ、ということです。この三つの先を実行できる企業体は成功できると思います。


―― 季刊『合気ニュース』 №141(2004夏号)より ――

〈プロフィール〉

宇城憲治 うしろ けんじ

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