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【特集】武田惣角の人間像

豪快華麗な大東流合気柔術を広めた男 武田惣角

武術に一生を捧げたその生涯はあまりにも波乱に富んでいた!
武術を愛するがゆえに家庭をかえりみず、日本各地を武術教授の旅に過ごした惣角。その惣角にも時折のぞかせる父親の姿があった。息子・時宗、娘・志づかの語る人間惣角。肉親の目から見た惣角の人間像に迫る。
※所属や肩書きは、季刊『合気ニュース126号』に掲載当時のものです。

(1)父・武田惣角を語る 
    困った人、でも憎めなかった父・惣角  武田時宗 大東流宗家 
           父惣角・兄時宗と過ごした日々     吉田志づか
(2)大東流の輝ける未来へ向けて           近藤勝之 大東流合気柔術免許皆伝


武田惣角

(1)父・武田惣角を語る  
   困った人、でも憎めなかった父・惣角 
               武田時宗 大東流宗家

本会見録は故武田時宗宗家が1987年に合気ニュース社に来社された際にうかがった話と翌年に網走のご自宅を本誌編集長が訪ねた際の話をまとめ編集したものである。惣角はもとより、惣角の父惣吉についての数々のエピソードが語られるなど貴重な資料であり、多少断片的ではあるが、以前に取材した会見や記事などで補いつつここに紹介する。
(取材 1988年1月 北海道網走の宗家ご自宅にて)
※所属や肩書きは、季刊『合気ニュース126号』に掲載当時のものです。

八尺棒を風車のように唸らせた惣吉

 会津戦争の頃、父・惣角は9歳でした。

【夜中に三里の道を通って大砲の撃ち合いを見に行ったそうです。……昔の大砲は今の爆弾とちがって破裂するのではなく、赤い火の球を飛ばしたのです。それを夜だとよく見えるものだから毎晩見に行った。戦場だから槍だのをさげている者もいたし、小さい時から人を斬ったりするのを見ていたわけです。戦場が好きでね、子供だから殺される心配はないし、戦場を駆け回っていたそうです。『武田惣角と大東流合気柔術』(合気ニュース刊)武田時宗会見録より】 


 昼は日新館で稽古してました。晩は渋谷東馬の小野派一刀流です。朝晩稽古していました。
 惣角の父・惣吉が相撲とりで、また剣術使いなんですよ。ふつうは六尺棒なのに惣吉は八尺棒を使うんです。ふつう肩が折れちゃいますから。惣吉は相撲とりであって剣術がうまい。力士隊の隊長です。

【筋金入りの八尺棒を使うのが惣吉の得意技で、棒を風車のごとく唸らせて打ち振る技倆は抜群であり、会津藩中随一の誉れが高かった。(合気ニュース93号)】

 惣吉は武田信玄にそっくりで、「信玄じいさん」と呼ばれていました。 私の兄(先妻の子・宗清氏のこと)も「信玄じいさん」と呼ばれていました。
 惣吉の体重はだいぶあったと思いますよ。30貫くらいじゃないですか。惣角はなんとしても父親(惣吉)にはかなわないんですよ。相撲やったらかなわない。なにしろかたっぽうは力士隊の隊長だし、大関です。いかにしておやじをやっつけるかというのが惣角の悲願だった。それで武者修行したんですよ。

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