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高村雪義 高村派新道楊心流

古流武術の精神を保ちつつ
時代に適応した武術を目指す-1


柔術は本来武装した相手との戦いに備えたものと考える高村雪義氏は、古流柔術の思想と精神を具現化し、高村派新道楊心流を創始。十代でアメリカに渡り武器技を含んだ激しく厳しい稽古、指導を行なってきた。一つの武術を極めるのも可としながら、なお総合武術にこだわる氏の真意は? 武術に対する氏の鋭い洞察が展開される。氏の武術修行に影響を与えた人々のこと、氏の武術観についてうかがった。
※所属や肩書きは、季刊『合気ニュース 121、122号』に掲載当時のものです。
※このインタビューは2号分です。




神道楊心流と祖父・小幡茂太

―― まず先生の“高村派新道楊心流”の元となった神道楊心流につきまして。

 神道楊心流の元の字は、“神”が“新”で新道楊心流でしたが、すぐに神道楊心流となりました。この流派は1868年、徳川家の家臣・松岡克之助によって創始されました。松岡先生は揚心古流の他、北辰一刀流、直心影流、天神真楊流柔術、宝蔵院流などを学んでいます。松岡先生は、消極的防御では不完全だと考え、揚心古流にこれら他武道の概念を加え、積極的な兵法もとりいれて神道楊心流を創られたのです。

 もともと神道楊心流にはこのように武器技が多く含まれていましたから、正しくは、柔術というより武術としてとらえたほうがいいのです。しかし、20世紀初期を迎える頃には、柔道がさかんになったり、武器技への関心がうすれてきたりで、当時の主流武道から、そういった武術的要素がだんだん失われていくようになりました。

 私の祖父・小幡茂太は松岡先生に出会う前は、揚心古流を戸塚彦助先生から習っていました。戸塚先生は、全盛期の頃、ご自分よりずっと大きい人にも負けたことのないほどの熟達した技の持ち主であったといいます。祖父はこの戸塚先生を非常に尊敬していましたが、松岡先生のお弟子さんから松岡先生について知り、先生に就くことになりました。そして、1895年頃、神道楊心流の免許皆伝を松岡先生からいただいています。

 松岡先生と祖父はともに榊原鍵吉のもとで直心影流を修行した仲です。20世紀のはじめの頃、祖父は自流の小幡流を創始し浅草に長谷川さんという人の援助で道場を構えました。

 またこの神道楊心流は空手の世界ではよく知られています。というのは和道流空手の創始者・大塚博紀氏が神道楊心流の免許皆伝をもらっているからです。そのことで大塚博紀氏が神道楊心流の相伝継承したとの誤った認識があるようですが、免許皆伝をもらった人は他にもおり、その結果別派も数派生まれています。松岡先生の流れの神道楊心流は、代々引き継がれ、第三世松岡龍雄氏亡きあとも現在でも日本で稽古されています。

波白松広先生のこと

―― 先生はいつから武術をはじめたのですか。

 5歳か6歳だったと思います。子供の頃から道場はおなじみの場所で、祖父と父から稽古を受けました。二人が亡くなった後は波白松広先生から習いました。波白先生は祖父の有能な弟子で、また父の親しい友人でした。彼は新陰流の剣術と神道夢想流杖術もやっていました。ですから私の剣術は彼から非常に影響を受けています。祖父は榊原鍵吉の直心影流を習ってますが、私には主に神道楊心流を教えました。というのは、祖父は神道楊心流の免許皆伝を後世に伝えるのを最優先に考えていまして、最初は父に授けるつもりでしたが、戦争がひどくなり1944年頃には父は戦地から帰れないのではないかという心配がでてきたのです。 

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