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【特集】植芝盛平と共に合気道への道を拓いた男

井上鑑昭 盛平の甥 親英体道道主


“合気道草創期にはいつも二人の姿があった!”

和歌山県田辺市に植芝盛平、井上要一郎、生まれる。
共に歩んだ武道の道ながら、あまりにも個性の強い二人……
叔父盛平への「敬愛と批判」を胸に、肉親のしがらみを断ち切って盛平と袂をわかつ要一郎だった。
井上要一郎のちの親英体道道主・井上鑑昭の大特集
※所属や肩書きは、季刊『合気ニュース』127号に掲載当時のものです。


(1)合気道のもうひとりの先駆者 井上要一郎 文:スタンレー・プラニン(2)叔父・植芝盛平、そして親和学の世界   井上鑑昭道主回想録 (3)父・井上善蔵、兄・井上要一郎のこと   井上茂子
(4)師匠・井上鑑昭を語る          親英体道 油井靖憲代表
(5)井上方軒・江上茂・青木宏之――その技の伝承を探る


(1)合気道のもうひとりの先駆者 

            盛平の甥 井上要一郎

           文:スタンレー・プラニン

植芝盛平とともに合気道への道を拓いた男・井上要一郎(のちの親英体道道主・井上鑑昭)本誌の長年にわたる合気道史の研究で、最近大きくクローズアップされてきたのが、この井上要一郎とその家族である。
本稿では、合気道草創期に重要な役割を果たしながら、これまで植芝の陰にあって見逃されてきた要一郎および井上家の人々にスポットを当てる。
史実を正しく知ることは、偏りのない合気道史を目指す者にとって、また合気道修行者にとってもたいへん意義のあることではないだろうか。
そしてそれは、開祖盛平の偉業をけっして傷つけるものではない。
本稿は、1981年以来数回にわたって本誌が行なった鑑昭師や井上家の人たちとの会見をもとに作成した。

プロローグ

 植芝盛平が合気道の創始者であることは誰もが認めるところである。合気道史の研究家たちは、大東流合気柔術が果たした盛平の技面における、また大本教の果たした精神面における重要な役割について言及している。また、竹下勇大将、富田健治、藤田欣哉、その他長年にわたって合気道創始の上で盛平を支援してきた人々の恩恵も述べている。さらに盛平の初期の弟子である富木謙治、望月稔、塩田剛三、藤平光一、子息植芝吉祥丸なども、各自が創設した組織の長として合気道の普及に貢献してきたことが認められている。

 それとは対照的に、井上要一郎は、盛平の甥であり初期の頃の弟子の一人であると記述されるのみである。しかし、盛平の合気道の発展に重要な役割を果たした要一郎が合気道史のなかでこれほど軽く扱われていることは許されない省略であり、私は以下のように論文を書き改めてみたい。

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