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【特集】合気道人生半世紀 斉藤守弘 合気会九段


今日の合気道界において50年も修業を続けている人物となると、その数はかなり限られる。さらに、合気道開祖植芝盛平の直弟子として23年間仕えた実績を持つ者となってはなおさらである。その上に、膨大な合気道技をマスターした師範となれば……それはもう、斉藤守弘師範をおいて他にはない。数多くの優秀な師範方のなかで斉藤師範が頭角を現してきた道のりはなかなか興味深い。時を得て現れた、そして他の誰よりも勝った運と素養の持ち主だからこそ可能だったケースと言える。
※所属や肩書きは、季刊『合気ニュース』109号に掲載当時のものです。


(1)斉藤守弘師範、50年の歩み   文:スタンレー・プラニン
(2)神のつくりし一家なりけり 合気のつくりし一家なりけり
                 斉藤守弘(祝賀会〝挨拶″抜粋)
(3)開祖夫妻に仕えた18年   斉藤守弘夫人 さたさんに聞く




(1)斉藤守弘師範、50年の歩み

合気道との出合い

 師範が植芝盛平翁に出会ったのは1946年7月のことである。18歳の痩せぎすの平凡な若者だった。第二次世界大戦終結直後の、武道がGHQによって禁止されていた時代である。翁は1942年からいちおう“引退”という形で岩間に移り住み、人里離れた環境のなかで修業と瞑想の日々を送っていた。実際、盛平翁がいわゆる現代合気道の完成に専念したのは、この岩間時代である。

 この岩間での貧しく質素な時代に、直弟子として仕えていたのが子息・植芝吉祥丸、藤平光一、阿部正、他に地元の門下生たちである。入門当初の斉藤青年は忍耐力を試すかのごとく、過酷で、時には痛い稽古にも、ただもくもくとして耐えるのだった。当時を振り返って師範は、「堅い道場の床での座り技の稽古では、しまいには膝から血が流れるほどだった。さらに悪いことに、新入りは、藤平、阿部といった先輩たちの情け容赦のない厳しい技の受をやらされた」と語る。

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