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ウィーログのミッション「あきらめない」という言葉について考えてみた!

こんにちは、サカモトです。

週2回月曜日と木曜日にnoteを書いています。今回は、月曜日の記事になります。

今日からまた1週間が始まりますね〜、また頑張っていきましょう!


さて、今回のテーマは「あきらめない」という言葉についてです。

実は「あきらめない」という言葉は実は苦手だったりします。過去に心が弱くなった時期があって、その時に「あきらめない」とか「頑張る」と言った言葉が本当に辛くかった覚えがあるからです。自分としては前に踏み出そうとしているのに、体がついていかないというか、心がついていかない、そんな苦しい思いをしたことがありました。その時の記憶がなかなか抜けません。

だから、あきらめないという言葉にはネガティブに感じることがあります。これは絶対ダメというより、自分の中の古傷が少しうずく感じですかね。


一方で、「あきらめない」という言葉には希望を感じる人たちもいるのですよね。


あきらめない」という言葉を強く意識するようになったのは、前回の記事にも書いたウィーログの代表の織田さんの言葉です。

ウィーログ代表の織田さんは講演会などで引っ張りだこで、いろんな場所で話をしていますが、何度も繰り返し話されている言葉が「あきらめない」です。初めてこの言葉を織田さんの口から聞いた時の衝撃というか、インパクトの強さは印象的で覚えています。


その織田さんが立ち上げたウィーログのミッションは「車いすでもあきらめない世界をつくる」です。

ウィーログのミッション


えっと、あきらめないとわざわざミッションにするということは、当然ながら今の社会では車いすの人たちにとってあきらめるということがたくさん、たくさんあるあるということを示しています。こちらの動画で織田さんが語っていますが、道路の凸凹や段差などがバリアだと語っています。

ただ、こうした物理的なバリアも一つの障害だと思いますが、人の対応もバリアだと思うんですよ。例えば、エレベーターがいっぱいで乗れないとか、障害者用の駐車場に健常者が停めてしまうとかね。それだけじゃなく、電車に乗るときは乗り降りの時に駅員さんにお願いしないと乗れないとかね。

駅員さんの態度が悪いとか、流石にそういうのは最近は減っていると思うんですよ。SNSの書き込みや会社へ通報なんかをされてしまうんでね。でも、わざわざ人の手を煩わすというのは億劫だったりすると思うのですよね。

そうなると、わざわざ外出するのをやめようかな、外に出て誰かに会いに行く、やりたいことをやるなんてあきらめよう、ということになっていきます。そして、人生に潤いや希望を見出せなくなっていくんでしょう。


話は変わりますが、最近映画「余命10年」を見ました。

主人公は学生時代に難病にかかり、余命10年の宣告を受けます。発作が起これば命に関わるということで、家族は大事に扱い、主人公家の中で何もせず、ゆっくり過ごすことを望みます。しかし、それに対して主人公がいった一言が
暇すぎて死んじゃう
です。

そこから、主人公は就職活動をしたり、恋愛をしたり、、、といった話です。ストーリーについては映画を見てください。

この映画から、言いたかったことは、人というのは、何かをしてはダメと言われる、やりたいことをあきらめることが何より辛いということですね。

だからこそ、やりたいことができないと思っていた人が、実はあきらめないでいい、やりたいことをやっていいと知った時の嬉しさはどれほどのものなんでしょうね。

ウィーログと関わるようになって、車いすの人たちが活き活きとしていることにいつも驚かされます。その理由は、みんなあきらめなくていいと知っているからなんでしょうね。

「あきらめない」という言葉を聞くと少し苦しさみたいなものを感じることがありますが、一方でその言葉によって希望を持つ人がいて「あきらめない」という言葉の力の強さも感じます。


ここまで「あきらめない」という言葉の裏と表の意味みたいなことについて書いてみました。「あきらめない」って僅か6文字ですが、深いですよね。


最後に、ここまて話してきたウィーログは今月7周年になります。7周年を記念してイベントを開催します。もし、よろしければ参加してみてください。
参加が無理でも、皆さんからの優しいメッセージを募集しています。メッセージだけでも贈ってもらえるとありがたいです。

よろしくお願いします。




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