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【ふしぎ旅】汗かき地蔵

 新潟県新潟市(旧亀田町)に伝わる話である

 下早通に祭られている地蔵は、村に何か異変が起こりそうになると、汗をかいたり、うなり声を出したりして人々に知らせた。
 人々は深く信仰し、また地蔵の様子に気を付ける様にしていた。
 この地蔵の霊験は下早通だけでなく、上早通・長潟・丸潟にも及んだので、広く信仰された。
 現在の堂は大正期のものだが(1900年代初頭)、その前のものは明治初年(1868年)の建立である。
 明治にお堂の建立を発願した人は、地蔵をデンジャク担ぎ(背面背負い)して托鉢して歩いたと伝えられる。

佐藤和彦・高橋郁子『新潟歴史双書1・新潟市の伝説』
下早通 地蔵尊

 下早通には二か所、地蔵様があるが、どちらも地域の信仰が厚い。
 伝説にもある地蔵は、吉事があると微笑むとも言われていた。
 いずれにしても、何らかの変化があったと告げている。

地蔵堂

 伝説では、堂が建てられたのは大正期となっているが、現在ではさらに新しくなっている。
 堂の中にある地蔵は台座の上に置かれてているというよりは、台座にめり込むような形で置かれている。そうでないとしたなら、頭と堂のバランスが極めてよくない。

汗かき地蔵

 不思議なではあるが、過去の写真などを見ると、以前からそのような様式だったようだ。
  安定感が悪いのか、足元に見てはいけない秘密があるのかは分からないが、非常に奇妙な形で置かれている。
 首だけの仏頭であったり【上越市仏頭】、上半身だけで意図的に作られた仏像(妙高市関山石仏群)はあるが、お地蔵様でこの形はめずらしい。

関山石仏群

 足元が見えないので何とも言えないが、、もしも地面に直接、地蔵さまが置かれているならば、汗をかいたり、うなり声を上げたりするのは、置かれている地面が地下水脈の上、もしくは水分が多い土地の上を通っており、地震などで、その地下水脈に異常が起きた時に、水蒸気や地面の動きのセンサーとして働くなどというこじつけ的な推論も出来そうだ。
 2024年能登地震の時も、新潟市内は液状化現象で、あちらこちらで地面が隆起、陥没したり、することがあったし、この地蔵があった地区の近辺でも被害はあった。
 もっとも吉事があった時に微笑むというのは、さすがにその理由に関して、推測できないが。

 この辺りの地蔵様には、多くの伝説が残っており、同じく早通地区である焼け橋にある地蔵には次のような話が伝わっている 

  早通集落へ用水路を引き込む最初の起点となった場所がこの焼橋です。以前はこの付近にも割野集落があり、ここから早通集落の開拓が始まりました。

 この辺りは昔ムジナが出て悪さをし、新しく作った橋を焼き捨てては住民を困らせておったそうです。お地蔵様を建てたら悪さをできなくなったということから、焼橋地蔵と名付けられたという言い伝えがあります。

 
ムカシムカシはやどおり:https://hayadori.net/jizou/
焼橋 地蔵

 現在では、あたり一面に水田がひろがり、その一部に工業団地が出来上がっている。
 用水路はあるが、幅は狭く、橋をかける程ではないが、以前は違ったのであろう
 現在でも田舎ではあるので、ムジナの類は出そうであるが、交通量は多く、あまり呑気に暮らすことは出来なそうだ。

焼橋 地蔵堂

 もっとも、この辺りの火事は少なくなさそうで、大島てるを見ていたら、事故物件として、この辺りの記述に”焼死”という物件があり、少し驚いたことがあった。
 昔より、火事が起きやすい地形などかもしれない。

 現代では、お地蔵様は、路傍にあっても、由来書はなく、地元の人でも、その伝説など知る人は少なくなっている。
 そんな中において、この地域では、まだその由来などが残され、また人々の信仰も厚い。
 そこには、かつて、この地区に住んでいた人たちの思いが残されており、それが新たな人たちによって、新しい形で紡がれてきた証でもある。
 地蔵さまは、ただそこにおるだけで、人々が物語をつむぐ。 
 そのことを私は非常に愛おしいと感じる。

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