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【ふしぎ旅】慈光寺

 新潟県五泉市(旧村松町)に伝わる話である。

 滝谷の慈光寺は、越後四大禅寺の一つで本堂の間口十二間、奥行き十間という大きな寺である。境内には老杉がたくさんあり、裏は白山の山続きになっている。
 今から約600年前、神戸太郎最重という人が、この地方を開発して治めていたが、白山の奥の池に大蛇が住んでおり、時々出てきて田畑を荒らすので困っていた。
 そのころ、楠木正成の子孫で金吾正勝という人が名前を傑堂と改めて、僧侶になり岩船郡に耕雲寺という禅寺を建立し、ここに住んでいた。
 最重は耕雲寺に傑堂和尚を訪ね、「大蛇の害で苦しんでおります。貴僧の法力で大蛇を済度していただきたいと思い、お願いにあがりました」と頼んだ。
 傑堂和尚は、それから数日後、白山の山奥へ入っていくと、青黒くよどんだ気味の悪い池があった。
 和尚はそこにある岩の上に座って一所懸命に読経した、すると真夜中頃、美しい女が現れ
「わたしはこの池の主の大蛇です。ありがたい仏の功徳で、この世の苦しみからのがれることが出来ました。
 お礼に、この池を埋め平地にして差し上げますから、ここにお寺を立てて、布教してください。わたしは山に登り、白山権現となって寺を守ります」

 と言ったかと思うと、女の姿は煙の様に消え、激しい地鳴りがして、池はたちまち埋まり平地になってしまった。
 その時、流れ出た水に乗って大蛇は海へ出たという。
 この付近に大蛇が口をあけたところだという大口、うねうねとうねったところだという九十九曲がりなどの地名がある。
 最重は傑堂を迎えて、ここに立派な寺を建立した。これが慈光寺の開基だと言われる。
 それから毎年行われる慈光寺の法要に、若く美しい女が参詣にきた。
女の帰った跡はびっしょり濡れていたが、この女は傑堂に済度されて往生した大蛇の化身だと言われた。
 慈光寺の境内には大蛇が枕にしたと言われる「蛇枕石」が残っている。

小山直嗣『新潟県伝説集成下越篇』

 

慈光寺参道

慈光寺は旧村松町の中心部の外れにあり、山の麓の何も無いところに、こんな立派な寺がどうしてという感じで存在している。
 伝説にもあるように由緒正しい寺で、参拝客も少なくない。
 杉並木を抜けていくと石仏などを見ていくと、大きな池だったという本堂がある。

慈光寺本堂

 立派な院庭を中に置き、それを取り囲むように本堂他がある七堂伽藍である。
 庭の中央に蛇が枕にしたという石がある。

慈光寺 蛇枕石

 さて、女神になったはずの大蛇であるが、そのまま息絶えずに、流れ出た水は能代川となり、信濃川に合流し、日本海へとたどり着いたらしい。

 伝説にもあるが、能代川はかつては九十九曲川(くじゅうくまがりがわ)と呼ばれるほどの激しく蛇行する川であった。

能代川

 一説には、日本海では無く、新潟の白山神社にたどり着き、そこで神となったとも言われている。

蛇松神社 後方が蛇松

 白山神社の本殿の裏手にある蛇松神社が、それだとか。
 松の幹の皮が 蛇の鱗のようにみえるのが特徴である。

高龍神社

 さらには、大蛇は2匹に分かれ、一方は白山神社に、もう一方は長岡の高龍神社へとたどり着いたという伝説もある。

 新潟屈指の名刹である慈光寺より生まれ、かつては新潟県社であった白山神社に祀られるとは、さらには、県内でもパワースポットとしても知られる高龍神社まで関係してくるとはこの大蛇、どれだけの妖力があったのだろうか。

慈光寺内を流れる川

 とは言え、霊峰白山より流れ出る能代川(実際には、少しずれるが)は、洪水などのたびたびの水害をもたらしながら、大河、信濃川に合流し、日本海へとつながっている。
 その姿は、昔の人から見たら、巨大な神秘的な生命体のように感じても不思議はないであろう。

 この一帯の川には川の主が多いらしく、早出川につながる仙見川には大蝦蟇がいる。

 早出川の東光院には龍神がおり、こちらは阿賀野川へとつながり、日本海へ出る。

 いずれも、水辺への畏敬と、その神秘さからから生まれたのであろうと推測される。

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