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その70 認めること、認められること

 もう40年以上前、私立小学校の6年生だった時の話です。教壇に向かって右側、後ろの方に座っていました。その日は卒業文集の編集委員を決めていました。当時、勉強の成績は悪く、運動神経も良い方ではなく、特に目立つ存在でもありませんでした。編集委員の名前が数人あがってきました。もちろん成績優秀者。自分でも文章を書いたりすることは好きだったので、やってみたいなぁとは思いましたが、候補者との差があり過ぎてじっとしていました。その時、学級委員長で人格者(!)のS君が手をあげ、大きな声で
「五島君がいいと思います。文章もうまいし!」
と言ってくれたのです。衝撃でした。周囲の反応は冷ややかでしたが、S君にそこまで言ってもらったことがうれしく、態度には出しませんでしたが、舞い上がるような気分でした。もちろん編集委員にはなれませんでしたが、そんなことはもうどうでもよかったのです。

 あれから40年以上たった今でも、年に数回、あの時、あの場所、あのS君が手を挙げて大きな声で僕の名前を呼んでくれた瞬間を思い出します。今ではいろいろな文章を書いたり、ラジオで話をしたり、講演会や講義をすることもありますが、すべてはあの瞬間に得た自信が原点です。

 認めること、認められることは容易ではありません。口だけでほめても認めたことにはなりません。また、自分自身に認めてもらえるものがなければ認められないのです。ただ、最近、この歳になって若い人たちと接すると才能は手に取るようにわかります。どこかでくすぶっていたり、原石はあるのに磨かれていなかったり、一見良さそうなのだけど残念ながらそこで満足していたり。だからいろんな機会を与えて才能が動き出すのを待ち、しかるべき時に認めるようにしています。

 その才能があり、それを人に認められることほどその人を成長させるものはありません。チームは人です。メンバーが成長過程にあればチームは伸びます。

 才能があり、それを人に認められることほどその人を成長させるものはありません。

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