人が歳をとって死にゆく存在であることを実感した20代のある日。

人が歳をとって死ぬことは子供の頃から知識としては知っていた。ひいおじいちゃんが亡くなったり、芸能人でも大御所の方が亡くなるニュースを聞いたりしていた。
しかし、それは幼少期の自分にとっては、おじいちゃんおばあちゃんだから亡くなるものと思っていた。ひいおじいちゃんは初めて会ったときからヨボヨボのおじいちゃんだった。だからどこかで仕方がないもの、そういうものだと思っていたと思う。
事故や自殺、突発的な病気で高齢ではない人の死も耳にはしていた。しかしこれについてもやはり、歳をとって亡くなるという認識にはならなかったものだ。
初めて人が歳をとって亡くなるものだと実感したのは、2004年3月にいかりや長介さんが亡くなったニュースを聞いたときだった。
「8時だよ!全員集合」で舞台上でのド派手なパフォーマンスがうっすらと記憶にあり、その後の「ドリフ大爆笑」は翌日小学校で話題になったり、真似をしたりしていたものだ。まだ中年でおじいさんというかんじではなかったいかりやさんは志村けんさんのボケに困った表情をしているのが印象的で、数々のコントの内容も記憶している。
あるときドリフの中で、コントの合間にいかりやさんが一人で話す場面で「私も薄くなった髪をこのようにセットしてですねえ…」という言葉があった。段々と歳を重ねてきているのだなあと思った。そしてお笑いから演技のお仕事の比重が増えていき、そちらでも活躍していた。
そして04年にがんで72歳で亡くなった。もちろんもっと活躍していただきたかったが、「72歳でがんで亡くなる」ということはそこまでイレギュラーなことではないだろう。私はそのとき20代だったが、このとき初めて「人は歳をとって死んでいく存在なんだ」ということを身に染みて感じたのだった。子供の頃はお母さんは最初からお母さんという存在で、高齢の俳優さんは最初から高齢の俳優さんという存在だった。
自分の20年は成長していく期間だったが、他の年代の人たちも同じように20年を経て、歳をとっていく。そして病気で亡くなることもある。いかりやさんが第一線で活躍していたのを見ていたからこそ、人生が限られているという厳然たる事実に対してこのとき強い感情をもったのだ。
歳を重ねて生きていくことは、自身の変化だけでなく、周りの人たちや社会の変化を肌感覚でもつことであり、その実感を自身の内に幾重にも折り重ねていくことなのだと思った。

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