たむらけんじさんのポストから改めて考える、記者名は出すべきか問題

たむらけんじさんがX(旧Twitter)のポストで、文春からDMが来たことを明かし、DMをSNSにあげてよいかたむらさんが許可を求めると取材記者から「個人情報に配慮してください」と言われたことに呆れているとのことだった。

この中で「取材には答えない」とたむらさんが答えて、記者はそれを了承したはずなのに数時間後には松本さんの性行為の有無を聞いてきたり、女性側には報酬を払っておきながらたむらさんには払えないというなどチグハグな対応を取っており、たむらさんは不信感などを表明している。またDMには直接やり取りしていた記者の名前は残っていた。
それに対して様々な意見やコメントがあり、多くは文春の取材に批判的なものであった。

その中に、やり取りした記者名について、2012年に橋下徹元大阪市長の出自を侮蔑的に扱った週刊朝日の記事に関わった人物と同姓同名であるという指摘があった。
橋下さんに政策論争では勝てない反対勢力が、遂にはその出自を貶めて、「政策論争をする気はない」「異常性格は出自、血脈のせい」という特集記事を佐野眞一というジャーナリストが書いたことが大問題となり当時の朝日新聞出版社社長が引責辞任する事態となった。
また当時週刊文春でも橋下さんの出自を取り上げた記事を掲載し、和解となっている。


今回の記者もイチ社員として業務をしているだけであり、橋下さんの記事についてもどの程度関わっていたのかはわからない。悪いのは上なのかもしれない。
しかし文春に批判的な発言が多い箕輪厚介さんは自身の動画で「文芸春秋社もそこそこの大学出てる大人しい育ちのいいかんじの人が多いし、出版社も会社だから部署異動がある。数年で入れ替わる中で、記者は今たまたま週刊誌の編集部にいるだけ」つまり個々の記者を悪魔化する必要はないと発言している。
YouTube番組リハックで先日新谷総局長が出演した際には高橋プロデューサーは「個々の記者はただのサラリーマンで過激な記事を書いたところで著作権などが発生するわけではないから顔実名まで晒す必要はない」との主旨を話していた。ここでも一人一人の記者が悪魔ではないということを言っているのだろう。
文春に批判的な人たちから「冷静さ」を求める意見が出ていて「そうなのか」と思っていた部分もある。
あれだけの問題に関わって、人権とペンの暴力の問題については反省したことだろうから、まさか同じ人物がたむらさんにこんな厚かましい態度で舐めた口を利くとは思えない。単なる同姓同名の別人だと思うのだが、万が一同一人物だとしたら箕輪さん、高橋さんの「冷静で穏当な」見解も疑わしくなる。
このような人物は2、3年の腰かけでやっているわけではなく、「ライフワーク」として取り組んでいる薄気味悪い人物像が描けてしまう。
リハックで新谷総局長は「メディアにもヒエラルキーがあって昔は週刊誌なんて最下層だった。他のメディアでは扱えないネタをうちがありがたく頂戴していた」という趣旨の話をしている。
大メディアのおかしさやレベルの低さもそれこそ橋下さんや最近で言えば石丸安芸高田市長とのやり取りがYouTubeなどに上がることでみんな気付き始めているが、最下層メディアにもそのような「偏向した」人間がいるのかもしれないということに気づかせてくれたわけだ。
そしてこのようなことがわかったのも記者名が明かされたからこそなのだ。

新谷総局長は「週刊紙は人間の矛盾した側面や表づらからは伺い知れない面白みをあぶり出すメディアだ」と言っているが、まさに人の血筋や「まっちゃんがセックスしてたかどうかだけ教えて、お願い」と夜中に連絡してくる人間が、正義面しているという面白みを示してくれた。自身を一方的にカメラを向ける主体だと勘違いしている人間こそ、カメラを向けられることが憚られる振る舞いをしている、たしかに人間とは面白い存在だ。


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