なんで海外と違うと「日本は遅れてる」ことになるの?

政治家や会社役員に占める女性の割合は何%かとか、死刑を廃止していないのは「先進国」ではアメリカと日本だけであるとかいったことを根拠に「日本は遅れてる」などと言われることがある。
なぜ女性が「指導的」地位にたくさんつくべきなのかとか死刑がどういった意味で廃止した方がいいのかは議論があってもよいし、海外の状況を参考にして、どのようにすれば日本がよくなるかを考えるのもよいと思うが、なぜ海外、特に欧米と違うことが遅れていることになるのか。
様々な社会的条件のみならず、身体的にも精神的にも日本と海外は違う。それらを勘案して日本は日本に合うやり方でやっていけばいいだけだと思うのだが。そうでなければ自治も独立した主権国家も必要ないだろう。
政治家や会社役員を目指さず、専業主婦になりたいと思う女性がいたとして、自分の人生を自由に選ぶ権利が阻害されているのでなければその意志を尊重してあげればよい。そしてその結果として「指導的」地位にいる女性が少なくなったというならそれをもってなぜ遅れていることになるのか。
死刑が取り返しのつかない究極の刑罰であるとか、野蛮であるとか確かにそういう側面はある。刑罰が専ら教育や矯正を目的としているというならばたしかに死刑はその目的に反する。だが、命をもってしか償えない罪があるという観念を日本社会がもつことが遅れていることになるのか。死が単に全てを無に帰すものなのではなく、受刑することに意味があるという物語を紡ぐことはバカげたことなのか。むしろ「先進国」の方が社会として大切な何かを忘却しているということはないのか。

死刑廃止国からの犯罪人引き渡しが死刑をやっていると円滑に行われないとかの事情があるのならば、それらも踏まえたうえでそれでも死刑を存置するのかどうか日本人が民主的に決めればよい。
死刑に犯罪抑止効果がないというならば学問的にそれを示してそれでも死刑をやるのかどうかやはりみんなで考えればよい。
個人だけでなく国家にももっと多様性を認めてもよいと思う。

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