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第5献 生かされるということ(『中程②』の後半寄り💧)

『僕の行く末』✨

40代後半、福島原発関連の期間限定のセンターでSVをしていた時、『規模縮小』により、センターの場所が移動するコトになりました

それまでより遠くになり、希望のセクションに入れるかも分からないとのコト

そして僕はボンヤリ

『50歳くらいには何者かに成っていたい』

と思っていました

『着付け』の世界から離れた僕は
『何者』でもなく
『只、生きている』だけの人でした

僕は『僕の行く末』を決めるべく
センターを辞める決心をしたのです

『チョイMな僕』✨

何か新しいコトを始める時
僕は『苦手なコト』を選ぶクセがあります

機械が苦手だったから、PC始めたり
スポーツ苦手だったから、スノボ始めたり

んで…

『人見知りだから、飲食業界』飛び込みました

チョイMかっ❕☆\( ^ω^ ;)

『日本酒嫌い』✨

50歳手前のオッサンを雇ってくれた奇特な人は、大柄な女社長でした

社長はやり手で、日本酒を冷やすのは、現在では当たり前ですが、それを始めた方だと後から噂で聞きました

そんな方なので、酒蔵の方から売り込みにやって来ます
蔵から直接仕入れたりすることもあり
日本酒の価格はメチャクチャ安く
系列店は日本酒マニアが集まる店ばかりでした

そんな中、配属されたのは
席数20の二人で回す、出来て2ヶ月の『おでん屋』

店長は『体罰当たり前』の最悪なヤツだったのです💧

この店長に『飲食の基本』を暴力で叩き込まれ、試練の日々が続く中で『更なる苦痛』…
それは『日本酒の試飲』でした

そう、僕は…

『日本酒嫌い』だったのです(´・ω・`)

『運命の酒』✨


地獄の日々は2年後、店長の独立という結末で終わりました

ヤツが唯一残したプレゼントは
日本酒嫌いだった僕にとって

『運命の酒』

となった『あの酒』を引き合わせたコトでした

『日本酒って…旨くねっ❕❔』


そこから僕の『日本酒人生』が始まったのです

『あの酒』が無ければ、『あの店』にも『あの人』にも出会えなかったし、日本酒に急速にハマるコトもなかったでしょう

『運命の酒』や『あの店』『あの人』については、敢えて言及を避けます
(余りにも有名なので、過去に便乗商法的に受け取られ、批判された経験あり❕
単純にリスペクトだったのに…NETって怖い…)

2代目店長は、若いのに仕事が『デキる』元高校球児(キャプテン)でした

彼が僕にホール業務を、『僕のやり方』で任せてくれたお陰で、今の僕のスタイルは確立出来たのです

つづく✨(*´∀`)

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