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『プリズム』参加者レポート④

レポート作成者:匿名

ワークショップが終わって数日経つが、未だにあの時間が名残惜しいと感じる。初めて知り合う人達とたった5時間共に過ごしただけで、名残惜しさを感じるには充分なほどの思い出が刻まれた。その理由は、私が私そのものの常態で居ることができたからに他ならない。自分のバリアやら繕いやら仮面やらを全て取っ払って、さらには細胞までをも空気に晒してそこに存在していたのである。長谷川さんのワークショップに参加するのは2度目だが、最初の頃も同じような感覚があった。しかしながら、私は日常的にそのままで居るということに対して僅かながら恐怖を抱いている。その恐怖を捨てきれず、前回は恐る恐る口を開き目を開き段々と心地よさを得ていたと思う。今回は、そのようなビビりを捨て、自分の呼吸に身を任せ、周りの人達が作ってくれる空間に寄りかかってみることにした。そして、そうすることが許される場所であることに喜びを感じたのである。このワークショップは、俳優のためでありながら人間のためでもあると思う。話したいこと・話したくないこと、居たい場所・居たくない場所、普段分かるようで分からない自分の我儘な部分が見え隠れする感覚は、やはり少し怖いし恥ずかしかったりするが、等身大の自分を大切にしたくなるような可愛げを知らせてくれる。そして、ドラマチック界隈という特殊な形は、あらゆる方向に手を伸ばし、あちらこちらから人が歩み寄り、乱れながらも思わぬ調和を保ち始める面白さがある。今更思うが、はじめましての方と何の打ち合わせもなく前に立ち、「漫才をしてください」なんてとんでもない事だ。幼い頃の人見知り全開の自分がそんなことを求められたら、全身が震えあがって目にはじんわり涙が浮かび、胃が痛くなってトイレに駆け込んだに違いない。でも、今の自分がその無茶振りに喜びを覚え、「うわぁなんだそれ楽しそうだ」とぴょんぴょん飛び込んでいける人間で本当に良かった。だってやった方が絶対面白い。誤解のないように言うと、長谷川さんは決して参加者がやりたくない事を無理強いしない。しかし、無理強いしないひとの「やってみませんか」には乗った方が良いと個人的には思う。思い通りに動かないと許さない!というゴリゴリな指導者を前にすると自分を見失う寂しさを感じるが、長谷川さんはそうじゃない。奇抜な話や立派な話が出来ないと思っていても、それを決めるのはあくまで私を見ている人なのだ。想像以上に話が長くなってしまい、少し恥ずかしい。あれやこれやとそれっぽい事を言っているが、1番言いたいことは「ほんっとうに楽しかったからまた行きます」という事。ありがとうございました。

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