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日本が世界に誇る「HONDA NSX」というスーパーカー

車の話になるとついつい話しが長くなるドリガレです。
DreamGarage第一回の投稿は何を取り上げようか、悩みに悩みました。    だって世界には魅力的な乗り物がたくさんありすぎるから!

それに人それぞに魅力的と感じる要素って違うからね。 
で・・・悩みに悩んで決めたのは「HONDA NSX」型式NA1です。 
時代がどんなに流れようと、この車が世界に与えた衝撃はマクラーレンF1以上だとドリガレは思ってます。
今見ても全く色褪せない優秀なデザインと当然古さは否めないものの、現代でも十二分な走行性能。 本当に惚れ惚れする車です。


HONDA NSX NA1はこんな車

NSXという車を当時のホンダプレスリリースからの抜粋で簡単におさらいしてみましょう。
発表は1989年 時代はバブル景気の最終期 市場経済は潤っていました。
今出さないでいつ出すの!?というタイミングでした。


開発コンセプトは「新しい時代を見据えた、独自の、そして最高レベルのスポーツカー」というもの。 

「走る」「曲がる」「止まる」という基本性能を極限まで高め、これらを高次元でバランスさせたビークルダイナミクス(運動性能)の徹底追求。
ホンダの開発陣が沸き立ったのが想像できる、実にホンダらしいコンセプトです。
そして一番ホンダらしい車づくりのポイントが『徹底した軽量化』これです。量産型市販車であり、ホンダのフラッグシップスポーツカーという重責を負いながらも、ラグジュアリーと軽量化という相反する課題を当時のレベルとしては超高次元で見事に両立していました。

NSX透視図 ホンダプレスリリースより

エンジンはV型6気筒 2,977cc DOHC VTEC(可変バルブタイミング・リフト機構付き)
トランスミッションは5速マニュアルとフル電子制御7ポジション4速オートマチック
クラッチは小径ツインクラッチ
4輪ダブルウィッシュボーンサスペンション
軽量高剛性オールアルミモノコックボディ(市販車世界初)
全長4,430 全幅1,810 全高1,170
ホイールベース2,530   トレッドF1,510 R1,530
最低地上高 0,135
乾燥重量1,350kg
最高出力280馬力(メーカー協定規制上限) 最大トルク30kgm 

と、軽くおさらいでした。
当時スポーツカーではタブーとされていたオートマチックトランスミッションの採用やそれまでのスポーツカーとは比べ物にならない実用性が話題になりました。

NSX開発の背景

1980年代後半世界的フォーミュラ1選手権ブームの真っ只中。 
F1第2期黄金時代を迎えていたホンダはフラッグシップカーを模索してたと言われています。
国内の技術研究所ではいずれディーラー側から何かしらの要望が上がってくるであろうと予測し、2000c cクラスの後輪駆動ライトウエイトスポーツの開発を予定していたようで、ラフデザインや、おおよそのシャシーレイアウト、エンジンの選定まで進んでいたようです。
しかし、当時のホンダは先述の通りF1での好成績と人気で2000c cクラスのライトウエイトFRではフラッグシップにはちょっと弱い。

そんな頃、北米ホンダから後のホンダの運命を変える大きなプロジェクト要請が届きます。
『米国で販売ができる、富裕層向けのスポーツカーを開発してくれ! 大きな排気量で荷物も積めて、女性でも気軽に運転ができるようなスポーツカーを!』
➖こんな言い方だったかは定かではないけど、要望としてはこんな内容だったそうです➖

米国で大排気量で気軽に乗れて荷物も積めるスポーツカーといえば
V型8気筒で排気量は4000c c以上
フォードマスタングやシボレーコルベットなどをライバルイメージとしてのオファーだったと想像できますね。

そして、女性でも気軽に運転ができるスポーツカーという課題
これは超富裕層になると、奥様用のセカンドカーがメルセデスベンツSL560やフェラーリ412GTのオートマ車だったりするわけです。
普段は奥様の足でありながら、週末は社交クラブへ旦那様が運転して夫婦で乗り付けるような使い方を想定される富裕層に向けて作るならばオートマが必須というわけです。
そしていよいよ、NSXではよく話題に上る「トランク」の話です。
社交クラブやテニスクラブ、ゴルフクラブ、乗馬クラブなどへの移動手段として使う富裕層にとっては、それなりにしっかりしたトランクが欲しいわけです。 こうした要望がヨーロピアンスポーツでは叶わず、メルセデスベンツ560SL BMW635csiやポルシェ928GTS、フェラーリ412GTあたりしか選択肢がな買ったようです。

どれもリアルスポーツというにはイメージが少し違いますね。

そこでホンダはF1のイメージとスポーツ性能のアピールを兼ねてミドシップレイアウトを採用。

ミドシップは燃料タンクの位置による衝突安全性の低さや操縦安定域の狭さから量産車では避ける傾向がありますが、そこは技術屋のホンダスピリットで素晴らしい
安全性と安定性を両立したパッケージを作り上げました。
NSXのテールが長いスタイルは発売当初は「間延びしたスタイリングで格好悪い」という声も一部ジャーナリストからありましたが、安定性を狙ってのロングテール化は実際のハンドリングの良さと高速域でのフラットな乗り心地に寄与したのは間違い無いです。
後にマクラーレンF1がレース車両にロングテールを採用して安定化を計った事を見てもやはりNSXには先見の明があったと思います。
また東京モーターショウでのホンダブースの人だかりを見れば、「間延びした」と表現したジャーナリストのセンスも疑わしいものです。
実際に1989年の東京モーターショウで展示車両を目の前にしたドリガレも、こんな車を日本メーカーでも出せるようになったのか!と鼻血が出そうになった記憶があります。

新規V8開発は厳しかったホンダ
米国ホンダからの要望では「大排気量エンジン」でしたが当時のホンダはアメリカ人の好むようなV8のノウハウを持たず、いくらバブル期と言えど応用性のない高性能V8エンジンの新規開発なんて無駄な事を出来るほどの懐事情ではなかったでしょう。ですが・・・米国人にとっての大排気量エンジンというのは『V8』一択と言っていいほど、アメリカは何にでもV8をのせる傾向があります。
これは私の想像でしかありませんが、V8を作れない代わりにミドエンジンレイアウト&オールアルミ躯体&VTECという先進性と珍しさで勝負に出たという側面もあるのではないかと思います。

既存のレジェンド用V6 3000ccエンジンをNSXに載せた説が通説ですが
ミドシップレイアウトやVTEC化の理由もあって、そのまま流用というのは考えにくく、おそらくはエンジン腰下やコンロッドなど一部パーツが流用されて、他はNSX用にアレンジしたり新設計のパーツも多かったはずです。

ー余談ですー
今ではNSXといえば官能的VTECを搭載したミドシップというイメージが当たり前ですが、なんとVTEC搭載が決まったのは1989年の年明け、社内新年会の社長講和の時だったそうです。 発売は9月! 開発チームの冷や汗アブラ汗を吹き出した瞬間が容易に想像できますね。 これはVTEC搭載指示という明確なものが出たわけではなく、社長講和の話の中で、「現在発売に向けて順調に開発中のNSXであるが、このエンジンをVTEC搭載で行くことにする!」と何気ない発言だったようです。
開発チームの面々は「おやじさんの話し長いなぁ〜」なんてビールでも飲みながら聞いていたことでしょう。 青天の霹靂、寝耳に水。 販売チームはおそらく歓声をあげたことでしょう! VTECなら一級のスポーツカーとして売れる!と。
他方、開発チームは「おいおい 間に合うか? どうやって間に合わせるか?」と新年早々にビールを吹き出し対応に追われたことでしょう。

しかし、逆にいえば、この急な方針転換が無ければ、平凡な3リッターエンジンのモワッとしたV6のまま市場に出ていたわけで、米国ホンダの求めた奥様安楽スポーツカー風のキワモノ車として扱われ、16年もの長きにわたる販売はなかったかもしれないと思うと、本田宗一郎氏の一瞬のひらめきと決断は素晴らしいですね。


話を開発に戻しましょう!

開発の要として、後のスーパースポーツにも多大な影響を与えたと言われている「人間優先ドライビングポジション」はNSXを語る上でも特筆すべき点でしょう。
NA1型NSXのドライビングポジションの素晴らしさは30年以上経過した現代においても秀でています。
この人間優先という点は、実にホンダらしいなと感じる部分です。
座ればわかる、見通しの良さ。
初代クーペはリッチなレザーシートと厚みのあるクッションで視点こそ高めですが
フロントガラスから見る視界はスポーツカーの水準からかけ離れたものでした。
それこそ、シビックにでも乗っているような開放的な視界と、スポーツカーとしての包まれ感、暗さをしっかりと確保した上で、目の前から拾える情報は格段に多いという唯一無二のコクピットデザインだと思います。

見える情報が適切に多いということは安全に直結します。
安全を第一に考える本田宗一郎スピリットここにあり!って感じですね。

こうした視界の良さも、後に出るマクラーレンF1がNSXをお手本にしたという話もあるくらいです。※ゴードン・マーレイ氏は公式にはお手本にしたと発言はしていません。 素晴らしいスポーツカーとしてNSXだけが認められたというニュアンスです。

マクラーレンF1にも一度座ってみたいですね〜。

– 「安全といえば」余談だけど−
現在は建て替え計画が出ている東京青山一丁目のホンダ青山ビル。
この建物は、窓ガラスの外側に小さなデッキが設けられています。
このデザインには当初全面ガラス張りの未来的なデザインを提案された際に、本田宗一郎氏がこう言ったそうです
『地震や火災などのもしもの時、全面ガラスでは通行人に危険が及ぶ。やり直し!』
結果的には全面ガラス張りは取りやめとなり、ガラス窓に小さなバルコニーを付けてガラスの破片が地面に落ちにくいデザインとなりました。 
人間優位の思考が商品開発以外にも反映されたホンダらしいエピソードです。
2030年には新社屋が完成予定とのことです。 
本田宗一郎氏の関わらない新しいホンダビルはどんな形で人間優位が現れるのか。 
それとも現れないのか。
今から楽しみです。


開発にはあのスター★ドライバーも参加

80〜90年代のフォーミュラ1において、世界的に人気が高かったドライバー
日本にも多くのファンがいます。 そう!「アイルトン・セナ」
当時、第2期F1参戦時代。ホンダのエースドライバーを務めていたA・セナがたびたびNSXにテスト試乗していたのです。 公式なテストドライバーではありませんが、彼に乗ってもらいフィードバックされる情報は開発エンジニアにとってはとてつもない宝だったでしょう。
開発時のみならず、実際にマイカーとして所有していたことからも、NSXのスポーツカーとしてのレベルの高さが伺い知れますね!

特に、F1日本グランプリ開催時期に合わせてホンダが公開したNSXtypeRを鈴鹿サーキットで試乗する姿は実に痺れます。 ジーンズにスリッポンというラフな普段着でとんでもない本気走行をしています。
この時ばかりはヘルメット非装着でもお咎めなしだったことでしょう。

何より驚くのは、セナのドライビングにしっかりと応答するTYPE−Rの性能の高さですね!

セナのお墨付き

A・セナは複数のNSXを所有しており(噂では8台も!)別荘や長期滞在する場所には必ず自前のNSXを置いていたという逸話もあります。
そのセナが自動車誌のインタビューでこんな言葉を残しています
『フェラーリでも、ポルシェでもなく、ホンダがいいんだ! 僕はいろいろなメーカーの車に乗る機会があるけれど、NSXを気に入っている。 最もパワフルなスポーツカーではないけれど、公道で楽しむのには十分なパワーがある。 それに必要以上にパワーがあると、他の人にとっては大きな危険になるかもしれない』と。

このエピソードはスポンサーの手前、車を誉めているわけではなく、実際に複数台所有してドライブしている事が何より真実を物語っていますね!

そして「どんなハイパフォーマンスカーでも、手に余ってしまうようでは危険性が高まる。」という部分は実にトップドライバーらしい知見です。
電子制御なしではまともに走れない現代のハイパワーカーを見たらセナはなんというでしょうか。 
1994年5月1日にイタリア・イモラサーキットでアイルトン・セナは事故で亡くなってしまい、聞くことができないのが残念です。


さて、話しをNSXに戻しましょう。

A・セナが残した言葉の通り、当時のフェラーリ348やポルシェ911(930)よりもハンドリングや安定感は抜群に良かったですし、インテリアの質感においては日本車の水準を遥かに超え、ドイツ車の質実剛健さとはまた違ったなめらかさとしっかり感を両立する高級感のある高いクオリティでした。

そして前述の通り、人間優先のデザインを取り入れた結果、平均的日本人が乗っても、やや大柄な欧米人が乗っても、とても運転しやすいポジション。
特に視界に関してはポルシェを除く外国製スポーツカー・スーパーカーはこの時代の視界は余り褒められるレベルではなく、馬のマークの某社に関してはグラス取り付けの歪みがある車両まで出回っていたという時代。
そんな時代に日本車のクオリティはやはり段違いだったわけです。

ちなみにこのNSXはライン上での手組みが主体というかなりアナログな製造ラインでしたので、機械工業先進国のドイツや、同じく手組み生産主体のイタリア製スポーツカーと比べても圧倒的に製造水準が高かったことは、日本の製造技術の誇れる部分でした。

無類の機械好き 本田宗一郎がいたからこそ作れたNSXというロマン

ホンダというメーカーはご存知の方も多いと思いますが、2輪車を発端としています。 その開発趣旨は、「いかに人に便利な機械を提供するか」という戦後復興期だからこそ生まれた視点に基づいています。
この点を忘れて、ホンダは語れません!と筆者は思います。

自転車で遠くまで買い出しに出る妻を少しでも楽に移動させてあげようという想い、ホンダエンジンの礎はここから始まってます。

−余談ですが–
当時の一般的な自転車(実用車と言います)は現代のママチャリの倍以上の重さ、価格はといえば「昭和30年代公務員初任給の2〜3倍」という今で言えば70〜80万円近い代物。 おいそれと実験台にできないような価格ですよ! それでも優しさが優ったのでしょう! あの自転車に動力をつければ妻が楽になるに違いない。
と言ったかどうかわかりませんが、こうして誕生したのが「ホンダモデルA」です
通称「バタバタ」

こんなイカした乗り物に乗っていた奥様を見てみたいですね!

ホンダ公式ホームページより

近年のホンダはらしさを欠いている、というジャーナリストも多いのですが、ホンダというメーカー、いや本田宗一郎のスピリットというのは、「日本復興のために市井しせいの人々に便利な機械を提供する姿勢と、機械好きな青年が持てるすべての技術と情熱で自分が作った機械でレースに挑んだ」という点だと思うので、ファミリーカーばかりのラインナップになったホンダを『らしさを欠く』という表現は少し違うかなと個人的には思います。 もちろん個人的にはスポーツカーは好きなんだけどね 時代がこのNSXのような車を作れない時代になってしまったのだから仕方がない部分が大きいと思います。 
だからこそ古い車を大切に保存していく文化がこの日本にももっと浸透して広がってほしいなぁ。

さて、そんな機械好きの歩く情熱大陸のような本田宗一郎氏がNSXに求めた重要なポイント。 先にセナのところでも触れましたが、ハンドリングとスタビリティです。 北米ホンダ陣営から求められた商品としての利便性や、ホンダがこの時代に目指した高品質は当たり前として、スポーツカーとしての徹底した安定性を求めました。 安定性は当然ながら安全につながるからです。
繰り返し行われた風洞実験の結果、ホイールベースは少しのび、さらにテールエンドの延長という結論に至りました。
その結果生まれたのが、スポーツカー史上類を見ない実用性でした。

皆さんはこんな逸話を耳にしたことはありませんか?
『ゴルフに行けるようにトランクを作れ!』と本田宗一郎氏が開発陣に指示したという話しです。

このトランクルームは先述の通り、北米ホンダからの強い要請でそもそも絶対要項だったようですが、安定性を上げるために伸ばしたテールエンドのおかげで想定していたサイズよりもたっぷりとしたサイズのトランクが出来上がったという経緯のようです。

当時は猫も杓子もビジネスマンはゴルフをするのが基本!みたいな時代ですから
本田宗一郎氏も、この結果には大満足だったようです。

このトランクの実用性は、フェラーリやポルシェのトランクと根本的に違っていて、トランク(荷室)と呼べるものでした。
ゴルフに詳しい方ならお分かりかと思いますが、ツアーバックが1個入るスポーツカーはNSX,NA1/2型を除いて他にありません。
タイプRに至っては、助手席、シート後側とトランクで4本のタイヤを積めてしまうという積載力。 自宅とサーキット往復はノーマルタイヤで移動し、サーキット用のタイヤを積んでおいて現地で履き替え、帰り道はまたノーマルに戻して帰ってくるなんて芸当は他のスポーツカーには難しいでしょう。

そして、ホンダといえば軽量化と言えるくらい後にType-Rでさらに顕著になりますが、初期のNSXも1350kg(MT車)というレザーインテリアの高級車としては異例の軽さ。 
当時のフェラーリ348が1490kg  現代の軽自動車平均重量が1トン前後
現行のシビックTYPE−Rでも1400kgですからノーマルNSX NA1でも相当に軽かったことがわかるのではないでしょうか?

当時、フェラーリやポルシェを本気でライバルにできる日本車はまだ存在していななかったですし、フェラーリやポルシェというメーカーはスポーツカー専業メーカです。  世の中を便利にする機械屋ホンダ。 彼らの技術力を持ってしても、本田宗一郎の情熱がなければNSXは別の車になっていたことでしょう。


NSXの凄さ

NSXには他の日本製スポーツカーとは違う凄さがあります

開発背景やスター級テストドライバー、車の素晴らしさなどNSXの凄さを語ることは容易です。 数あるエピソードの中でもNSXは文化を作ったという部分は特筆すべき凄さだと思います。
その文化とは「オーナーズクラブ」です。
個人やオーナーが連なって起こしたクラブはそれまでもありましたが、メーカーが運営主体となって新車発表と同時にクラブを起こした事例はありませんでした。

今でこそ、欧州スポーツカーのメーカー主催ドライビングトレーニングや交流会が行われていますが、1980年代当時にメーカー主導でクラブ設立したのは世界でもホンダが初めてです。
こうしたオーナーを連ねるソサエティクラブをメーカー自ら設立し
NSXに相応しいお客様をメーカー側が選ぶという文化を作り出し
NSXオーナーズクラブ自体はホンダの手を離れたものの現在も継続されているのは他の日本車とは大きく違っている部分です。
そうしたオーナーのおかげで、近年の日本製スポーツカーの海外への大量流出と違い、NSXは希少な個体・貴重な個体の多くが海外流出を防げているという事実もNSXならではのエピソードでしょう。

ロングセラーのスーパーカー

NSXは1モデルで最も長く生産されたスーパースポーツでしょう。
NA1型時代に数回のマイナーチェンジを行い、完全なモデルチェンジと言っても過言ではないNA2型までを通して、実に16年間という長い期間製造されました。 一言で16年間と言っても「ふーん」って感じですか?
オギャーと生まれた赤ちゃんが高校1年製になるまでの期間同じモデルが生産され
かつ、トップクラスの性能を維持し続けたといえば、その期間の長さを感じられるでしょうか?

あのロングセラー、ポルシェ930でも15年です。 NSXの生産量はポルシェ911には及びませんが、商品レパートリーの広いメーカーが作り出したスーパースポーツが16年間で19000台余りを世に送り出したのは、すごい時代だったなぁとしみじみ感じます。

NA1型 Type-R の凄さ



ホンダ公式ホームページより

NSX Type-Rの凄さとはなんだったのか。
一言で言えば、顧客を絞りに絞ったマーケティングです。
そして、マーケティングに欠かせないブランドアイデンティティを、ホンダはこの時期にF1でA・セナがドライバーズチャンピオンを獲得したことで確固たるものにしました。  さらに、ルマン24時間レースや国際GTレースでもNSXは素晴らしい成績を残しています。
そんなサーキットのニオイのする市販車こそ「NSX Type-R」です。

NSX Type-Rが発売された時期には既にライバルメーカーからはホモロゲーションモデルとして、グループAベース車やグループNベース車が販売されていました。
しかし、NSX Type-Rが根本的に違っていたのは、ベース車両ではなく「そのままサーキットを走れる」というものでした。
カテゴリーベース車両はその名の通り、あくまで素材です。 しかしNSX Type-Rは素材ではなく完成された商品であったことが何より凄いんです。

ボルト1本から、内装材の厚み、遮音材、断熱材の削減などありとあらゆる軽量化を行い、さらにはエンジンまでレーシング直系の調律がなされています。

ここまで振り切った商品を、売り出すホンダの時々見せる狂気がたまりません。
かつてホンダは2輪車の広告でこんなキャッチコピーを使用しました。
「トップで70キロ以下は走れません 長時間フルスロットルもOK」という
飛ばせ!回せ!走れ!と言わんばかりの広告をドリームCB 72の広告に使用したホンダ。 そんな狂気をこのNSX Type-Rでも感じました。

究極のモデル 「NSX-R GT」

NA2型に型番が変わり、GT選手権でもトップカテゴリーで勝てるマシンを作るためホンダはとんでもない怪物を市販します。 その名は「NSX-R GT」です。
NSX TYPE−Rではなく、NSX-R GT これで正式名称です。

ホンダNSX-R


価格は当時の日本車最高価格! 5000万円での販売。 限定5台の用意だったそうですが、国内で公式に販売記録があるのは1台のみ。
TYPE-Rが1300万円での販売でしたので倍以上の価格は当時騒然となったのを覚えています。
販売された個体は現在は中古車市場に流れいますが一体いくらで販売されるのか気になるところですね。 究極のモデルと書きましたが、価格やホモロゲーションモデルとしてのバックグラウンドは究極ですが、市販車の性能としては通常のTYPE-Rと変更はなく、重量も諸々のホモロゲート部品がついていないのでTYPE-Rの方が軽量です。
エンジンフード上のシュノーケルも実際に空気を取り入れることはしておらず
ハリボテと言われても仕方ないのですが、こうしたパーツを市販車に着けておかなければ、レギュレーション上レース車両の性能向上は望めないわけです。
そういったパーツがふんだんに使用されていることが、NSX-Rの存在価値と言えるでしょう。

ドリガレ的 BEST OF NSXは

16年間で数回のマイナーチェンジ そしてRモデルなど色々魅力的なNSXですが
ドリガレが1台ガレージに収めるならばどれか? うー悩みますね! 悩みに悩んだ結果ですよ! 
ズバリ「NSX TYPE S ZERO」1997年登場のNA1型の後期マイナーチェンジモデル。  これに限ります! 

NSX TYPE-S ZERO ホンダ公式ホームページより


大好きなNA1フェイスで排気量は3200cc  6速マニュアル リア17インチホイールという、後のNA2・TYPE-Rの礎のようなモデルです。
NA1というより、NA1.5と言えるくらい、初期モデルとは別物の出来栄えです。

先ほどTYPE-Rの項でも書きましたが、他メーカーに存在したGr.AやGr.N用の車両に近いモデルで、メーカー曰く『サンデーレーサーのベース車両に』という狙いだったそうです。 とはいえ、エアコンレス・オーディオレスで
こうした装備品の裏にある配線や配線用の備品なども全て撤去された車両重量は僅か1,174kg TYPE-R以上に素の状態なら軽いのです!
乗った感じも、同じくサーキット寄りにセッテングされたTYPE-Rよりも、ドリガレ的にはこちらのTYPE-S ZEROの方が試乗した際にワインディング向きだなと感じました。
比較車があればエンジンをかけた瞬間に分かる程、ノーマルやTYPE-Sとは明らかな違いを感じさせるTYPE-S ZEROの感触。 始動の振動や音、僅かな音の波長の違いまで、色濃く感じさせてくれる車でした。
それでいて、どこかしっとりとした感じはカーボンを多用したTYPE-Rとの差異かもしれません。 ライバルメーカーのGr.Nベースに見られる安っぽさは微塵もなく、本当に痺れる車でした。
購入は叶いませんでしたが、現代に一体何台のTYPE-S ZEROが現存しているのか
TYPE-R以上に幻のNSXとも言われていますが、ぜひ巡り合いたいものです。

さて、DREAM GARAGE第1回は「ホンダNSX NA1型」を取り上げました。
あなたの妄想ガレージにも追加してみたくなりましたか? 
NSXの魅力が伝わっていたら幸いです。 
ではまた次回 ドリームガレージでお会いしましょう!
ドリガレの長い話に最後までお付き合いいただき、ありがとうございます。


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