見出し画像

沖縄に移住したとあるインハウスデザイナーの話

こんにちは。ドリーム・アーツのデザイナーです。
一年の半分が間も無く終わり、我々大人には縁のない夏休みを心のどこかで待ちわびる季節となりました。
今回はデザインチームのとあるメンバーが沖縄へ移住した話となります。

・ ・ ・

沖縄へ移住するまでのいきさつ

ドリーム・アーツに新卒入社してから約1ヶ月となる2019年5月。研修期間も終わり、仮配属という形ではありますが、いよいよ他の社員の方と同じ業務に携わることになりました。
私の代の新入社員は「別の部署で経験を積んできてほしい」という目的で、皆本来の採用枠とは異なる部署に仮配属されました。エンジニア職の同期は営業の部署へ、ビジネス職の同期は開発部署へ、デザイナー職として採用された私も、デザインとは全く関係ないお客様サポートをしている部署への配属となりました。

仮配属先は、社員全員が参加する週次の朝礼の場で、順々に名前を呼ばれる形で告げられます。ただ、私のときだけ社長から一言追加で重大なことを言い渡されました。なんと配属先は沖縄であるというのです。内容の重大さの割にその言い方はあまりにもさらっとしており、それに釣られてか、私はこのとき「ふーんそうなんだ」ぐらいにしか思っていませんでした。

周りの人には心配され非常に驚かれました。当の本人はどうしてこんなに平気そうなんだとも驚かれました。
こうして半年と少しの間、修学旅行で行ったくらいの経験しかなかった沖縄で仕事をすることになったのです。

沖縄で過ごしたのは半年と少しの間でした。
本土とはまた違う文化や気候であったり出会う人にも恵まれ、すっかり沖縄を気に入ってしまったのですが、仮配属期間が終わった時点で一旦東京の方へ戻ってきています。
私は本来東京のデザイナーとして採用されています。東京にいなければ、隣の席のデザイナー仲間にちょっとした相談をすることもできず、要件をヒアリングするためにお客様先へ行くにもいちいち出張となってしまいます。個人の都合でそのまま居着いて良いか聞いても、ダメに決まっていたのです。沖縄を丁度訪れていた社長にダメ元でも尋ねたら一蹴されて、凹んだことをよく覚えています。

しかし、それから1年で事態は大きく変わります。
私が東京へ戻ってきた頃、中国でとある感染症が蔓延しているとニュースになっていました。ご存知の通り、コロナ禍が始まり、あれよあれよという間に不要不急の外出は自粛せよとなってしまったのです。せっかく東京へ戻ってきたにもかかわらず、フルリモートワークが社内の働き方の主流となり、お客様との打ち合わせもオンラインでするのが一気に普通のことになりました。
働く環境が変わった影響で、ドリーム・アーツでは広島へのIターンに補助が出たりもしました。(広島にオフィスがあることもあり、広島出身の社員も多いのです。)

「もしかして、今沖縄で働きたいって言ってもダメな理由なくない?」

今度は一蹴などされることはなく、あっさりと許可が出ました。

働き方と生活の変化

引っ越してきたのは今年の1月なので、そこからはもう半年になります。
拠点をまるごと沖縄へ移し、仮配属のときとも業務内容は違うわけですが、働き方の点ではそれによる不自由も変化もほとんど感じていません。

チームメンバーへの相談やお客様とのちょっとした打ち合わせはオンラインでしています。私の普段の業務自体もパソコンに向かっているようなものなので、どこにいてもさほど変わりありません。「今どこにいるの?」がちょっとした話のネタになったりさえします。どこにいても変わらないというのはコロナの影響でリモートワーク中心になったからのことで、むしろそれによる変化の方が大きかったといえます。

強いて言えば、たまに出張をする必要が出てきて、それが一大イベントとなるぐらいのものでしょうか。那覇空港-羽田空港-東京本社や茨城にある実家と移動することになるのでおおよそ半日かかり、久しぶりの景色に歓喜しつつも、微妙に季節外れな服装で来てしまったことを後悔することになります。

働き方よりはむしろ、生活面の変化のほうが良くも悪くも大きいように感じます。
分かりやすいところでいうと、冬が快適になったことですね。一年を通して気温が高いので、真冬でも体の芯から冷えることがまずほとんどありません。その弊害か、夏なのにシチューが食べたいだのお花見をしたいだの、季節外れな衝動に駆られたりはしますが、寒いのが苦手なので南国は非常に過ごしやすいです。

そしてこれも当たり前のことではありますが、沖縄以外の県がとても遠くなりました。遠い分そこで過ごす時間を大切にできるようになったのは良いことです。実家に帰ったときにあれこれ予定を詰め込むようにもなりました。しかし「家族に会いたいとは思うけど、そこまでのお金も時間もないし」と諦めざるを得ないことがあるのが唯一辛いところではあります。

そしてもう一つ挙げるとすれば、バイクに乗るようになったことです。沖縄は車社会なので必然的にそうなりました。引っ越してきた頃はペーパードライバーで、沖縄のデザインチームの方にニトリに連れていってもらい寝床を確保したりもしていましたが、それがまさか自分から運転するようになろうとは。

・ ・ ・

数年もしないうちに、ドリーム・アーツでの働き方は少し自由になりました。デジタルを推進してゆく会社として少しアドバンテージがあったにせよ、沢山の社員がそのために尽力していました。ポジティブに変化しようとするドリーム・アーツの強みの一片がここにあるのかもしれません。
今日も故郷とは遠い南国でパソコンをカタカタとやっています。
自由で調整が利く仕事の環境を味方に、より一層良い製品を作りwao!な価値を提供してゆきたいものです。


次回の記事は、ほぼ同時期に沖縄から広島へ移住したデザイナーの話となります。お楽しみに!