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#106私のゴキブリ根性に繋がる原点のエピソードの1つは高校受験だと思う。解答速報から2日遅れの答え合わせ。(貧困幼少期からNPO代表理事の”きっかけ”迄を振り返る)中学時代日記#毎日更新

中学校の卒業式以来会っていない人が沢山いる事に気づきました。皆さんは今も交流がありますか?私は社会人になって出会った方が続いていて、中・高の友人がほぼ居ないです。
昔、縁は切る(切れる)ものだと思っていましたが『縁は切るとか切れるとか、自分が勝手に言えるものちゃうねんぞ』と教えてくれる人が居ました。今ならその意味が何となく分かります。繋がる縁はずっと続いています。

解答速報の翌々日に新聞を貰った

解答速報がある事も知らずにのんきに銭湯に行っていた我が家。
家に風呂がある暮らしなら、
たまたまつけたテレビで解答速報に気づけたかもしれない。
新聞が家にある暮らしなら、
たまたまみたテレビ欄で解答速報に気づけたかもしれない。

我が家が銭湯暮らしになっているエピソード

友達から解答のページを貰ったものの猛烈に悲しかったです。

みんなの家には当たり前にある新聞が我が家は無くて、それを貰わない事には答え合わせもできないのです(笑)人さまから過去の新聞の何ページか貰う時の虚無感。それでも小さなプライドで「新聞とってない」とは言えなかったので、くれた人は何となく察知してくれたんだろうなぁと思います。

宗教新聞は定期的に前日のものがポストに投函されていました(笑)

問題と答えを見ながら自分が選択したもの、解答したものが何だか?を記憶を遡りながら確認しました。当時の公立高校入試は5科目で1科目20点満点でした。(今はどうか知らずです)自己採点(点数も振られていた)はこのような結果でした。
国語:19点
理科:19点
社会:18点
数学:2点
英語:2点
英語と数学の点数がひどすぎますね。合計点数が高いのか?低いのかも判断できませんでした。それでも自分で自分を称えました。

(結構出来ている!!!)

毎日学校に行ってもオール3ない生徒が、3科目については殆ど満点に近かったからです。

社会は環太平洋造山帯と書いたところは、アルプスヒマラヤ造山帯でした(笑)承久の乱と書いたところは正解でした。「鎌倉殿と13人」の中でも出て来たこの乱は、自分の中では忘れられない乱です(笑)
とにかく空欄を埋めようとした受験体験

毎日学校に行ってもオール3ない生徒が、3科目については殆ど満点に近かったからです。
毎日学校に行っているのに成績が悪かったわたし。興味なかったんや(笑)

ちなみに頭に浮かんだ承久の乱が正解の答えだったことは嬉しくてたまりませんでしたが、この話を友達に話すと『え、乱っていっぱいあるやん?島原の乱だってそうやし、よく承久の乱が浮かんだなぁ』と言われました。
私もほんとに不思議だなぁと思ったのですが、私は承久の乱しか覚えていなかったのだと思います(笑)他の乱を覚えてないし知らなかったから、その乱しか書くことが出来なかっただけなのです。この時自分の「運」の強さをちょっと感じました。

この年の受験した学科の倍率は4.38倍。元々志望していた学科の倍率は4.72倍。一般の普通科が0.8倍という定員割れの状態でした。理由は不景気の流れで『手に職を』という発想が強くなり、工業・商業高校を志望する人が増えたそうです。今は工業・商業高校は減り続けている様子ですが、個人的には即戦力を養うには最高の学校だと思っています。

自分が向かった挑戦は無謀に近い部分がありましたが、譲れない思いがあった高校だったことが大きな原動力になりました。行ってみたいと思った高校を努力して目指したことは、私の人生で諦め上手になれない今に繋がっている体験です。

自分が望む事を自分が諦めない。例え周りに辞めたら?と言われても(笑)

自分が信じた道は自分しか切り拓くことが出来ない道だと思っています。

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ささいなことで人生は変わる! 【その一歩は自分が踏み出すこと】
見て下さったあなたの何かを踏み出すキッカケや、
私の失敗の中から何かお役に立てればと思って綴っています。


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