番外編 『暗黒時代のトランスジェンダー』

それは、まだ暗黒時代だった。

いまや数回クリックすれば翌日にでも洋服や靴が届く便利な時代、電車を乗り継いで出かけることもなく、お店に行って店員さんと顔を合わせて会話をする必要もない。
そんな昔のことを考えれば、今の男の娘たちの状況はチートともいえるだろう。

1980年代の終わり頃だっか、私がはじめてブラジャーを身に着けたりスカートを履いたりしたのはその頃でした。

ふつうの田舎の少年としかいいようがない。容姿もふつう、勉強も中くらい、家庭環境もそこそこの中流。

ややほっそりしていて男らしい雰囲気ではないものの、女と見紛うというわけでもない、背丈も体格も平均的な少年。内気で大人しい性格だったので、女みたいと言われてからかわれるようなことは時々あった。
けれど、自分自身をちゃんと男性だと認識はしていた。こころの中では、ほんとうは女の子なんだけどなぁという思いはあったけれど。

ただ、女の子になりたい(もしくは女の子でいたい)という淡い想いは幼い頃から心のどこかにいつもあった。

性同一性障害や性別違和という言葉もなかった。
ニューハーフという造語さえ、出てくるのはまだもう少し後の時代。
仮にも男性が女の着るような恰好をすれば、オカマと罵倒されること一択であった。夜の街でならオカマでも仕事としてなりたったかもしれないけれど、田舎の町で一般人がオカマと呼ばれるようになってしまうとそれはもう村八分になったのと同じようなものだ。顔をみたら石を投げられるという例えがいいだろう、とても暮らしていくことはできない。

トランスジェンダー、その言葉に出会うのもまた、まだずっとずっと先のことになる。

知識もないし、情報もなかった。
男性の身体に生まれてしまったのだから、もう男として生きていくしかないんだと覚悟をしていたのだと思います。
そんな時、テレビを見ていて衝撃を受ける出来事がありました。
男性から女性になった人が居るということを知った。カルーセル麻紀さん。

当時の私は、男性に生まれてしまったら女性にはなることは出来ないと思い込んでいたのだから、これは世界がひっくり返ったような衝撃だった。

インターネットなんてない時代だったから、その情報をもっと詳しく知りたくてもどうしたらいいのかわからなかった。その頃の情報源は、テレビか本か、人のうわさか。

内向的な私は小さい頃から本が友達だったので、本屋に行ったり、百科事典を調べたりしました。


ある日、本屋さんで、『魅惑のランジェリー』という雑誌を見つけました。美しい女性モデルさんの写真が満載のグラビア雑誌のようでいて、また女性下着のカタログのような本でもあった。

その読者のページをみて驚いた。女性下着を自分自身で身に着けるのが好きな男性、そういう読者たちがけっこう存在しているようでした。

そういった雑誌を立ち読みしてい時、偶然、ひとつの広告が気になったのです、『女装会館エリザベス』

エリザベスという、その響きの華やかさより、なぜか淫靡さを感じた。
テレビ番組で見たことがあったから。東京と大阪にあった。雑誌の広告にあった住所だけを頼りに電車を乗り継いで、行ったこともないような遠くの街を訪ねたのです。

禁断の……ドアを押し開ける。

部屋の中には、所狭しと婦人服や下着、ハイヒールなどが並んでいて圧倒される。ブティックとも異質のもので、妙な臭いがしていました。
それは、大量にある衣装の布の臭いなのか、化粧品なのか、タバコの煙のようなけむたいものだった。

恐る恐る近寄って、ルームとよばれる扉の向こうに、一度だけ足を踏み入れたことがあります。ルームとは、同じ階の別の一室にあって、メイクをしてもらって、女装姿でくつろげるようになっている部屋のこと。その部屋では、サービスでインスタントカメラの写真を一枚とってもらえたのです。

ブリックパックのジュースにストローをさして飲めたような気がする。ストローで飲むのは、もちろん、せっかく綺麗に塗った口紅がとれてしまわないように。

当時の自分のような若い人はいなかった。未成年が入れないという類の店ではありません。意外と健全なほうじゃないかなぁ。女装が健全かどうかはべつとして。美容院みたいなものといえば、そうともいえた。
中年の男性たちが濃い化粧をしてかつらをかぶり、スカートを履いている、店内にはそういう雰囲気が漂っていた。
現在で言うような『男の娘』というのとは、かなりかけはなれた存在であったが、それをひとことで美しくないとか醜いと否定するばかりではない、別次元のなにか妖しい魅力というのは確かにあったのです。
メイクや美容、ファッションの技術は現在とはまったく比べようもなかったと思いますが、それでも、芸術的な美しさは十分にあったと思っています。

エリザベスの存在を知ってからは女性下着を買う難しさはなかったけれど、高価だったので私の小遣いではめったに買うことはできません。
洋服はさらにお金がかかるのでとても揃えられない。結局のところ、いわゆる下着女装しかできなかったのは、経済的な理由が大きかった。

下着女装というと、エロくてヘンタイ的な響きがあるかもしれないけれど、
意外と女装の基本的な要素だと思います。

下着女装には利点もあった。嵩張らないので自室のちょっとしたところにでも隠しやすい。
そして、女性下着を身に着けた上に男性の衣服を羽織ってしまえば、そのまま外出してもまず目立ったりはしない。ただ、油断していると、意外と下着のラインが透けたり、首元からちらりとブラの紐がのぞかれてしまったりして、ばれてしまうこともあるけれど。

紳士物の厚手のジャケットを羽織っていたのでブラをしていてもばれはしないだろうと油断していたことがあって、教室で昼寝でもしようかと机にもたれかかった時だったかなぁ、近くにいた女子生徒に襟元からみえたらしくブラジャーの紐を見つけられてしまい、「ヘンタイ……」とつぶやかれてしまった。痛恨の失敗でしたね。
それは、クラスの噂になったかどうかはわかりません。
噂なんて言うものは、皮肉なことに、当の本人には聞こえてこなかったりするので、私には知る由はありませんが。

その時代は、性同一性障害という言葉もなければ、性別の多様性もうたわれていなくて、もう弁解の余地なんかとてもなかった。まともな男子としての尊厳は崩れ去ったと思います。

同級生の女の子たちにモテることもなかったし、ますます女装にはまっていったのかもね。
この頃はまだ、恋愛対象はふつうに女性だと思っていたし、気になる女の子もいたけれど、女性と交際したことはなかった。

大学生になったころ。サークルの旅行中にみんなで風俗に行く展開になってしまった。
もちろん店の中ではそれぞれ別の個室だったけれど。私にとっては、いわゆる初体験だった。

指名性ではなく、どんな相手が当たるかわからない。大学生だった自分よりもかなり年上の女性、若作りのおばさん……いや失礼、お姉さん。髪の毛はストレートロングで女の子らしくすごく好みのタイプ、照明も暗めで本当の歳なんて推測できないし、若い女の子と思いたかったけれど、声が妙にオバサン。
緊張していたせいもあったのか、思うようにいかない。ふにゃふにゃしたままだ。時間が迫る。
なんというか、出来ないまま帰ることになるのは自分も相手も気まずいと思う。
苦肉の策で、お姉さんがしていたブラジャーを貸してもらって身に着けさせてもらった。
こうなるともう自分でも何に興奮しているのかわからない。
性行為をしている相手の女性に対してなのか、自分が女性の下着を身に着けているからなのか。
初体験がブラを身に着けてすることになったなんて……。

案外、この先の人生を暗喩していたのかもしれないなんて、今になって感慨深いです。

現在は、『女装男子』とか『男の娘』とかいった名称にもどこかライトな響きがあって明るくて爽やかなイメージさえある。

女装をする男性のイメージといえば、以前はもっと鬱蒼としたダークな雰囲気が漂っていたと思う。言葉のニュアンスがいくらあっさりとしたものになったとしても、今も昔も変わらないのはその深淵の部分にあるのかもしれない。今の言葉でいえば、「沼にはまる」とか「雌堕ち」とかいうのだろうか。

かつて、ある有名なフレーズを真似たこういう言葉を聞いたことがあった。

「女装やめますか? 男性やめますか?」

女装といものの本当の怖ろしさをよく表しているなぁとつくづく思うようになったのは、もう手遅れになってしまってからのことでしたね。

学生の頃は、ほんとに一時的な遊びであるとしか思っていなかった。いずれは、ちゃんとした社会人になって、ふつうに女性と結婚してと思っていたし、女装なんていうものは、服や下着を脱ぎ捨てて、化粧を落とせば、はい終了……とそんなインスタントなものだと甘く見ていたのかも。

今となっては、化粧を落としてもヒゲも生えてこないし、ブラを外しても二つの小さな乳房はふくらんだまま、いくらダイエットしてみても消えることはない。
完全な女性に成れなかったし戸籍も男性のままなので、なんとか男の振りをして暮らしているけれど、もうとても男性であるとはいえない状態になってしまっている。

身体もそうだけれど、心が「男」をやめてしまった。自分はほんとうは「女」、そう思うようになっていた。そうなると、もう坂道をころころと転がっていくようなもので、今の状態になるまでに数年もかからなかった。

自分ひとりでこっそりと「女装」を楽しんでいるくらいなら、案外、そうはならなかったかもしれない。街に出かけるようになったり、女装の友達や仲間、男友達や彼氏ができる等、
人に見られるようになってくると、エスカレートは早い気がする。

そして、身体のほうも「男」をやめていくは、抱かれる喜びを知ってしまうことと、やはり、女性ホルモンに手を出してしまうこと。

そんなことは、絵空事で自分には関係ない話しと思っていた頃、

『くいーん』や『ひまわり』という雑誌に出会った。

女装の専門誌なんて今まで見たこともなかったので、バックナンバーも買って夢中で読んでいました。まだ、自分には関係ないどこかの誰かのお話だと思いながら。

※ このお話は、まだ性同一性障害などというものを知らず、自分を「女装マニア」だと思っていたころの話を書いてみました。
今では、自分はMTFのGIDだという認識をしていますが、それは医学的な概念ですから、体が男性である以上、「女装」のことを否定するつもりはありませんし、「女装」は大好きです。
このあたりの考えは、また、いつか書きましょう。

※ 本編『とおくのまち』は、明日より、連載再開したいと思います。よろしくお願いいたします。

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