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もうひとつの本能寺の変 by 神田南田

本日は皆さまご存知『本能寺の変』に隠れてあまり知られておりませんが、『もうひとつの本能寺の変』のお話をお届けしたいと思います。

織田信長が不運の死を遂げたあの『本能寺の変』ではございませんでして、実は戦国時代にけなげに生き抜いた純情娘の話でございます。その名をお寺と申します。
お寺は、歳の頃なら18歳。性格はと言えば、戦国時代には珍しく天真爛漫で誰にでも物おじすることなく自分の思ったこと感じたことをそのままストレートに口に出してしまうという正直者。
それゆえ、お寺は本能のまま生きているなどと陰口を叩かれることもよくありまして、本能寺(ほんのうてら)ちゃんなどと呼ばれることもございました。
しかし、そこはそれ。自分にはできないことをあっけらかんとやってのけてしまうお寺は、むしろ周りの者に解放感を与え、スカッと爽やかな炭酸飲料水のような存在だったのでございます。
もちろん、戦国時代に炭酸飲料水などございません。

「お寺ちゃん。おまえさん、幾つになった?」
「18にございます」
「娘18番茶も出花だな」
「何のことでございましょう」
「いや。いつまでも子供だ子供だと思っていたお寺ちゃんが、いつの間にやら18になっていたとはな。18と言えば、女性の一番美しい年齢じゃないか。お寺ちゃんには浮いた話など聞いたことはないが、おまえさん、まさか男嫌いなのかい」

時が時なら問題発言。異性が好きだとか同性が好きだとかが問題になってくるのは、まだまだ随分後の時代の話でございます。

「嫌ですよ、だんな様。決してそのようなことは」
「ほほう。では、好きな人のひとりやふたりはいるってえのかい」

そんなこんなでお寺を問い詰める悪代官、いえいえ、優しい優しいだんな様。

「実は気になるお方が一人だけ」
「何だい、いるんじゃないか。ちょっと聞かせておくれよ。そのお方のことを」

まさか、お寺から恋バナが出てくるとは思っていなかっただんな様。とは言え、そこはおっかなびっくりびっくりしゃっくり、何のことかはわかりませんが、他人の恋バナは聞いてみたい話ではございます。

「で、どこのどいつなんだい。気になるお方って?」
「それが、夜な夜な私が寝ついた頃においでになるのです」
「寝つきを襲うとはふてえやろうだ。お寺ちゃん、変なことされなかっただろうねえ」
「それが、何もされずに帰って行かれるのです」
「まったく、何しに来るんだろうね。いったい、どんな顔をしてるんだい」
「それが、いつも寝ついた頃なので、本当に誰かが来ていたのかどうかも、よくわからないんです」
「そりゃ、気味が悪い話じゃないかい。まさか、幽霊ってわけでもないんだろう?」
「そう言われれば、音もなくいらっしゃいますし、何も言わず去って行かれます」
「ちゃんと足は付いていたのかい?」
「いえ、姿は見たことないので」
「何だって。一度も見てないのかい」
「はい。いつも、私が寝ている部屋の階段を上がってくる人の気配を感じて起きるのですが」
「ただの気のせいってこともあるのかい」
「いえ。確かに人の気配を感じますし。でも、不思議と気配を感じる方を見ようと思うと」
「見ようと思うとどうなるんだい」
「体は動きませんし、目も開けれません」
「おいおい、お寺ちゃん。それは金縛りって言うんだよ」
「かなしばり?」
「そうだよ。何かに縛り付けられているように、手も足も動けなくなって、目も開けることも、声も出すこともできなくなるんだよ」
「いやですよ、だんな様。こんな戦国時代に金縛りなんて」

いえいえ、何をおっしゃいますかお寺ちゃん。戦国時代でダメなら、縄文時代とか弥生時代まで遡れば良いと言うのでしょうか。

それはさておき、お寺ちゃんのところへ夜な夜なやって来るという正体不明の輩がどうにも気になっただんな様。

「お寺ちゃん。そいつはひょっとすると良くない霊かも知れねえよ。一度、しっかりと調べておいた方が良いな。よし、善は急げだ。あたしが知っている祈祷師の先生がいるから、今夜、一度調べてもらおうじゃないか。なあに、心配はいらないよ。あたしも一緒について行ってあげるから」
「えっ、そうなんですか。だんな様がそこまでおっしゃってくださるなら、一度見てもらおうかしら」

お寺ちゃんのことを心配して、だんな様は有名な祈祷師に頼んで悪霊退散の祈祷をしてもらおうと考えたのでありました。

その夜、お寺ちゃんの家に、だんな様が祈祷師を連れてやってまいりました。

「お寺ちゃん、先生を連れて来たよ」
「だんな様、ありがとうございます。こちらが祈祷師の先生ですか。どうぞよろしくお願いいたします」
「ささ、先生。この部屋でお寺ちゃんは寝ているのですが、何か感じるものはございますか」
「うむ。うむむむむ。これは凄まじい邪気じゃな。相当な者の霊、しかも、生霊かも知れぬな」
「えっ、そうなんですか、先生。私、急に怖くなって来てしまいました」
「お寺ちゃん、大丈夫だよ。この先生がきっと何とかしてくださるから」
「どうか、よろしくお願い致します」
「うむ。やってみよう。では、お寺ちゃん。用意してもらいたいものがあるのだが」
「先生、何なりとおっしゃってくださいまし」
「では、マスを一つ、塩を多めに、あと紙を少々いただけますかな」
「何をなさるんで、先生」
「まあ、見ててください」
「すぐにご用意致しますね」

お寺ちゃんは手早く言われた品々を用意した。

「さて。このマスの中に塩を敷き詰めます。その中に私が持って来た、この小さな人形を入れます」
「先生、何ですか、その奇妙な人形は?」
「ここに霊を封じ込めます」
「まあ、可愛らしい人形ですこと」
「人形に霊を封じ込めたら、用意した紙で蓋をします。そして、私が呪文を唱えて悪霊を退散させると言う手筈です」
「さすが、先生。それで、上手くいくんですね」
「もちろん。失敗したことはござらぬ」

夜もふけて来て、3人ともうつらうつらと眠くなって来たその時です。

階段の下から人の気配がしてきました。
お寺ちゃんもだんな様も金縛りにあってしまっており動くどころか声も出せません。

「来おったな、悪霊め!」

階段から気配だけが上がって来ます。

「なむはんだらあむはんだらはむはんだらだらんだらん」

祈祷師は気配に向けて呪文を唱えました。
すると、気配を漂わせていた煙のようなものは、マスの中にある人形へ吸い込まれていきました。
その機を逃さず、祈祷師は紙で蓋をします。そして、またまた呪文を唱え始めました。

「のむはんだらおむはんだらぽむはんだらどらんどらん」

するとどうしたことか、マスの中から炎が立ち上がって来ました。炎は紙に燃え移り、中の人形も焼き尽くし、しかし塩が敷き詰めてあったおかげでマスだけは焦げついただけでした。

燃え尽きると、お寺ちゃんとだんな様の金縛りもすーっと解けていきました。

「何だか、体が軽くなったみたい」
「あたしも、すっきりしましたよ。先生、悪霊は退散したのですか」
「さよう。やはり生霊であった。だが、もう大丈夫。きっと、成仏したことであろう」
「先生。生霊ってことは、そのお方は死んでしまったと言うことですか」
「そうですね、先生。その生霊はもうやって来ないんですか」
「もう大丈夫。その生霊も何かの悪霊に取り憑かれておったようじゃが、共に焼き払っておいた。おそらくは死骸さえも燃え尽きたことじゃろう」
「そうでしたか。そんなに恐ろしい悪霊だったのですね。先生、本当にどうもありがとうございました。最後に、先生のお名前をお聞かせ願えませんか」
「名前か。どうでも良いことじゃが、光秀とだけ申しておこう」

その時、本能寺は火の手で真っ赤に燃え上がっていたということです。

嘘か誠か、真夏の夜の物語、『もう一つの本能寺の変』でございました。

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