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推しエルの巡礼 by 吉田真澄

 数年前に年賀状を出すのをやめた。
それまでは11月に入るとパソコンを駆使し、どんな絵柄にするかとフリー素材を探し、それに少し手を加え、そこに文字を当てはめ、年賀葉書の裏面にプリントアウトしてオリジナルの葉書にしていた。
この自己満足で作成したものを誰かに見せたい気持ちもあり、創作する一連の作業は楽しいものだった。
 でも、あれ、なぜこの楽しさをやめたのだろう。
 コロナ禍で外出もままならず、家にいることが多くなり時間はたっぷりあったはずなのに、だ。
 貴文と連絡が取れなくなったからだろうか。
 時間は有意義に使いこなさなければ持て余してしまう。忙しく動いていれば自ずと割り振りができ、少しの時間でもやりたい事を組み込めていた。
 なのに、ひとりでは余りすぎる時間のせいで、今じゃなくてもいつでもできる、と先延ばしにする物事が多くなっていた。賀状づくりもそのひとつだった。
 何をするにも面倒くさく、やる気が失せ、けだるさが体中に蔓延していた。まるで世間をにぎわせている厄介なウイルスに感染したみたいだ。この流行りの厄介ものには、実際に罹ってはいないのが幸いだけど。
 気づけば一年の締めくくりの日。
 もう間に合わないし、今年はやめよう。これを機に年賀状から卒業するのもいいかもしれない。
 どのみち年賀状だけの付き合いが大半を占めてきている。もう何年も、いや何十年も会っていない人もいるし、いまでは顔すら思い出せない人もいる。来るから出す、出すから来る、を繰り返す義理の往復葉書的になっている。
 いまだ親交のある人たちには、メールやLINEで新年の挨拶をして、年賀状やめました、の旨を伝えよう。そして、その事情を知らずに届いた年賀状だけの付き合いの人には、寒中見舞いとしてその旨を伝えよう。だって住所以外の連絡形態を知らないのだから。
 私はそう決めたのだった。
 その年から長年の作る楽しみは、年末の慌ただしい風に吹かれ、私の心にポッカリとあいた穴の隙間から流れて消えた。
 
 貴文と知り合ったのは、私が二十代後半ぐらいだっただろうか。暑気払いと称した居酒屋での飲み会。たまたま隣同士のテーブルにいたのが貴文たちのグループだった。
 私たちは女性のみで貴文たちは男性だけ。どうせなら一緒に飲みましょうと誰かが言い「そうね」「そうだ」と、いつの間にか合コンみたいになった。
 あれ?
 数人と名刺交換をしたうちの一枚に目を落とした。漢字名の下にローマ字表記された名前を再確認し、
「私タカコです。貴族の貴、と書いてたかこ。
 たかふみさん、と呼んでいいのかな。
 タカの字、同じですね」
「奇遇だなぁ。僕のは、貴賓の貴、だけど。
 ま、意味は同じか」
 貴文は笑いながら言い、握手を求めてきた。私が大学時代に推していた俳優、風間杜夫に似た好感度抜群の笑顔。両手の指には、なんの装飾品もはめていなかった。
 貴文は私の顔をじっと見て、
「カエルに似てるって言われない?」
と言ってきた。
 ちょ、ちょっと、なに。初対面だよね。
 私は焦った。
「確かに目は離れてるし……口も大きいかもしれないけど……。
 カエル、って……」
 おかっぱ頭の私は言い淀んで、きょときょとした。
「ほら、そのクリクリさせた大きな目。
 そういえば、アムロちゃんとかもカエル顔だよ」
 超人気歌手の安室奈美恵の名前を出されたら、あながち悪い気もしないけれど、どうせ、からかってるに決まってる。私はあんなんじゃないし、似ても似つかないし……。
「はあ……」
 と、私は納得できない、ため息交じりの声しか出なかった。
「茶色くて大きめのヒキガエル系じゃなくてさ、小さい緑色の可愛い方。見てると飽きないし、あれ好きなんだ」
 IT企業に勤める貴文は英語が堪能らしく、
「日本ではカエルは全部frogだと思ってる人が多いけど、そうじゃないんだ。ヒキガエルはトード(toad)、それ以外がフラッグとかフロッグ(frog)と発音されてるやつ、に分かれてる」
「へぇ~~~」
 貴文のうんちく? に私は感心した。
 
 あれから貴文は私をエルと呼ぶ。カエルのエルちゃん。僕の推し、はエルだよ、と。
 付き合い始めて1年ほど経ったころ、貴文から告白された。
 貴文は家庭のある人だった。
 お相手は同郷の同級生で、現在は別居中。お相手は故郷に帰っていて、たまに上京するらしい。上京すれば会うこともある、と。子供は一人。
 そんな事教えてくれなくてもよかったのに。
 推しエル、だから「おしえる」なの。こんな真剣な話を聞いているのに、私の頭はショックをギャグに変換してた。笑っちゃう……。
 でも何かモヤモヤしていた疑問、というか腑に落ちなかった気持ちがすっきりした。
 私の部屋にばかり来て、行きたいといっても貴文が自分の家によばなかったこと。急にうやむやに予定変更すること。それらは納得した。
 もし貴文が、今ひとりだからといって家族の生活場所であった―もしくはたまにはあるかもしれない―ところに私を招いていたとしたら、それは私にとってもお相手に対しても失礼に当たることだ。
 その線引きを超えないところが貴文の潔白なところかもしれない。
 貴文は、私の目を真っ直ぐにとらえて、
「秘密っていうか……黙ってることを抱えて、このままエルと付き合うのは卑怯だろ。
 エルには噓をつきたくないから、ずるずる騙すようなことはしたくないから……。
 もちろんエルのことは、とっても大事にしてる……」
 なんか、泣けてくるじゃない。と、平気を装っていた私の頬にツーッと流れるものがあった。
 貴文はずっと葛藤していたんだ。私に言えなかったことが、騙していることになるのではないかと。それが辛いのだ。
「もう会わないってこと?……。
 別れるってこと?……」
「エルがそうしたいなら……。
 引きとめる、権利は……僕には、ないから……」
「……」
 何も答えられないでいる私は、ドアを開ける貴文の背中を見送った。
 しばらく考えさせて。しばらく距離を置いてみよう。私に委ねるの?
 言いたいことはあるのに、私は固唾を呑むばかりで、なんの声も出すことができなかった。
 
 別れるべきか。別れないべきか。
 どちらかを選ぶという選択肢。どちらも選ばないという選択肢……。
 悩む。どうしたらいいのだろう……。
 そのジレンマはいま、私も貴文も同様に味わっている。
 でも、貴文の苦悩は私の二倍あるのだ。
 お相手のこと……。紙一枚というけれど、その重さは私の計り知れないものなのだろう。
 貴文は、貴文であるべき姿を見せてくれた。
 そのすべてを受け入れて、貴文と共に過ごす日々を選びたい。私はそんなありのままの貴文が、やっぱり好きだ。
 このまま現状維持でいい。
「騙されたなんて、ちっとも思ってないよ」そう貴文に告げよう。
 このまま付かず離れずの、程よい距離感でいたいと思った。
 
 私たちの関係は、それから長く続いた。
 二人の休暇時期を合わせ、年に数回は国内や海外へ旅にも出かけた。
 ひと月に何度も飲み、美味しいものを食べ、同じ趣味を持ち、それでも引かれた線を越えることはなかった。
 たまには喧嘩をすることもあるし、嫉妬することもある。恋人なのだからあって当然の感情だと思う。
 気心の知れた友人たちと、同席することもあった。
 友人たちは、貴文が既婚者とは知らないから、「そろそろ一緒になったらいいのに」と言う。私たちは何の障害もない、普通の恋人のように見えていたのだろう。私は敢えて何も言わない。
 そんな悪気のない言葉に、私の内面に宿る孤独はたまに顔を出すが、付き合う年月とともに薄れていった。今の状況が当たり前になってきたからだろう。
 ほぼ毎年、ひとりになる年末は、私にとっては年賀状を書くのに丁度いい時間となる。
 送りたくても、送れない貴文宛に印字した年賀状は、また私の手元に留まることになるのだが。
 
 貴文からの連絡が途絶えたのは、パンデミックと言われる世界的な流行となったコロナウイルスが全国民に認知される、数か月前のことだった。
 約束の時間を過ぎても貴文は現れない。
 LINEしても、何度電話をしてもつながらない。既読にもならず、折り返し連絡もなく、私の携帯が震えることはなかった。
 こんなことは初めてだ……。私は身震いした。
 
 不安と心配が交差してはぶつかり合い、私の心は破裂寸前だった。
 そんな中、コロナ禍となりマスク着用が義務付けられたころ、風の便りが届いた。それは、もしかしたら、と恐れていたものだった。
 貴文は脳梗塞で倒れ、発見が遅かったと。すでに故郷で、葬儀も納骨も終わったという。
 障害を持って生まれた子供に対する愛情と責任。お相手に対する責任と互いの両親の面倒を見てくれたことに感謝する気持ち。貴文がふみきれなかった決断の結果だった。
 それらを私はすべて受け入れ彼を愛した。
 世間的には認められない関係であったとしても、非常識と罵られても、貴文と私には深い感情が、断ち切れない愛情があった。
 たかふみ! 早いよ。
 定年を間近に控えていた貴文。退職したら、もっと色々なことをしよう。いろんなとこにも行こう、って、楽しみにしてたじゃない……。
 私を置いてくなんて、まだ早いよ。まだまだ早いよ!
 私たちはこんな状況になった時のことを、これから考えようね、と約束していた矢先だったのに……。私に連絡が来ることはなかった。
 貴文は、たくさんの守れない約束をしたまま逝ってしまった。
 
 時の流れに身を任せ、あれ、こんな歌があったなあ、と思いながら私はあれこれ断捨離をしていく。
 これまでの年賀状がその年ごとに束ねられていた。これは近年のものだけ残して処分しよう。
 時折届く喪中はがきは、故人あての年賀状を基準にしているのではないだろうか。故人の友好関係をしっかり把握している家族は少ない気がする。
 だから、私は一束の年賀状だけ残すことにした。必要な時が来たらそれを目安にしてくれたらいい。
 もう、老い先短いことだし、いつ何時何が起こるかわからない、と私は考える。
 これまでの付き合いや縁のあった人たちの思いや魂のこもったものでもある。ただごみとして捨てるのは忍びない。
 あ~、なんだっけ。あれ、あれ。あ、お焚き上げだ。だんだん物の名前や人の名前が出てこなくなる。もうすぐ私も貴文と同じ年になるのだから、仕方ないことなのだろうけど。嫌になる。
 懇意にしている寺の住職にお願いし、経を唱えて燃やす「お焚き上げ供養」をしてもらうことにした。さほど信仰深いわけではないけど。
 井桁に組んだ薪を焚き付け、葉書の束を置いていく。
 貴文に宛てた年賀状は、付き合った年数分の27枚。赤く暖かい熾火に、私は1枚ずつ落としていく。
 お焚き上げの焔はパチパチとはじけ、楽しかった過去を飛ばす。
 貴文に出せなかった葉書は煙となり、空のかなたに吸い込まれていく。今ごろになって、貴文に届いているかもしれない。
 貴文の最期の姿も、故郷での葬儀も、お墓の場所も知らない。知ったところで、行こうとは思わない。そこにいるのは、私の知らない世界の貴文だから。
 これが私と貴文との、ひと時の別れの儀式だ。あとで行くからね、と私は手を合わせる。
 
 人生なんて、本当にあっという間に終わってしまうのだ。
 貴文との思い出は、この先も私の胸にある。悲しいことは考えない、というのは簡単だが、そんな簡単なことではない……。
 失くしたものを探してウロウロするより、寂しくなったら旅に出よう。
 貴文と行った場所や、これから行こうと約束していた場所にも。
 そこには貴文もいて、過去の自分も、これからの自分もいる。
 一緒に行けなかった場所の綺麗なことや、楽しいことの沢山を、今度は私が「おしえる」からね。誰が何と言おうと、私は貴文の、いち推しのエルなんだから。
 弘法大使が修行した88の霊場をたどる遍路ではないけれど、お遍路さんみたいに、私は巡礼の旅にでよう。
 足腰が弱る前に、まずは遠いところからにしよう。私は一歩ずつ踏み出すことにした。
                            

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