大好きだった母を想う
私は母が大好きだった。
今も勿論健在だけど、母は私が幼い頃の大好きだった母ではなくなってしまった。
どうしてこんなふうに変わっていくのだろう?
時々それが虚しく寂しくなる。
でも、私は母よりも宇宙を信頼すると決めた。
この大きな決意を促す為に、母は敢えて悪者を演じて私を突き放してくれたのだろう。
私が今 娘と良好な関係を保っていられるのも、母のおかげだ。
私の幼少期の母はとても愛情深く、自分を犠牲にして私を常に守り続けてくれた。
そして私が成人して家庭を持ってからも、どんな時も私を見捨てず、罵声を浴びせながらがっちりと援助してくれた。
そんな母の愛を私は重く感じて、苦しくて耐えられなくなった。
自立したい!と強く願った。
母は子どもにどう接したら愛が伝わるのかを、お手本で示してくれた。
私は母を見習って、長男にも娘にも愛を注げたと自負している。
母が異常に私に構ってくるようになったのは、私が子どもを産んでからだ。
お金も沢山与えてくれた。
でもそのお金は、私が大切に守ろうと思えばその分裏目に出て、元夫に騙され全部失うことになってしまった。
今はそれで良かったと思えるようになった。
あの大金があれば、私の人生は全く宇宙とは無縁の現実的な常識的なものになっていたに違いないから。
私は宇宙をテーマにここに生まれてきた。
だから必然的に母とは疎遠になることは、最初から想定されていたはずだ。
私はもう母に依存することはない。
そして母は私が助けてあげなければならないほどの不幸な人ではない。
母は幸せな恵まれた環境で、穏やかに暮らしている、そう信じていようと思う。
全ては私の一人芝居なのだから、母の環境も設定を変えられるはずだ。
母を私は幸せにできていた。
母は私が生まれてきただけで、最高に幸せだったのだ。
今の私が娘に対して思う気持ちと同じで、私が存在しているだけで感謝できるはずだ。
私は母を不幸にしたのではないか?と強い罪悪感を持っていたのだ!
こうしてnoteに書いていて、確信にたどり着ける、だからnoteは素晴らしい!
母にいつも心で謝っていた、母さんを犠牲にしてごめんね💦と。
真実は犠牲になった母は存在していない。
私の母となれた母はとても幸せだったのだ!
そう気づけた今、私は心から自分を許せて、そのことに感動して涙が滲んだ。
私は上部の言葉だけではなく、意識の深いところから、母を大好き♡と言えるようになった。
私を産んでくれて 育ててくれて、人生の苦しさ厳しさ子育ての大変さ、人との付き合いの難しさ、お金にまつわる様々な闇を教えてくれた母。
それを上回り、私をただ愛してくれた母を素直に愛せる、深く深く感謝できる。
どんな母でも母は大切な私の母だ。
やっとそう思えた。
今日は母のことを不意に思い出し、noteに書いてみたくなった。
書きながら、どんどん母を大好きになっていくのを感じた。
ありがとう♡と心から言える私になれた。
ここまで読んでくださって感謝します。
幸せをありがとうございます✴️
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