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見えないものに価値を見出だす

ずっと前に観たテレビのバラエティ番組で、花束を大切な人に贈るという企画があった。

私はそれを観て凄く違和感を感じた。

その企画では、先ずスタッフが用意した花束を、街頭インタビューで選んだ一般の人にプレゼントする。

次にその花束を贈られた一般の人が、もらった花束を自分の大切な人にプレゼントする、というものだった。

つまり、せっかくもらった花束は自分の手元には残らず、いくら大切な人とは言え、自分以外の人に手渡すなんて、そんなバカげた企画あっていいの!?と、私はモヤモヤしてしまったのである。

そして今の私は気づいた。

私は自分に与えられたものを、誰かに渡してしまうのが、凄く凄く嫌で惜しくて仕方ない性質なのだと。

この性質が、豊かさから遠ざかっていた原因ではないかと思う。

私は豊かさの流れを自分で止めてしまっていたようだ。

長年の悔しい体験から蓄積された思い込みで、無限にある豊さを有限と捉え、ひとたび私の元にやって来たなら、もう二度と手放さない!!と強く握り締める傾向がある。

だからあのバラエティ番組の、花束を贈る企画に異様に反応してしまったのだ。

今は全く違う感覚の私になった。

花束を番組スタッフから贈られた一般の人は、その時点で既に満たされ幸福感を味わった、だからもう花束を残すことにはこだわらなくて良かったのだ。

花束をもらった喜びを、自分の手元だけに留めず、大切な人に贈ることが、更に愛が拡大することになって、喜びも倍増して豊さが循環することになる。

そんな素晴らしい企画であったことに気づけた。

私は先日外出先で素敵な寄せ植えのお花に出会った。

あまりにもキレイで可愛くて思わずスマホで撮っていたら、娘が珍しく自分のスマホでその寄せ植えを撮って、それをLINEで送信してくれたのだ。

私はLINEに届いた寄せ植えの画像を見て、とても優しい愛のエネルギーを感じた。

画像を送ってくれただけなのに、そこに娘の優しい思いやりのエネルギーが込められているとわかった。

とてもとても嬉しくて幸せな気持ちだった。

そしてかつて観たバラエティ番組の花束の企画を思い出したのだ。

私の元に届いたこの幸せを世界に循環させよう!と閃いた。


そんな訳で、娘から贈られた画像を昨夜noteに投稿した。

私の在り方がまた一つ具体化した瞬間だった。

見えているものだけが全てではない。

見えないものに膨大な無限の価値がある。

人の優しさや思いやりは行動として見えるけれど深い意識の部分は見えない、でも確かに無限の愛がある。

愛のエネルギーが、この世界には充満している。

それを私は全身で受け止めて、そしてそれを自分だけに留めず循環させていきたい。

その第一歩が花束のような寄せ植えの画像のシェアだったのである。

私は愛を惜しげもなくこの世界に循環させる。

もう頑なに握り締めて守ろうとはしなくていい。

目の前の景色が明るく輝き出した。


ここまで読んでくださって感謝します。

幸せをありがとうございます✴️







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