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自分の不満をじっくり観察して分析する

私は自分がやらなければ誰も助けてくれない、と強く思い込んでいる。

だから人に頼るのが苦手だ。

娘にさえも些細なことでも頼れない。

でも私は寛大にはなれない性質で、自分がやるしかないことをする度に、少しずつ不満を溜めていく。

例えばワンコのこゆきのお世話、これは誰の担当かと言えば、以前は娘が中心でやっていた。

私は専らこゆきのトイレのお世話だけをしていた。

ところが、娘はすっかり自分から起きなくなり、私はこゆきが可哀想で仕方なくフードをあげたり、お水を入れ替えたりするようになった。

今では娘は夜にフードをあげるだけで、後のお世話は全て私が担当している。

トイレのお世話も、娘は補助というカタチで協力はするけど、率先してお世話はしてくれない。

私はそんなことで娘と険悪にはなりたくないので、どうせ見えている世界は自分の一人芝居だということもあり、少し不満はあっても我慢して、こゆきのお世話を引き受けている。

このストレスが爆発するには条件がある。

娘が横柄な態度でこゆきに接した時、私はどうしても我慢できず、娘に対して怒りを感じる。

それは、娘が犬を飼うことを熱望したからなのだ、その妹の為に兄である長男は、元夫と私を脅し、強引にこゆきを飼うことを承諾させた。

だから娘はこゆきを大切にする義務がある、私は常にその原点にこだわり、娘をジャッジしてしまうのである。

私が例えこゆきを毛嫌いすることがあったとしても、娘だけはこゆきを見捨てず、娘が一番こゆきを盲目的に愛してあげる必要がある!と私は厳しく娘を見張っていて、そうできない娘に心の中でダメ出ししているのかもしれない。

私は義理堅いタイプで、その反対に薄情な面もある。

娘は薄情な面を鏡になって映し出してくれているのだろう。

そう!私は自分の薄情な面を許せなかったのだ!と気づいた。

そんな私を今ここで許してあげよう。

noteに思いつく文章を綴っていると、確信に到達する瞬間がある、今まさにそうだった。

これだからnoteを愛さずにはいられない!

noteは私の深く埋もれてしまっている観念を掘り起こし、気づかせてくれる、本当に有り難い。

私は薄情なんだ!それを悪として憎み打ち消そうとしていた自分がいた。

常にどんな時も愛情深い私でいなければ!と無理していたのだ。

でも薄情な私は気づいて欲しい!とアピールしてくれていた、こんな私でも許して欲しいと愛を求めていた、やっと気づいてあげられた。

だからこそ、娘のこゆきに対する冷めた接し方にモヤモヤしていた。

こゆきはわざと娘を苛立たせ、娘の嫌うこゆきになって、娘の冷酷な面を引き出させる。

こゆきに冷たく接する娘を見て、私はとても不快になり、どうかお願いだから娘もこゆきも仲良くして欲しい!と願う。

そして、娘の態度に許せない怒りを感じていた。

やっと薄情な一面がある私を認め、許そうと思えた。

これでまた一つ軽やかになった気がする。

娘にもこゆきにも鏡になって教えてくれてありがとう♡と感謝しよう。


ここまで読んでくださって感謝します。

幸せをありがとうございます✴️




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